間違いの四日目-1


 朝、目が覚めると僕は重い体を擦りながら針生が泊まる予定だった部屋に行ってみた。

 当然だが針生は部屋にはおらず残された荷物が物憂げに僕を見つめてくる。何となくだが朝から重い気分になってしまった。

 針生の部屋を後にし、僕は居間に降りて行く。アルテアはすでにパジャマから昨日買った服に着替えており、何時でも出発する準備はできているようだ。


「おはようございます。私は何時でも大丈夫ですので出かける時は声を掛けてください」


 そうは言っても僕たちの朝食と、母さんの晩御飯がまだなので、それが終わってから出かける事になる。


「ただいまー。お母さんが帰ってきましたよー。あれ? やっぱり綾那ちゃんと優吾さんは戻って来なかったの?」


 母さんは帰って来るなり居間を見渡すが、針生たちが居ない事に落胆する。


「紡ちゃんが綾那ちゃんに何かしたんじゃないの? お母さんが寝ている間に孫を作ろうとしたりとか? それなら別に綾那ちゃんが怒るような事ないわね……。じゃあ、綾那ちゃんの下着の匂いを嗅いでいて見つかったとか?」


 安心してくれ。あなたの息子は子作りをした訳じゃないし、針生の下着の匂いを嗅いだ訳でもない。そもそもアルテアも父さんも居るのにそんなことできる訳ないだろ。


「確かに。アルテアちゃんは混じってもらっても良いけど、優吾さんが混じるのはお母さんちょっと嫌かな」


 自分の配偶者が他の女性と事を起こそうとするのに「ちょっと」嫌なだけなんだ。


「お母さんは優吾さんの事を信じてるし、最後にはお母さんの所に戻ってきてくれるって思ってるからね」


 さいですか。本来なら父さんはもう死んでしまってるわけだし、そんな事にはならないと思うけど、母さんがそれで大丈夫ならそれで良いや。絶対にそんな事にならないのは分かっているし。

 僕は母さんの晩御飯と僕たちの朝食を作りに台所に行く。母さんの晩御飯は煮込みハンバーグだ。昨日作っておいたハンバーグにしめじ、スライス玉ねぎを炒め、ケチャップやウスターソースで煮込みソースを作っていく。

 煮込みすぎるとハンバーグが固くなってしまうので、ハンバーグが良い感じに煮込めたら完成だ。余ったハンバーグは僕たちの朝食に使用する。パンにハンバーグを挟んでハンバーグサンドを作ればすべて完了だ。


「わー。煮込みハンバーグだー。お母さん、煮込みハンバーグ大好きよ」


 うん。知ってる。ピーマンさえ入ってなければ母さんは何でも美味しく食べてくれるのだ。

 僕たちは朝食を食べ終わるとすぐに家を出る事にする。釼さんから来てくれと言われた時間は意外と早い時間で、家から歩いて行く事を考えるとこれぐらいの時間に出ないと間に合わないのだ。


 指定されたビルに着いたが、正直言って小汚いビルだった。入り口の周りにはごみが散乱していて、壁には落書きがされていた。

 汚い入口とは別に下に降りる階段への口が開いている。釼さんの連絡では地下の部屋と書いてあったので、僕たちは入り口ではなく、下に降りる階段を使う。

 下まで降りると扉があり、その前には釼さんと同い年ぐらいの男性が立っていた。少しビビりながらも釼さんに用事があると男性に伝えると部屋の中に入って行った。

 男性は耳に沢山のピアスをしており、服の下からタトゥーが見えていた。そう言う見た目だけではないが、ガラが良いとは決して思えるような男性ではなかった。


 暫くドアの前で待つと中から釼さんの声が聞こえ、部屋に入ってこいと言う事だった。何となくだが、僕は針生の言う事を聞かなかった事に後悔をし始めた。

 部屋の中には机やソファーが置いてあり、釼さんの他には三人の男性がソファーに座って寛いでいた。その視線は僕を品定めするような眼で、ガムを噛む音が非常に耳障りだった。

 釼さんの後ろにはシェーラもおり、この中に女性一人と言うのは心配になるが、実力的にはシェーラの方が上だろうから平気だろう。


「よう! 釆原。こんな早い時間に悪いな。折角なんで俺の仲間も紹介しておこうと思ってな」


 そう言って紹介された仲間は先ほどドアの前にいた男に、坊主頭の男、ドレッドヘアの男の三人で、その全員が荒っぽい感じがする。

 正直、こういう人たちと一緒にいるのは嫌だなと思っていると奥にある部屋の中から女性の声が聞こえてきた。


「お願い! 薬を……薬をちょうだい!」


 ドアを思いっきり叩いているようだが開かない所を見ると鍵が掛けられているのだろう。


「驚かせちゃったかな? 彼女は僕たちが売った薬のお金が払えなくなってね。返済が終わるまで体で払ってくれるって言うからここで生活をさせてあげているんだ」


 いや、明らかに軟禁、いや、監禁だろ。釼さんは普段話している分には少し横柄な態度感じなだけなのだが、裏ではこんな事をやっていたんだ。これは針生の言った事が正しかったな。


「そんな目で見ないでくれよ。借りたお金を返せない彼女が悪いんだから。俺たちは彼女がお金を払ってくれれば解放するつもりだよ」


 多分、部屋の中の女性が解放される可能性はほとんどないだろう。もし、解放されるときがあるとしたらその時は女性として使い物にならなくなった時だ。

 針生の忠告を聞かなかった自分に嫌気がしてくる。すぐにでも同盟を解消してここを離れたいが、今はその時ではない。

 アルテアなら男どもも相手にはならないだろうが、シェーラが居るのだ。戦うとなったらアルテアはシェーラの相手をする事になるので、僕が釼さんを含む四人と戦う事になってしまう。喧嘩に自信のある訳でもない僕には四人相手は無理だ。


「それで、今日釆原に来て貰ったのは昨日、他の使徒アパスルを見かけたんだよ。それで今日一緒にそいつを探そうかなって思ってな」


 昨日僕たちが探した時には全く見つからなかったのに釼さんは見つけていたんだ。やっぱりタイミングって大切だよな。


 奥にいる女性の事も気になるが、今は我慢してもらおう。一人になったタイミングで警察に連絡するから。

 僕たちは本町に向かうために部屋を出た。アルテアとシェーラには離れて付いて来て貰う事になった。一緒に行動しているとこちらも相手を見つける事ができるが、相手にも見つかってしまうのからだ。

 本町を探す事数十分。人だかりの出来ている所に出くわした。何かを中心に円を描くように人垣ができており、有名人か芸能人でも居るのかと思えるほどだった。


「おっ! こいつだ。昨日見た奴だ。釆原も見てみろ」


 そう言って釼さんはスマホの写真を見せてくれた。あの円の中心にはサイドテールの女性と緑色の髪の女性が立っているようだ。それにしてもこの写真はどうやって手に入れたのだろう。


「そりゃシェーラにもスマホを持たせているからな。ビルの上から写真を撮ってもらったんだ」


 マジか。シェーラもスマホを持っているんだ。しかも写真を撮って送ってくるなんて僕よりスマホを使いこなしているんじゃないだろうか。

 僕もアルテアにスマホを持たせた方が良いのだろうか? 問題はアルテアがスマホを使えるかだが、教えれば何とかなるような気がするな。


「それじゃあここは釆原に行ってもらおうかな。サイドテールの方にこれを打ち込んできてくれ」


 僕が渡されたのはペン型の注射器だった。インシュリンを打つときに使う注射器だったか? それをどうして釼さんが……と言うのは考えなくとも分かる。


「この中には薬が入っていて、女性に打ち込めば使徒アパスルが居ようが関係ない。俺たちの言う通りに動いてくれるぜ」


 薬に依存させて自分たちの思うままに操ろうと言う事か。でもこれは釼さんから離れるチャンスだ。僕は釼さんの指示に従い人混みの中に近づいていく。

 人を掻き分け、苦労しながらもどんどん進んでいき、やっと中心部辺りまで来た僕が見たのは写真に写っていた通り鷹木だった。確か鷹木は元アイドルだったはずで、この人たちは鷹木を見つけて集まってしまったっぽい。

 鷹木は僕に気付いたようで、こちらに助けを求めるようにやって来るが、この人混みで鷹木が近くに来た事によって僕は後ろにいた人に押されてしまった。

 後で人に見つからないように捨てるにせよ、こんな所で捨てられないので、注射器が落ちてしまわないようにポケットに入れ握っていたのだが、後ろから押されたせいで針が鷹木に刺さってしまった。


「痛ッ! えっ!? 何?」


 急に痛みに襲われたためか声を上げた鷹木だったが、意識を失い、その場に倒れ込んでしまった。その姿を見た周りの人が一斉に悲鳴を上げ始め、周囲はパニックになってしまう。

 ヤバイ。僕は倒れる鷹木を抱きかかえるが、鷹木は意識を失ったままだ。鷹木に声を掛けようとした時、隣にいた緑髪の女性に蹴り飛ばされた。


「愛花音! 大丈夫ですか!?」


 女性に蹴られ、倒れてしまった僕の耳に女性の声が聞こえてくる。女性は鷹木の安否を確認すると僕に視線を向けてくる。その視線は間違いなく僕を敵とみなしている感じだ。

 僕は危険を感じ、すぐに立ち上がるが、遅かった。女性は僕に向かって既に目の前まで来ているのだ。今度は蹴りではなく、拳が僕の顔に向かって来ている。何とかガードだけでもと思って目を瞑って両腕を上げてガードするが、腕に衝撃が来ない。

 ゆっくりと目を開けると女性と僕の間にアルテアが立っており、女性の攻撃をアルテアが防いでくれたのだ。


「ツムグ! ここで戦えば被害が広がってしまいます! ここは一旦引きましょう!」


 賛成だ。こんな人が多い中で戦えば必ず巻き込まれてしまう人がいる。だが、鷹木をこのまま放っておく訳にもいかない。僕のせいで鷹木が倒れてしまったのだ。

 アルテアの横を通り抜け、鷹木の所に駆け寄り、抱きかかえる。お姫様抱っこになってしまったが本人は気を失っているので大丈夫だろう。


「釆原、良くやった。その女を俺に寄越せ」


 冗談じゃない。鷹木を渡せるわけがない。不慮の事故とは言え、僕が打ち込んでしまった薬のせいで鷹木はこんな状態になってしまったのだ。


「あっ? お前何言ってるの? 俺を裏切るって事? 覚悟はできてるんだろうな?」


 裏切るんじゃない。同盟を解消するだけだ。こんなやり方をやる人間とは一緒に戦っていられない。


「あっそ。使えねぇ奴だな。シェーラ! この男を殺してしまえ!」


 遠くにいたはずのシェーラが釼さんの隣に現れた。アルテアもいつの間にか僕の所まで来ていたのでシェーラが隣に現れたとしても驚きはしない。

 問題はこの状況から鷹木を抱えたまま逃げきれるかどうかだ。アルテアは緑髪の女性の相手で手一杯のようで僕を助けてくれる可能性は低そうだ。

 ジリジリと後退りする僕との距離を開けないようにシェーラが近づいて来る。正面のシェーラだけに注視してしまった僕に横から急に衝撃が加わった。脇腹を襲った衝撃に顔をしかめながらも体を捻り、鷹木が傷つかないように倒れた。

 完全にシェーラにだけ意識が行ってしまっていたため緑髪の女性の事を失念してしまっていた。アルテアの攻撃を掻い潜って僕の方に来たようだが、僕に攻撃をしてくれたおかげでアルテアがフリーになった。

 倒れている僕に一瞬で駆け寄り、鷹木を抱えている僕を抱きかかえる。二重お姫様抱っこと言う言葉があるか分からないけど、そんな感じだ。だが、二人を抱えた状態ではアルテアはスピードが出ないようだ。


「駄目です。追いつかれます。一旦、あの公園で降ろします」


 戦っていた所の近くの公園でアルテアは僕を降ろしてくれた。脇腹は痛むが立てないほどではないので鷹木を抱えて立ち上がる。

 アルテアの前には緑髪の女性とシェーラが並んで立っている。ここで二人が戦ってくれれば楽なのだが、狙いは僕と鷹木なのでそんな都合の良い事は起こらない。

 最悪、鷹木を地面に寝かせ、僕もアルテアと一緒に戦うかと考えていると、鷹木が声を出した。


「シルヴェー……ヌ。釆……原君を……攻撃……しな……い……で」


「愛花音! 意識を取り戻したのですか!?」


 鷹木はそう言い残し、再び気を失ってしまった。でも助かった。これで緑髪の女性……シルヴェーヌは僕を攻撃してこない……と思う。

 さっきまで戦う気満々だったシルヴェーヌはどうやら悩んでいるようだ。


「頼む! 僕たちを助けてくれ! 早く鷹木の治療をしたいんだ! こんな所で戦っている場合じゃない!」


 どこまで僕の言葉が届くか分からないが、シルヴェーヌに向けて声を掛けてみた。


「もしこのまま愛花音の状態が良くならなかったら首を差し出しなさい。それが条件です」


「ツムグ! いくら助けるためとは言え、そこまでの条件は……」


 僕は「分かった」と言ってアルテアの言葉を遮った。それぐらいの覚悟で鷹木を助けるんだ。

 僕の言葉を聞いたシルヴェーヌはシェーラから離れ、アルテアの横に並んで立つ。二対一になった事でシェーラは苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「貴様ら覚えておけよ。私をコケにした事必ず後悔させてやるからな」


 そう言うとシェーラはこの場から立ち去ってくれた。流石にこの状況では不利と判断したようだ。良かった。何とかこの危機的状況は回避できた。

 だが、僕は完全には安心できない。鷹木を元の状態に戻さなければシルヴェーヌに首を差し出さなければならないのだ。


「えぇ、愛花音が治らなければ覚悟をしてください」


 こんな所で治療なんてできないので取り敢えず僕の家に連れて行こう。僕が鷹木を抱えたままでは時間が掛かってしまうのでシルヴェーヌに鷹木を手渡し、付いてくるようにお願いする。


「分かりました。貴方たちに付いて行けば良いのですね? 逃げたらどこまでも追って殺しますから」


 逃げる気はないのでそれは大丈夫だ。スピード重視と言う事で僕はアルテアにおんぶをして貰い家に帰る事にする。ちょっと恥ずかしいが今はそんな事に構っている余裕はない。

 僕一人程度ならおんぶをしてもアルテアのスピードはそれほど落ちていなかった。シルヴェーヌも付いて来ているようだし家に着いたら鷹木の治療を始めよう。


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