勘違いの五日目-4
何やらガサゴソとする物音に私は目を覚ました。紡の事を考えていたらどうやら眠ってしまっていたようで、顔に枕の跡が付いていないか心配になる。
家の施錠をしたのかも確かではないので、もしかしたら泥棒や強盗の可能性もあるので、十分注意をしながらドアを開けようとすると鍵が壊れているのを思い出した。
どうして? と思ったけれど、確か赤崎先輩が部屋に入ってきた時、物理的に壊したと言っていた気がする。これでは私の部屋は無防備ではないかと不安になるけど、まずは家に誰が居るのかを確認するのが先決だ。
戦々恐々とドアを開けると私の目の前には背を向けた人が立っていた。いきなり人がいた事に驚き、「キャッ!」と声を上げて尻餅を付いてしまった。
目の前の人物は私が出した音に気付き、こちらを振り返ると両膝を付いて座り込んだ。そしてそのまま首を垂れ、土下座をしているような格好になる。
「針生様、おはようございます。私、優唯様より仰せつかり、このお屋敷のお手伝いをさせていただいております井上と申します。ご命令がありましたら何なりと申し付け下さい」
私が尻餅をついてしまったため、私より頭を下になるようににそんな態勢になったのかもしれないけれど、何も悪い事をしている訳ではないので土下座みたいなのは止めて欲しい。
確か赤崎先輩が出て行く時にメイドさんを呼ぶみたいな事を言っていたけど、呼ばれたメイドさんがこの井上さんなんでしょう。
立ち上がり、ふとメイドさんの所を見ると廊下が見違えるほど綺麗になっているのに気が付いた。私も掃除はするけどここまで廊下を綺麗にはした事がなかったので流石メイドさんと言ったところでしょうか。
私が立ち上がった事で井上さんも立ち上がったがその首は垂れたままだ。何か私の命令を待っているのかもしれないのだけど、メイドさんに命令なんて私にはとてもできない。
取り敢えず楽にしておいてくださいとだけ井上さんにお願いをし、リビングに行くとそこにもメイドさんが二人何やら作業をしていた。二人は私の姿を見つけると恭しくお辞儀をして再び作業に戻っていく。
どうやら部屋の掃除をしているみたいで、リビングは埃一つない状態にまで綺麗にされていた。
「針生様、お食事のご用意を始めようと思いますが、今晩はどのような料理がお望みでしょうか?」
どうやらメイドさんが料理まで作ってくれるらしい。時間を見ると十六時なので随分と早い時間から仕込みを始めるのだと感心する。
私は十八時を過ぎてから今日の晩御飯を考え始めるので、今の所は何も考えていないのだけど、泣いた後でお腹が減っていると言う事もあり、「肉料理かしら」と曖昧な回答をした。するとメイドさんは「畏まりました」と言って台所に行ってしまった。
私のいい加減な注文で料理を作ってくれるなんて凄いメイドさんだ。そう言えば赤崎先輩のお屋敷に行った時は専属の料理人みたいな人が料理を作っていたような気がするけど、メイドさんも料理は作れるんでしょうか。
「普段、優唯様のお屋敷では優唯様専属のコックが調理いたしますが、メイドとしての必要技能として全員料理を作る事ができます。コックの方には及びませんが」
もう一人のメイドさんが手に紅茶を持ちながらそう答えてきた。どうやら私が席に着いた瞬間に紅茶を出せるように準備をしていたようだ。
私がリビングの椅子に腰かけると然も当然の如く紅茶が運ばれてきた。紅茶自体は普段から私が飲んでいる物と同じものなのだけど、こうもおもてなしをされると少し高級そうな味に感じるから不思議だ。
玄関の方で音がしたので、ヴァルハラが帰って来たのかと思い、席を立って迎えに行こうと思ったけど、メイドさんに止められてしまった。
「針生様はここでお待ちを。何かありましたら危険ですので私が見てまいります」
ヴァルハラが最初に現れた時の事があるので絶対とは言えないけど、基本的には私のような家に来る人に危険があるとは思えない。いきなりドアを開けたりとかもしないし。
それでもメイドさんに玄関まで見に行ってもらうと一人の男性を連れて戻ってきた。確かこの男性は赤崎先輩のお屋敷の執事長の人でしょうか。
「流石でございます針生様。覚えていただいており光栄です。私は執事長の蒼海と申します」
ニコニコとした笑顔で私に頭を下げる蒼海さんは男性と言う事もあり、メイドさんとは少し違った感じがする。
でも、執事長って事だから赤崎先輩のお屋敷にずっと居るものだと思ったのだけど、どうして私の家に来たのでしょう。
「針生様は鋭い方ですね。針生様のおっしゃる通り、私は普段、優唯様の命令がない限りお屋敷からは出ないのですが、今回は優唯様から命令がありこちらに参った次第です」
赤崎先輩の命令? 何でしょう? 私には心当たりがない。
「心当たりがございませんか? 優唯様は針生様が落ち込んでおられるのを大変気にしておりました。そこで私に声が掛かり調査せよとのご命令でした」
蒼海さんは相変わらずニコニコとした笑顔を向けてくる。だけど、その目の奥は私の事を楽しんでいると言った笑顔だ。
それにしても調査と言うのは……って誰の事か分からないほど私も鈍感ではない。私の状態を見て赤崎先輩が紡の事を調べるように命令したのだ。お節介だけど良い先輩だ。
「針生様のご推察の通り、私は釆原様の事を調べてまいりました。心の準備はできておりますでしょうか?」
えっ!? 心の準備をしないといけないような事を言うの? でも、聞きたい。いや、聞きたくない。けど、聞きたい。聞きたいと聞きたくないが花占いのようにフラフラする。
やっぱり聞きたい。聞かない事には前に進めないような気がする。私は覚悟を決め、蒼海さんの瞳を見る。
「分かりました。それでは申し上げますと釆原様は鷹木さんとはお付き合いはしていないようです」
本当? 嘘じゃないよね? 嘘だった泣くよ。嘘じゃなくても泣きそうだけど。
「えぇ、それは間違いありません。けれど、釆原様の家で鷹木さんが寝泊まりをしているらしいです。私の推測ですが釆原様と鷹木さんは手を組んでいるのではないでしょうか」
マジかあの野郎。釼と手を組むって言ったから私は離れたのに、私が居なくなった隙に新しい女を見つけるなんて最低な男だな。
「フフフッ。針生様は面白いお方ですね。それでは釆原様の事は諦めますか?」
諦める訳がない。意地でも私の方を振り向かせてやる。そして豪快に振ってやるんだ。私を振った事を後悔させてやる。紡が泣いてすがって来た所を私は許してあげるんだ。
それぐらいしないと私の気が治まらない。何か力が湧いてきた。さっきまでふさぎ込んでいたのが自分でも不思議なぐらいだ。
「それでこそ針生様でございます。ですが、ここから挽回をするとなるとかなり困難のようにお見受けしますがどうするおつもりで?」
確かにここで私がホイホイと紡の所に行ってしまったら後悔させる事なんてできない。かと言ってゆっくりもしていられない。同じ家に住んでいるとなると、あのパンツ野郎が手を出さないとは限らないから。
私が悩んでいるのを見つめる蒼海さんが相変わらずの笑みを浮かべているが何かを言いたそうだ。
「私が見た限りですが、釆原様から鷹木さんに手を出す事はないようにお見受けしました。けれど、鷹木さんの方からは分からないです」
そうなんだ。蒼海さんから見るとそう言う感じなんだ。確かに紡に女性を襲うような勇気があるとは思えない。それなら多少……この戦いが終わるぐらいまでは時間があるのでしょうか。
「私はそう思っております。ですので、優唯様との同盟はそのままにしていただければ、その後もご協力するのは吝かではありません」
蒼海さんからすれば赤崎先輩を勝たせたい訳だからここで私が居なくなるより、後から手伝うとしても残ってもらう方が良いと言う事か。
「その通りでございます。私はあくまでも優唯様の従者ですから優唯様の事を第一に考えております。なので、優唯様が有利になるためにはどんな事でもするつもりです」
あっ。この人怒らせたら拙い人だ。顔は笑っているけど、目が笑っていない。まあ、私としても今、赤崎先輩と手を切るというのは美味しくないのでそんな事はしないけど。
「ありがとうございます。流石、優唯様がお認めになられた方だ。頭の回転も速いようで私も安心しました」
単純に今、私が手を斬る事が有利に事が運ぶとは思えないだけなのだけどね。
「いえいえ、人間と言う物は目の前の事だけになってしまう事が多々あるのです。そこを冷静な判断を下せるというのは頭の良い方の証拠です」
あまり褒められると照れてしまうのでやめて欲しい。
「それでは私はこれにて失礼いたします。お屋敷の方に戻らないといけませんので」
まあ、そうでしょうね。執事長と言う立場でこんな所で何時までも油を売っている訳にはいけないものね。
「お気遣いいただきありがとうございます。メイドたちはそのまま残しておきますので何なりとご命令を申し付け下さい」
そうなんだ。私はてっきりメイドさんも一緒に連れて行くんだと思っていたけど残しておいてくれるんだ。
「優唯様のご命令を私が上書きする事はできません。優唯様がメイドたちに戻れと言わない限りここに居るでしょう」
そうなるとメイドさんたちが何時までいるか分からないな。いろいろやってくれるのは有難いし、嬉しいんだけど、これになれてしまうとメイドさんが居なくなった時に何もできなくなった私になりそうで怖い。
「針生様なら優唯様に直接言えばよろしいかと。では、失礼いたします」
蒼海さんは腰を折って頭を下げた後、赤崎先輩のお屋敷に帰って行った。流石執事長をやっているだけあってこんな小娘に対しても全く上からの態度を取らないのは凄いと思った。
それにしても良い情報を得られた。フフフッ。思わず顔が綻ぶが、これは仕方がない事でしょう。
「何、気持ち悪い笑顔を浮かべているの? でも、その感じだと元に戻ったようね」
いつの間にか赤崎先輩が私の家に戻って来ていた。そして綻んだ顔を見られてしまった。恥ずかしい。でも、このタイミングで赤崎先輩が帰って来たと言う事は蒼海さんとは入れ違いになってしまったのでしょうか。
「蒼海? 蒼海がここに来ていたの?」
あっ、これは言っちゃ駄目な奴なのかもしれない。赤崎先輩がここに蒼海さんが来ていたのを知らないと言う事はそう言う事なんでしょう。
私は慌てて蒼海さんについて考え、あの年齢不詳な感じを話題にする事にした。私が見た感じだと三十代半ばに思えるのだけどどうなんでしょう。
「蒼海って幾つだったかしら? 里緒菜覚えてる?」
「蒼海さんは確か四十三だったと記憶しております」
意外と蒼海さんは年齢が行っていたんだ。そんな感じに見えないのはあの笑顔の影響もあるでしょうか。
「そんな事より今日は一人も
どこにいるか誰なのかも分からない人物を探すというのは難しいものだ。こればっかりは出会うまで地道に探索していくしかないでしょう。
「そうね。じゃあ、私は帰るわ。明日はぜっ・た・い・に忘れないように家に来なさい」
人差し指を私の額に押し付けて忘れるなよと言うアピールをしてくる。大丈夫。もう忘れたりなんてしない。
「そうそう、メイドはどうする? 使いたいのだったら置いて行くけど?」
メイドさんは帰ってもらった方が良いかな。私がダメ人間にならないためにも……ってメイドさん、そんな悲しそうな顔をしないで。決してメイドさんの働きが悪いから帰ってもらうって事じゃないから。
「そうなの? もし働きが気に入らなくていらないのなら私もいらなかったのだけど、違うなら連れて帰りましょうか」
危ない。私の何気ない一言で三人の女性が職を失う所だった。
「それでは針生様、失礼いたします。お食事は作って置いてありますので、お口に合うか分かりませんがお召し上がりくださいませ」
ホッとしたような顔をしたメイドさんを連れて赤崎先輩たちは帰って行った。
お腹も空いたので台所に行くと机の上にはメイドさんが作ってくれた肉料理が並んでいた。私がオーダーした肉料理なのだけど、私が思っていた肉料理ではなかった。
生ハム、ビーフストロガノフ、お肉のお寿司など様々な料理が並んでいた。どう考えても私の家にあるお肉だけでは作れないので、赤崎先輩のお屋敷から持ってきたのでしょうか。
「凄いな。綾那がこれを作ったのか?」
ヴァルハラが私の様子を窺いに台所に来たのだけど、勿論、私が作った訳ではない。こんな料理私では作れるわけがない。量もかなりあったので、保存ができそうなのは冷蔵庫に入れて後日食べるようにしましょう。
食事の後、私は自分の部屋に戻ると違和感があった。違和感が戻って来ていた。鍵が壊れていたはずなのに直っているではないですか。
私がリビングに降りた隙を見計らってメイドさんが直してくれていたようだ。私が部屋にいる時には音が出てしまうのでリビングに行った時に直すなんて凄い気の回しようだ。
そして、最後に目に入ったのが物を散乱させていた私の部屋が綺麗になっていた事だった。すべての物が仕舞われており、ベッドはホテルのようにメーキングまでされていた。
メイドさんを戻してしまったのは少し後悔したけど、絶対にダメ人間になる自信があるので、自分でちゃんとやろうと心に決めて休む事にした。
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