第5話 卯月希太郎の日常 その⑤
5.
そんな騒ぎがあってから二日後の四月十五日、水曜日。
だんだんと学校に慣れてきた一日を終えた放課後。掃除を終えて、帰ろうと廊下を歩いているときだった。
通りかかった空き教室の中を、ふと見た。
「…………!」
空き教室に、倒れている女子生徒がいた。
扉を開けて教室に飛び込んだ。
「だ――」
倒れている女子生徒に駆け寄る。
「大丈夫ですか!」
身体は
こういうときの、正しい処置方法がわからない。
中学校の頃に、救急隊による授業を受けたことはあったが、もう内容なんて憶えていない。
「大丈夫ですか! 聞こえますか!」
声をかけるが反応はない。
だとすれば、誰かを……大人を呼んで来なければいけない。
(スカーフの色は黄色だから二年生)
倒れている人物が誰なのかを見始めたところで、ようやく気づいた。この女子生徒が、あの
「――――」
頭の中で、二日前の出来事が噛み合うような、結びつくような感覚があった。
言い換えると、嫌な勘が働いたという感じだ。
「ま、待っててください! 誰か、呼んできます!」
卯月は立ち上がって、空き教室を出て、教員を探しに行った。一番近くの一年生の教室に行くと、教員がいた。
上手く説明はできなかったが、倒れている生徒がいることは伝わったようですぐに対応してくれた。
先生は、美章園を抱きかかえて保健室にまで連れて行った。
どうしていいかわからずにいたら『きみはもう帰っていいよ』と言われたので帰ることにした。
校舎を出て、駐輪場に止めてある自転車に跨った。
小学校と中学校の自転車通学でも乗ってきて、乗り古されたママチャリである。
帰り道にサイレンの音が聞こえてきて、救急車とすれ違った。
「…………なんだかなあ」
刺激的な高校生活を夢見ていなかったと言えば、それは嘘になる。フィクションで描かれるような学園生活をどこか夢見ていたのは事実である。
かつて小学生だった頃の卯月希太郎は、『変質者が出た』という内容のニュースを聞くたびに『そんなことないだろ』と思っていた。ランドセルにぶら下げていた防犯ブザーなんて一度も鳴らしたことがない。
そりゃあ、出会わないに越したことはないし、使う機会のほうが少ないに越したことはない。
『昔に比べて物騒だからねえ』と語るおばあちゃんの言葉を聞いて、『昔のほうが物騒』とも思っている。
そんなのは単純に情報網の発達具合の問題である。
今のほうが文明や価値観や倫理観が明確になり、『変わっている者』のほうが浮き彫りになってきて、騒がれているだけなのだと中学校には思った。
だが、自分が被害者になる可能性も零ではないのだと、自覚もしていた。
自覚はしていても――それに現実味が帯びているかと問われれば別である。
女子生徒が倒れている現場に遭遇したとき、『こういうのは実際の出来事であって、あれはフィクションじゃないんだ』と驚いた。
そんなふうに思うことは別に不自然なことではない。
現実に起こり得るかもしれない
奇しくもそんな現場に居合わせたというだけである。
このとき、『こういうよくありそうな出来事でさえも珍しいのだから、これ以上は来ないだろう』と思っていた。
(きっと僕の人生なんてこの程度だ)
なんてふうに考えていた。
なんというか、現実に冷めてしまっていた。
このときの彼に対して、こういうふうにいうこともできる。
現実に起きる危機的状況に対して気を抜いていたのだと。
結果的に――
倒れていたあの女子生徒に駆け寄ったとき、口の奥で動く何かが見えた。
それが何かはわからないが、そのわずかに見えた気がした『何か』。
もう少し、考えておくべきだったかもしれない。
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