第31話 子供の情景(トロイメライ) その⑥


     31.


 漆川うるしかわ羊歯子しだこの全身を、衛生害虫と不快害虫が蹂躙した。

 あごのある虫は噛みつき、吸血能力のある虫は血を吸った。これによって、ほぼすべての虫が漆川羊歯子の『トロイメライ』に感染した。

『ゾンビ』と化した蚊が、血を運んだ。

「はあ……、はあ……」

 感染し『ゾンビ』化した入江聖は、警備員室を出てすぐのところで棒立ちしている。

「うう、おえええ……!」

 壁に手をついて嘔吐する。

 吐き出した吐瀉としゃ物の中には、虫も混じっていた。

「ああ、くそっ!」

 入江いりえひじりを睨む。

 入江の身体は動き始めて、両手で首を絞める。

 入江の両手にあり得ないほどの力が込められて、首が折れた。

『ゾンビ』ではあるが、別に死人を徘徊させているわけではない。『トロイメライ』の感染者は、死ねば、動かなくなる。

 入江の身体は廊下にぶっ倒れた。

「うう」

 吐きながら、漆川羊歯子は警備員室を出る。

「き、気分が悪い」

 いったいどれほどの虫がいたかわからない。

 ムカデや蜂などがいたことから、恐らく有毒性の虫も無作為に混ざっているはずだ。

「だけど、ここは病院だ……。診てもらえば、いい」

 警備員室を出て、すぐのところで転倒した。

 身体中が焼きつくように痛い。

 いくら病院でも、医者に見せなければ治療も受けられない。

「う、うう」

 そんなとき、足音が聞こえた。

 警備員室からして、外側、だ。

「大丈夫かい?」

 男性の声だ。

 大丈夫なわけがない。立っていられないほどだ。

 ならば。

 それならば。

(こういうときこそ)

(『能力』を使う――)


 それは、きっと癖だった。

『能力』を自覚してから、その『能力』に甘えるようなことはしてはならないと感じつつも、『能力』を使い続けてきた――そういう癖だった。

 癖づいていたから、自分で歩くのが難しいと判断するや即座に『能力』に頼ろうとした。

 別に自分の持ち得る能力を生かすことは、間違ったことではない。間違ったことではないが、この状況では適切ではなかった。


 身体を起こして、血を後ろにいる男性に向けて飛ばそうとしたときだった――『能力』を使おうとしたときだった。


 彫刻刀ちょうこくとうが飛んできた。


 彫刻刀は羊歯子の頭蓋骨ずがいこつを突き破って、脳髄のうずいえぐった。

 そのまま、漆川羊歯子は死亡した。




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