第54話 愛は「重力」を感じる。その③


     54.


「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ――」

『重力』を操作しながら歩道に着地するが、上手くバランスが取れず膝をつく。

 右手にある試験管を、白衣のポケットに仕舞う。

 後方にある『隙間』から噴煙が上がっている。

(この程度で、兄貴が死んだとは思えないけど)

(私の目的は兄貴を殺すことじゃない。このまま『これ』を回収して帰ることだ)

 千枝は五條高校の周辺まで自動車に乗ってやってきた。

 この先にあるコンビニの駐車場に停めてある。


「まだ、だ」

 後ろから、声が聞こえた。

 振り向く。そこにいたのは、牛谷うしたにグレイだった。

「牛谷、グレイ……」

 歩道のアスファルトにある『隙間』から、這い蹲るように這い出てきて、こちらを睨んでいる。

「……牛谷グレイ。きみたちが、この『宇宙人』をどうしたいのか私にはわからないけど、私に言えるのはこれには関わらないほうがいい、ということだけだ」

「…………」

「これをどうこうしたところで、。成功することなんてあり得ない」

「私はそんなことを、望んでいない」

 牛谷は吐き棄てる。

「私はそんな菌に興味はない。人類のことでさえ、私が生きているうちに滅びさえしなければいいと思っている。百年後のことだってどうでもいい。だけど、その菌を、今あなたに渡すことは、私の今を揺るがす脅威だ」

 牛谷は立ち上がる。

 足元にある『レイン・レイン・ゴーアウェイ』の『隙間』は閉じられて、それより後ろのほうから噴煙が上がっている『隙間』も閉じられる。噴煙が周囲に上がらなくなった。

 それでも苦い香りが周囲に漂う。

 宇井うい千枝ちえを指差して、牛谷グレイは宣言する。


「それは然るべき人物に回収させるべきだ!」


「…………」

 そんな宣言を聞いても、千枝は何も反応を示さなかった。

 視線は冷たいものになる。

(あーあ)

(こんな子供。どうでもいいと思っていたけど)

 宇井千枝は感情的な人間である。

 行動の損得を考えられるようにはなったが、昔からの根っこというのは変わっていない。少しばかり感情が昂って、すぐに冷たくなった。

 意気揚々と宣戦布告をしてみせたこの小娘を、ぐちゃぐちゃに挫折させてやりたい、と。

 台無しにしてやりたい、と。

 そういう衝動に駆られた。

「…………」

 この衝動は、この場を離れようとしていた千枝の足を止めた。

 踵を返して、牛谷のほうを向く。


 牛谷グレイ。

 彼女の『能力』――『レイン・レイン・ゴーアウェイ』と、宇井添石の『能力』――『カスタードパイ』は似ている。

 壁や地面に対して空間を作り出せる『能力』と、影の中になんでも仕舞える『能力』。

 このふたつの大きさ差異として、『レイン・レイン・ゴーアウェイ』には地中に潜伏するようなことができるという点がある。

 用途としては難しいし、添石のような攻撃ができる『能力』ではない。

 ただ、あの『地下』に落下させられれば、『隙間』が開かない限り――閉じ込められることになる。

 にさせることになる。

(それに嵌れば危険だが)

(そもそも『重力』を操る私には、そんな技は通用しない)

 落ちることなんてあり得ないのだから、そんな『能力』は大したことはない。

『重力』は、絶対的なのだから。


「今……足を止めた。私にはそれで十分だ」

 牛谷グレイは、千枝に指を指してこう続けた。

「……これで、私の勝ちだ。宇井千枝」


 牛谷グレイの言葉に、反応を示す前だった。

 宇井千枝の足元に『隙間』ができた。

『能力』――『レイン・レイン・ゴーアウェイ』だ。

『重力』を操れる自分が、ここに落下することはあり得ない。

 千枝はそう確信していた。それは絶対的なことだった。

 それは、たとえ『能力』を使いこなす牛谷グレイでも覆すことができない定義である。だから、最初から『生き埋め』にしようなんて考えていない。

 足を止めてくれるだけで。

 ただ、それだけでよかった。

 足を止めて、牛谷グレイのほうを向いた瞬間だった。

『隙間』からは炎が噴き出した。





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