勘違いの五日目-3
本町の大通り沿いにある結構有名なお店に入った。お昼を過ぎていると言っても休日なので店の中は結構混んでおり、すんなり入れたのは不思議なぐらいだ。
ビルの最上階にあるお店は周囲が全面ガラス張りになっていて、そこから見える景色は雪もチラついており、神秘的な感じに思えた。
「ここのお店のバイキングは凄く美味しくて人気なのよ」
中にいる人の数を見れば人気店なのは良く分かる。僕も話には聞いた事があったけど、入るのは初めてだ。何せランチで五千円もするようなお店にはおいそれと入れるものではない。アルテアの分も合わせると一万円もかかってしまう。結構な痛手だ。
「私が誘ったんだから私が出すわよ。当然でしょ」
いや、当然じゃないだろ。アルテアの下着のお金も出してもらって、さらに食事ともなるといくら鷹木でも負担が大きすぎるだろう。
本来なら男の僕が全部出すと言いたい所だけど、流石に全員分は高校生の僕では無理だ。
「見栄を張らなくても大丈夫よ。こういう時のために芸能界にいた時のお金を貯めていたもの」
それなら余計にこんな事で使わない方が良い。折角貯めたお金なんだから将来のために使った方が良いはずだ。鷹木を何とか説得して僕は自分とアルテアの分を出す事で何とか納得してもらえた。
お皿を持って料理を取りに行くと、和食、洋食、中華、スイーツと様々な種類の料理が並んでいる。どれも美味しそうで、このレベルの料理を家で作るのは到底できないと思えた。
まずはサラダを取ってからお肉とか魚とかの料理を取っていく。食べられる分を取ってなくなったらお替りすれば良いやと思って席に戻ると、大量の料理をお皿に乗せたアルテアがすでに格闘していた。
そんなにいっぺんに持って来て食べられなかったらどうするんだと思っていたのだが、料理は見る見るうちになくなっていき、アルテアはお替りをしに行ってしまった。
もしかしたらアルテアは僕が作る料理の量が少なくて不満があるんじゃないだろうか。
「アルテアもシルヴェーヌもあんなに食べる癖にスタイルは一切崩れてないのよね。一体どこに吸収されてるのかしら?」
僕は逆にどこにも吸収されてないんじゃないかと思う。食べて体の中を通って出て行く。それだけのような気がする。
「ちょっと! 食事中よ。変な事言わないでよ」
確かに。食事中に話すような内容じゃないな。お皿の上の食べ物がなくなったので僕もお替りを取りに行く事にする。
結構の量をすでに食べているので、今まで食べた中で美味しかったものをもう一度と、スイーツを盛り合わせてそれで僕の食事は終了する事にしよう。多分、一人五千円の元が取れてないような気がするが、バイキングでそう言う事を考えたら負けだ。
アルテアたちもラストスパートと言わんばかりに大量の料理を持ち込んでいる。周りの目が少し痛いが本人が楽しんでいるのだから良しとしよう。
食事も終わり、大満足でビルを出る。鷹木もアルテアと随分仲良くなったようで楽しそうに話していて何よりだ。しかし、後ろを見ながら歩ていたらビルを出た所で人とぶつかってしまった。
僕もぶつかった人もお互い尻餅をついてしまい、鷹木が慌てて僕の所に寄ってくる。
「何してるのよ。後ろを見ながら歩くなんて危ないじゃない。ちゃんと謝りなさい」
僕は飛び跳ねるように起き上がり、ぶつかってしまった人の元に行くと「すみませんでした」と謝罪をする。
「いえいえ、私の方もちゃんと前を見ていなかったのが悪かったようです。お互い様と言う事でどうでしょうか?」
ニコニコと笑顔が特徴の壮年の男性だった。着ている服はちゃんとした感じのスーツで、僕と違って服のセンスが良いのが伺える。これはクリーニング代とかを出した方が良いのだろうか。
「ハハハッ。クリーニング代なんていただけませんよ。先ほども言いました通りお互い様ですから」
ふぅ。良かった。ただでさえ今月はさっきの食事代とかいろいろ出費をしているのでこれ以上の出費は非常に抑えたかったのだ。
「所でそこにいる女性は彼女さんですかな? なかなか可愛いお嬢さんじゃないですか」
ん? それは鷹木の事を言っているのか? 鷹木の方を見ると顔がニヤケていてとても元アイドルとは思えないような顔をしている。
ここでちゃんと彼女ではないと言っておかないとどこで誰が聞いているのかもわからないのでちゃんと否定して置く事にする。
「おや? そうなのですか? 君の持っていたその荷物は彼女の物かと思ったのだけど勘違いだったかな?」
僕の倒れた場所を見ると、僕が持っていた針生の下着が入った袋から下着が顔を出していた。
いや、これは違うんです。これは彼女の。ってそう言う実の彼女って意味じゃなく、女性としての彼女で、その彼女が僕の家に少しの間居候するから買ったもので決して同棲しているとかそう言う訳では。
なぜ僕はこんなにも一生懸命説明しているのだろう。見ず知らずの人のはずなのにいろいろ話してしまうのはこの男性の笑顔のせいだろうか。
「まあ、落ち着きたまえ。彼女とは付き合ってないけど、家で居候するからそのためにその下着を買ったとそれ良いのかい?」
僕は無言で何度も頷く。ちゃんと伝わってよかった。鷹木が頬を膨らませてそっぽを向いているが正確な情報を伝えれて僕は満足だ。
「そうですか。納得です。それでは私はここで失礼しますよ。お二人に会えてよかったです」
男性がビルから離れ、元来た道を戻って行った。あれ? 僕がビルを出た所でぶつかったはずだから男性はビルに用事があったんじゃないだろうか。僕は落としてしまった下着の入った袋を拾いながらそう思った。
「なかなか感じの良いおじ様だったわね。良い感じに年齢を重ねてきたんでしょうね」
笑顔が印象的な男性だった。こんな小僧の僕にも上からではなく同じ目線で接してくれたのは非常に気持ちがよかった。
食事もした事だし家に帰るとするか。結局、今日は
僕が家に向かって歩き始めると鷹木がまた腕に絡みついてきた。鷹木はコアラか何かか? 僕の腕はユーカリの木ではないぞ。
「釆原君の腕って掴みやすいのよ。私からするとちょうど良い感じだし」
基準が全く分からん。誰の腕だろうとそれほど変わらないだろ。未だに雪がチラつく中、足早に家に向かって行くと僕たちの前に蛯谷が立っていた。
珍しい所で珍しい人物に出会うものだと思ったのだが、蛯谷の顔を見ると厳しい顔をしている。どうしたのだろうと思ったが、僕の腕に鷹木が絡みついているのを思い出した。慌てて腕を振り払うがすでに時遅しと言った感じだった。
「釆原、俺が鷹木さんと付き合ってるって言うのは知っているよな?」
この状況を見られてしまえばそう言われるのも仕方がない。だが、決して僕の方から腕を組んでくれとかは言ってない。
「ちょっと! 私は蛯谷君と付き合ってなんていないわよ。変な事を言わないでよ!」
なんだこの状況。これじゃあ三角関係みたいじゃないか。僕は全く関係ないはずなのに。
「鷹木さんはちょっと黙っててください。俺は今、釆原と話をしているんです。釆原! 何とか言えよ!」
鬼の形相で僕を睨みつけて来ている蛯谷の感じからして誤解を解こうとしてもなかなか難しいと思えた。ああ見えて蛯谷は思い込みが激しいのだ。
さて、どうするか。これは一度、腰を据えて懇切丁寧に説明しないと分かってくれないだろうな。取り敢えず話せる範囲の話をしてみるが、蛯谷は全く納得してないようだ。
「分かった。もう良い。それなら俺と勝負しろ! 逃げるなんて許さないからな!」
何で勝負なんてしなくちゃいけないんだ。ただの勘違いなだけなのに。でも、もう止まらないんだろうな。それで勝負というのはどう言う物なのだろう。
「もちろん殴り合いだ! お前と俺のどちらが鷹木さんに相応しいか勝負だ!」
あぁ、やっぱり蛯谷は馬鹿だ。殴り合った所で何も生まれないだろ。それなら話し合いの方がよっぽどましだ。
「どうするの? 蛯谷君あんな事言ってるよ。どう考えても勘違いなのに」
そうなんだけど言い出したら蛯谷は聞かないからな。鷹木には悪いが、先に帰ってもらう事にする。これ以上鷹木が一緒にいると纏まる物も纏まらないような気がするし。
「大丈夫? なんだかヤバそうよ」
相手が
荷物を渡し、鷹木と別れた後、蛯谷は「付いて来い」と言って歩き出した。雪も降っているのであんまり遠い所には行きたくないのだが、蛯谷に連れて来られたのは本町から外れた所にある河川敷だった。
雪のチラついている河川敷には僕たちの他には誰もおらず、空の暗さも相まってどこかの廃墟にでも来たのかと思えるほどもの悲しさが伝わってきた。
「正直言うと俺もあの告白で鷹木さんと付き合えたのは信じられなかったんだ」
そりゃそうだろ。あんな告白の仕方でOKだと思える方がおかしい。
「だが、俺がムカついているのは、そんな事を知っておきながらお前が鷹木さんと腕を組んで歩いていた事だ。実際はどうであれ友達が付き合ったと思っていたんだからそこは気を使うべき所だろ」
蛯谷の癖に正論を言ってくる。まあ、そこは僕も気を付けなければいけない所だったと思う。
「そう言う訳で勝負だ。手を抜く気はないから覚悟しろよ」
蛯谷の喧嘩の実力は知らない。逆に言えば蛯谷も僕の実力は知らないだろう。僕は今まで喧嘩なんてした事がなく、授業でやった剣道や柔道が良い所だ。
「ツムグ、私が相手をした方が良いでしょうか? 彼の実力なら一瞬で勝負が付きますけど」
止めてくださいアルテアさん。あなたが戦ってしまうと一瞬で勝負が付くのではなく、一瞬で蛯谷が死んでしまいます。
残念そうな顔をするアルテアを下がらせると、蛯谷はガードを高く上げ、小刻みにステップを踏み始めた。意外と喧嘩が強いんじゃないかと思えるほどの風格を漂わせている。
蛯谷が地面を蹴ってチラつく雪を諸共せず僕に向かってくる。振り上げられた拳が僕の顔面にめがけて飛んでくるが、僕は余裕を持ってこれを回避する。
僕が見たアルテアの動きとは雲泥の差だ。普通の高校生と
何度蛯谷が攻撃して来ようが攻撃が僕に当たる事はない。そして、攻撃と言うのは当たらないと非常に体力が奪われるものだ。
「ハァ、ハァ、お前、何か武道でもやっていたのか? 攻撃が当たらないなんておかしいだろ」
そんな事を言われても蛯谷の攻撃が遅いだけで当たらないのは僕のせいじゃない。
肩で息をする蛯谷が力を絞って僕に攻撃してくる。流石に手を出さないというのも勝負と言う以上侮辱しているように思えるので僕からも攻撃をする。
顔を殴るのは何となく躊躇われたため、僕は蛯谷の攻撃を左手でガードして空いているお腹にアッパーを打ち込んだ。
「グホッ!」
僕の攻撃をお腹に受けた蛯谷はゲホゲホしながらよろめいて後ろにさがるとお腹を押さえて両膝を地面に付いた。
「あぁ、痛てぇ。滅茶苦茶痛てぇ。痛てぇけど、やる気が出て来た。絶対お前を倒してやる!!」
どうやら僕が攻撃をしてしまったせいで蛯谷は更にやる気になったようだ。できればそのまま心を折られて欲しかったのだが、そんな都合よくは行かないか。
息を吹き返し、攻撃してくる蛯谷だが明らかにさっきよりもスピードは落ちていてお腹の一撃が効いているように思えた。それでも必死に腕を振り、足を伸ばして来る蛯谷をこれ以上見るのは忍びないように思えてきた。
お腹の攻撃でも心が折れないのなら顔面に攻撃を入れるしかない。僕の拳が蛯谷の顔面を殴りつける所を想像すると恐ろしくなるが、やるしかない。
蛯谷の拳が僕に向かってくるところをギリギリで躱し、カウンターのような感じで僕は蛯谷の顔面に拳を叩きつける。
殴った衝撃が骨を伝わり、僕の頭の中に不快な音を響かせる。殴った拳は赤く腫れており、今もジンジンと脈を打っているのが分かる。人を殴るというのがこれほど気分の悪い物だと初めて分かった。
地面に大の字に倒れた蛯谷が大きな声を上げる。
「ちくしょぉぉぉぉぉぉぉ!!」
自分の不甲斐なさなのか僕に殴られた為なのか分からないが、蛯谷は泣いているように思えた。
「俺の負けだよ! 早くどっか行っちまえよ!!」
ここで蛯谷に近づいて介抱をするほど僕は空気の読めない人間ではない。
「あの男性を放っておいて良いのですか?」
アルテアが立ち去ろうとする僕に付いて来ながらそう声を掛けてくるが、今回で言えば何もせずに立ち去るのが正解だ。男同士が真剣に殴り合った結果であってその誇りを汚してはいけない。
僕はアルテアの問に答えることなく、そして、決して後ろを振り返る事なく河川敷を後にして家に戻った。
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