第6話 チェリーチェリーブロッサム その①
6.
倒れていた女子生徒は『
彼女があのあとどうなったのか、
いったいどうして倒れていたのか。
その原因や理由が気にならないわけではない。
好奇心がないわけではない。
いったい何があったのか気になるところだが、突き動かされるほどではなかったし、これ以上は関わるべきでではないと思っていた。
(下手に首を突っ込んで痛い目を見るくらいならば、初めから避けるべきだ)
(地雷だとわかっている場所に、わざわざ足を踏み入れる必要はない)
この
この時点で、もう既に『手遅れ』という致命的な点を除けば。
本当に厄介ごとに近づきたくないのであれば、あのとき――空き教室に倒れていた美章園とどりに気づくべきではなかった。
そうすれば、これから起きるような事態には陥らなかったのだから。
とはいえ。
あえて言わせてもらうのだとすれば、人間がひとり倒れている現場を見て見ぬふりができるほど卯月希太郎は冷酷な人間ではなかった。
消極的で、感受性が豊かではないが――でも、卯月希太郎はあくまで人間である。
未成熟な、未発達な十五歳の少年である。
少年が、踏み込んではいけない部分に踏み込んでいることに気づくのは、早かった。
そのきっかけとなる出来事は、意外にも早くにやってきた。
具体的には美章園を発見したその翌日――十六日木曜日の放課後のことだった。
部活に入部する気もない卯月希太郎は、そのまま帰宅しようとしていたときだった。
「あ、確か卯月くんだよね」
「え?」
生徒玄関にいた女子に声をかけられた。
小柄で髪の短い女の子である。
セーラー服のスカーフが青色なので、恐らくは三年生である。
「あ、はい。……ええっと」
「私は
「は、はあ」
随分と元気のいい話し方をする人だ。
『なおみん』呼びはあり得ないだろう。
「ええっと……僕に何か用ですか、日根さん」
「んー。別に用事ってわけじゃないけど……んー」
首を傾げながら唸る日根尚美。
何か用事があったのではないだろうか?
だからこうして、生徒玄関でわざわざ待っていたのではないだろうか。
(…………いやいや)
(僕は、何にも気づかない鈍感野郎でもなければ、夢見る勘違い野郎でもない)
こういうとき、普通に疑ってしまう。
「新しい後輩がどんな人なのか知ろうとすることに何か理由がいるのかな?」
「…………」
「ねえねえ、卯月くん。一緒にお話しながら帰りましょう」
「は、はあ」
ただただ流されるまま、歩き始めた。
少し先を歩く日根尚美について行く。
自転車通学なので、駐輪場に用事があると言えなかった。
「あの……日根さん」
学校を出て少ししたところで声をかける。
「ん?」
一歩先を歩いていた日根尚美は足を止めることなく、首だけをこちらに振り向いた。
「その……、もしかして何か罰ゲームでもさせられているんですか?」
「罰ゲーム?」
ぱちくりと瞬きをする日根尚美。
「あれでしょう。罰ゲームで……後輩の男の子と一緒に帰って、その気にさせろって……そういうのでしょう?」
「いやいや、ネガティブ過ぎるでしょ」
くつくつと笑いながら卯月の正面で立ち止まった。
「なになに、私は今罰ゲームを受けていて、卯月くんと帰っていると思っているの?」
「それくらいしか考えられないでしょう」
「いや、もっと考えられるでしょ」
「どういうものが考えられるんですか?」
「そうねえー。私がきみに気があるかもしれない、みたいなことを考えないの?」
にこにこと上目遣いでこちらを見てくる。
「考えないです。だってそうじゃないでしょう?」
「そりゃあもちろん」
「…………」
わかってはいるが、そう堂々と答えられるとなかなか……。
「どっちも違うけど、卯月くんに話があるのは本当だよ」
「話、ですか」
「用事があるってことね。だから、玄関で待ってたのよ」
「…………」
「美章園とどりについて――聞きたいことがあってね」
卯月の目を見て言う。
さっきまでにこにことしていたときとは違う、目の色が変わった。
まあ、ある程度の予想はできていた。
その辺りの話だろうということは予想できていた。
「私が卯月くんにお訊ねしたいのは、美章園とどりが倒れていたあの現場に、何か不自然なものがなかったかということ」
「不自然なもの?」
問いかけの方向性が意外だった。
今日の休憩時間、卯月に対してこんな質問をしてきた生徒がいた――『人が倒れている現場を実際に見たらどうよ?』と。
とんでもなく不謹慎な問いかけだった。
でもまあ、気になるというのもわかるものだ。
その手の問いかけが来ると思っていたが――どうやら違うようだ。
『不自然なもの?』だって?
その問いかけは……まるで、サスペンスやミステリで探偵や警察が聞き込みをしているときのようじゃないか。
(いいや)
(いいや、違う――)
そうじゃない。
(都合のいいふうに考えるんじゃない)
(これは予想していた範囲内の出来事だ)
最初から予想していたじゃないか。
美章園とどりが倒れていたのを、人間関係のトラブルが原因だと仮定した場合、それは事故ではなく、事件になる。
もし、現場に都合の悪い証拠が残っていた場合、卯月希太郎は何かを目撃している可能性がある。
そのことで、事件の加害者側から接触がある可能性。
そういうことがあるのも考えていた。
この日根尚美と名乗った女子生徒が、事件の加害者である可能性もある。
「……いえ、憶えてないですよ、突然のことでしたし」
「それもそうよね」
わかっていると言わんばかりの反応だ。
続けて日根尚美はこう続ける。
「一応、余計なお世話かもしれないけど……気をつけたほうがいいよ。これから」
「それはどういうことですか? あなたは、何を知っているんですか?」
「美章園とどりは、潰されたのよ」
「潰されたって……穏やかじゃないですね」
「穏やかじゃないから、倒れていたんだよ」
「…………」
不気味に微笑みながら、こちらに近づいてきて、日根尚美は耳元で、
「『マザーグース』――」
と言った。
「美章園とどりは、『それ』に潰された」
「…………」
「あのままきみが見つけなければ、美章園とどりは死んでいた。本当はあのまま死んでいたのに、生き残った――だから問題はこれからなのよ。この件をきっかけに学校は『いじめが行われているんじゃないのか?』と考えている。実際、今日の全校集会でも言及され、各クラスで調査が行われたでしょう?」
ああ、なるほど。
と、ここで卯月は気づいた。
なんとなく、違和感はあった。
この美章園とどりの騒動を、事故や病気ではなく、人間関係のトラブルが起因するものだと考えられている傾向があった。
どうしてそっちに――事故ではなく、事件だと決めつけて考えているのか、自分でも不思議だった。その謎が解けた。
学校側の動きを見て、勝手に頭の中で結びつけていたのか。
「ちょ……ちょっと、待ってください」
言うことはわかる。だけど。
それじゃあまるで。
「まるで日根さんが、僕に警告をしにきたみたいじゃないですか」
「その通り。警告をしにきたのよ」
「…………」
「学校側は『マザーグース』のやり方を既に認識している。だから学校側は早い時点で『いじめ』だと決め打ちして動いたでしょ。これを『マザーグース』のほうはいいふうに思わない。だからね――気をつけてね。もし、次に狙われるとすれば――」
卯月希太郎くん。
あなただろうから――と言った。
「えっと……その、日根さん。その『マザーグース』っていうのは何なんですか?」
「……ただの女子のあいだでの仲良しグループよ。別に深い意味なんてない。『マザーグース』なんて名前も、誰がつけたのかさえわかっていない。そうね、強いて言えば『支配者』ってところじゃないかしら」
「支配者……ですか」
「何を企んでいるかわからないけど……」
少しだけ考えて、こう言った。
「……随分と何かに脅えているって気もするわね」
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