第53話 愛は「重力」を感じる。その②


     53.


 ブラックホール。

 これをより正確に理解しようとすればするほど『わからないこと』が増えていく。何事においても勉強すればするほど『わからないこと』が増えていくものである。

 宇井うい千枝ちえ

 彼女はブラックホールという存在に対して正確な知識があるわけではない。ただ、『それっぽい』から彼女は自身の『能力』――『トランプルド・アンダーフット』を『ブラックホールを出現させる能力』であるというふうに解釈している。

 絶大な重力を持つ天体、ブラックホール。

 光さえ脱出することができないというブラックホール。

『トランプルド・アンダーフット』――それは、空間に『点』を指し、その『点』が重力を持つ。そういう『能力』である。


「うう――っ」

 ブラックホールによって引き剥がされた『影』は、千枝を覆う。

 宇井うい添石そうせきの『能力』――『カスタードパイ』は『影の中に物体を収納できる能力』である。中に収納してある大量の刃物を連続で出現させて、宇井千枝の身体を切り刻む。

 そのはずだった。

 千枝の身体を切り刻む――はずだった。

 が。

『重力』が変化した。

 宇井千枝が発生させていた『ブラックホール』が、消滅した――いいや、消滅させた。これによって、通常の『重力』に従って、すべての事柄が作用する。

 宇井千枝の身体は、そのまま『隙間』に向かって落下していく。

 これで、ぎりぎりのところで数多の刃を躱した。


「この、くそ女っ……!」

『レイン・レイン・ゴーアウェイ』の『隙間』から、上半身だけ地上に這い出ている宇井添石。

『教室』から這い出てきた添石と、『教室』に落下していく千枝。

 ふたりは入れ違いになる。

 が。

 千枝は、添石の足を掴んだ。

『レイン・レイン・ゴーアウェイ』の『教室』に、引きずり込まれる。

(ならば! その前に、こいつの腕を切断する!)

 妹であろうと知ったことか。

 宇井添石にとって、この妹は――彼の人生にとって絶つべき存在だ。

 この再会は、予期せぬものだった。

 この邂逅は、来ないと思っていた。


 だからこそ、今。

 この瞬間こそ、この忌々しい愚昧との関係を絶つときだ。


 影から、刃物が発射された。

 中から発射されたものは鉈だった。それは、宇井千枝の左腕を切断した。

「ぐっ、ああああああああっ! うう――『トランプルド・アンダーフット』!」

 左腕を失い、そのまま落下する千枝。

 彼女が宣言すると同時に、『能力』が発動する。

 左腕を失った彼女の身体は、地上のほうに引っ張られるようにして浮かび上がる。

 左腕の切断面からは、極彩色の液体がどばどばと溢れている。

「ああ、ああうう――あ、兄貴と話すのは、いったい何年ぶりだろうね」

「……何年ぶりだろうと俺はおまえと話したくなんてなかったし、見たくなかったよ」

 心底うんざりすると言わんばかりに、浮かび上がっていく千枝を睨む添石。

「兄貴は私のことが嫌いみたいだけど、私はそんなに嫌っていたわけじゃないよ――ただまあ、

 宇井千枝は、残っている右手の中にあるものをこちらに見せた。

「なっ……!」


 それは、『宇宙人』――真菌『ドレイク』が詰まった試験管だった。


 この瞬間、意識が逸れていた。

 会話に、宇井千枝に、『宇宙人』に意識が向いていた。

 だから――気づけなかった。

 発生している『ブラックホール』によって――『重力』によって引っ張られているのは自分たちだけではないと。


 すぐ傍にある車道を走る自動車が、『重力』に引っ張られて突っ込んできた。


 その突っ込んできた乗用車の車輪が『隙間』に突っ込んできた。

 普遍なく存在している重力に従って、自動車は『レイン・レイン・ゴーアウェイ』の『隙間』に突っ込んできた。

 添石の身体に衝突し、乗用車と共に『教室』に落下していく。





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