第30話 子供の情景(トロイメライ) その⑤


     30.


 警備員室の液晶は合計で六つ。それには監視カメラの映像がリアルタイムで映し出されている。チャンネルの切り替えで、映像を見て『ゾンビ』に指示を出していたわけだが、すべての映像を見られる環境にありながら、すべての映像を見ていたわけではなかった。

 すべての監視カメラの映像の中からも取捨選択している。

 たとえば、病院の外。

 入口にある監視カメラは見る必要がない。よって人の出入りを確認するだけならエントランスの監視カメラだけでいい。

 駐車場の映像や、警備員室のすぐ傍にある時間外出入口などの監視カメラも、だ。

 そんなふうに選んでいた。

 だから、気づいていなかった。

 病院内に沼野ぬまの成都せいとが侵入していることだって、偶然気づいたくらいだ。偶然気づいて、すぐに感染させて、響木らの追跡を始めたため――ほかをチェックしていない。

 だから、漆川うるしかわ羊歯子しだこは気づいていなかった。

 駐輪場にいる日根ひね尚美なおみ入江いりえひじりの存在に。

 もし、余裕があったのならば、沼野成都が単独で来ていることを訝しみ、隈なく探したことだろうが、余裕がなかった。

 そして、今。

 この警備員室から一度退去するべきという発想に至り、出ようとした。

 たまたま、このタイミングで退去しようとしたから、気づけた。


 ぎぃい、と。

 扉を開けようとしている人物が、そこにいた。


「入江……、聖……っ!」

 クラスメイトではないが、同じ二年生だ。

 そして、今回、漆川羊歯子が動くきっかけになった人物である。この入江聖が失敗に次ぐ失敗を繰り返したから、今、こうして漆川が出動させられている。


 少しだけ開いた扉。

 入江聖がこちらを見ている。

 その彼女の後ろから、無数の気配を感じる。その気配の正体が何なのか、すぐにわかった。

 少しだけ開いている扉から、『それ』は、っ! と、這入ってきた。

「うう……っ!」

 床をムカデやらありうごめいていて、壁をゴキブリやら毛虫が這っていて、周囲にははちが飛んでいる。


 入江聖は、何も発言することなく、その『虫』たちに指示を出した。


「ぎぃ……!」

 一斉にそれらが、漆川羊歯子に襲いかかる。

「ぎぃ! があああああああああああああああああああああああああああああ! ああああああああああああああああああっ!」

 ゴキブリやらムカデやら蜂から毛虫やら蟻やら蛾やら蚊やらが、飛びかかってきた。

 靴の中に、靴下の内側に、スカートの中に、下着の中に。セーラー服の裾から、袖から、襟元から、次々に虫が這入って来る。

「あああああああああああ!」

 髪の毛を掻き分けるように進んでいく感触がする。がしがしと、全身を覆っている虫同士がひしめき合う音が聞こえる。

 何かが皮膚に噛みついた。

「ぎいいあああああああああああああああああ!」

 激痛で身体を掻き毟る。

 身体を覆う虫たちは引き裂かれて、周囲に飛び散る。

「あああああああああああああああああああああああ!」

 叫べば叫ぶほど、口の中に虫どもが這入ってくる。

 歯を食いしばったとき、奥歯で『ぶちん』と何かを噛み潰した。

「ああああああ、あああああ……! い、い、入江聖……っ!」

 瞼のように覆う衛生害虫と不快害虫を振り払う。

「お……、おまえは……、知っているか? 世界で最も人を殺している生物が何なのかを」

「…………」

 扉の外にいる入江は答えない。


「答えは『蚊』だ」


 漆川は、話す。

「人類は幾度となく伝染病にさいなまれてきた。その多くの伝染病の媒介者ばいかいしゃとなるのが、蚊だ」

「…………、何が言いたいの?」

 いつの間にか、虫たちの犇めき合う音が聞こえなくなっている。


「こんなふうに血を運んで殺しているって言ってんだよ」


 漆川羊歯子の全身を覆っている虫は、いつの間にか静止していた。

 その虫たちの中から、一匹だけ飛び立った。

 それは、一匹の蚊だった。

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