第3話 グッドラック 5
響く、電車が走る音。白い景色を駆け抜けて待ち合わせの場所へとわたしを運ぶ。なぜかドキドキした。会うのがこんなに怖く思う。
待ち合わせにはいつも早めに行っていた。待つのはどちらかというと嫌いだけど、待たせるのはもっと嫌だった。だから二人はいつも時間より早く落ち合った。
今日も、早く家を出た。自宅から四十五分で着くというのに一時間半前に玄関のドアを開けた。その空気はどこか澄んでいて、でもチクチクと痛い冷たいもので。深呼吸してから歩く。キュッ、キュッと雪を踏む音がした。その時からドキドキが止まらない。
わたしは単語帳を見る。忘れてないかを確認する。でも、落ち着かなくて。外の景色を見ている時間の方が長かった。白の景色はどんどん後方へ遠ざかっていく。時計を見る。十時二十分。今日も早く着きそう。電車は街へと向かっていく。
札幌駅に着いたのは十時四十分だった。人で混み合うホーム。階段を下りていく。改札を抜けて、待ち合わせの場所の方を見ると目があった。
タケくんはそこにいた。嬉しそうだけど、でも申し訳なさそうな、そんな顔をしてそこに立っていた。わたしはそこに向かって歩く、歩く。
目の前まで来た。タケくんはこっちをずっと見ていた。
「ごめん。
そして来てくれてありがとう」
そうタケくんは言った。
「うん、わたしはここに来た」
わたしは、わたしのことを言った。
「じゃあ、仲直り」
「そうだね」
二人で笑えた。手をつないだ。
この後、わたしはまたあの五人に会って、みんなで神社に初もうでに向かったのだけれど、それもまたいい思い出のひとかけら。
また週に一度ほどタケくんと会っていた。一月のセンター試験を終え、休む間もなく受験対策をした。タケくんは励ましてくれたり、教えてくれたりとわたしを手伝ってくれていた。
二月に入って、一つだけ私立の受験をし、雰囲気に慣れようとした。でもやはり緊張してしまう。解き終わって振り返ってみたときにつまらないケアレスミスをいくつかしていることに気付く。悔しかった。
本命の大学受験の三日前にタケくんに会った。そのとき
「大丈夫、受験勉強しっかりやったんだろう。なら大丈夫。合格の発表を、聞きに行くから。いつも待ち合わせしてたあの場所で。発表の日にここに来てよ。いい知らせ待ってるからさ」
と言われたことを胸に本番。一人で飛行機に乗って内地へ。
その日はすごくは緊張しなかったなと思える。どこか吹っ切れたようにいい緊張感で受けることができたと思う。
結果が少しすると出るんだなって思うと、不思議な気分だった。
気づくと一番寒い季節が通り過ぎようとしていた。
合格発表はネットで見る。不思議とそんなにドキドキしていなかった。落ちたらどうしようか決めてなどいなかったけれど。ずっしりと構えられていた。
午前十時、発表の時間。大学のサイトにアクセスすると急に心臓が鳴り出した。やはりドキドキしちゃうなって笑ってしまう。わたしは冷静沈着な女だ、ってそう決めてたのに緊張が収まらない。志望校合格判定はAやBばかりだったんだから大丈夫に決まってると自分に言い聞かせて、合格者の受験番号が書かれているというデータのファイルをダウンロードする。カチッとなるマウス。パソコンの動いている音。わたしの心拍。それらしか聞こえない。
そこにはわたしの番号があった。頬が緩む。笑ってしまう。そして少し悲しく思える。わたしはタケのいるところから離れることを決めてしまうのだ。夏至の日にした決断。それが妙に疎ましくあって、自己嫌悪。でも、行ってみたい。大学。学んでみたい。そんな無理に作られているような感情を無理に焚き付けて。本心だったはずなのに。
親に報告。本当にお世話になったなといまさら思う。わたしは二年も心配させた。そのことも話すと母は「何言ってるの、今、元気ならそれが一番うれしいよ」と言ってくれた。足を向けて寝られないなって、そう思う。
彼らにも、沙織と飯田くんにメールを送ろう、『結果、どうでしたか。わたしは、みんなのおかげで合格しました(ピースマークの絵文字)』
すぐに沙織から返信が来た。『わたしは志望校受かった! けど飯田大輔は落ちた! でも、あいつ、私立受かってるし大丈夫だし、後期はわたしが前期で受かったとこ、受けるんだって。ケンカうっとんのか』笑った。よかった。
凪の家に向かった。インターホンを押す。凪が出た。
「朱音です」
「あ、あかね、今あける」
とすぐに凪がドアを開けた。
「朱音、あがって」とワクワクしているような、でも、ちょっと不安そうな態度でわたしを家へと迎える。
リビングで、単刀直入に聞いてきた。
「どう?」と聞かれたが、わたしには余裕があったから、
「最近は元気だよ、事故にもあわなかったし」と言う。
「そうじゃなくてさ、って朱音ってたまにわかりやすいよね。合格おめでとう」
「ありがとうございます」
「じゃあ、関東に行っちゃうのか」
「そうだね」
「タケルさん、おいてっちゃうの」
「そうだね」
「奪っちゃうよ」
「やってみなよ」
わたしたちは、笑った。たぶん、きっと、これからも親友。のはずだ。
約束の場所へ向かう。待ち合わせの場所へ。走る電車は雪野原を駆ける。晴れ渡った空の青と地を覆う雪の白とのコントラストが印象的だった。わたしはこのいまの景色を忘れるのことはないのではないかな、って思う。
待ち合わせの場所に時間より早く来たというのに、そこにはもう、タケくんが待っていた。
タケくんの目をまっすぐ見て。
「受かってた」
わたしは告げる。
「よかった」
嬉しそうに、タケくんは言った。わたしたちは握手して、それから抱擁した。あとから聞くと、抱擁はタケくんがわたしの栄誉を称えた、つもりらしかった。
これからは時間が経つのが早かった気がする。入学の手続きと、住む部屋を決めに向こうへ行く。オートロックの、ちょっとばかし家賃が高いけど気に入った部屋を選ぶ。おとうさんおかあさんごめんなさい。ただでさえ、二年間も眠っていたわたしをこんなに気にかけてくれて。このまま死んだらとんだ親不孝者だなと思う。
帰ってきて、持っていくものを決める。お気に入りの服やCD、本、アクセサリ。そういったものを部屋に並べ、いるもの、置いていくものに分けた。
気づくと、向こうに住み始めるまであと五日ほどで、それらは遊ぶのに使った。
まず、沙織と飯田くんに会った。飯田くんは後期試験で見事に合格したようで「またこいつと同じ大学行くんかい」と沙織はそれは嬉しそうに愚痴ってた。また付き合うことになったらしい。それは、わたしも嬉しいなって思う。
次に、家族で旅行に行った。日帰りだけれども。感謝の言葉。「本当にありがとう」事故にあって、二年間眠って。でも支えてくれた。そんな両親に。それしか言えなくて。『もういいよ、そんなこと言わなくて。親なんだから当然だ』って何度言われたことか。嬉しかった。
そして凪と遊びに行った。二人っきりで遊びに行くことなんて、いつ振りなんだろうかと、思う。凪は「いやあ、必修の単位、落としそうになったあはは」って笑っていた。いや、笑うところかなって思うけど。楽しかったから、凪も笑ってたから、わたしは嬉しい。
さらに、あのときのクラスメイト、タケくん、茉里、いちる、カツオ、吉村くん、寺井くんと、遊びに行った。茉里と同じ大学に行くことになったことを言うと、「わたし、先輩か。朱音、敬語を使いなさい。ご飯はおごらないけどね」って嬉しそうに言った。だから私も嬉しいよ。
前日にはタケくんと会った。タケくんは、どこか寂しそうで嬉しそうで。わたしたちは二人でその日を過ごした。それは、どこか温かで、タケくんはやさしくて。嬉しくて。
出発の日。家族と空港へ向かう。大きなスーツケースにはお気に入りの服と本とCDなどが入っている。旅へ出るみたいって、思う。
家族でご飯を食べた。もう、しばらく一緒に食べれないのかと思うと、どことなく変な気分だった。
スーツケースを預ける。終わって保安検査場へと向かう、そろそろお別れかなって思うと、タケくんがいた。びっくりした。タケくんはわたしに向かって言葉をかける。
「来ちゃってた」
「来る気はしてた」
ふふっと笑う。家族の前で恥ずかしかったけど、嬉しくて。
「でも、もう出発なんだ」
嬉しいけど、とても残念で。
「そっか、じゃあ、さよならだ」とタケくんは言う。
「うん」
するとタケくんは、こっちを向いて、
「また。会いに来てよ。会いに行くよ。だから、また。またね」
「うん」
保安検査場に向かう。後ろを思わず振り向くとタケが手を振っていた。わたしもふり返す。こんなに好きだったっけって思ってしまう。こんなに、こんなにも好きだ、大好きだという感情を抱かないで今まで付き合っていたのかなって思う。どんどん気持ちが抑えられそうもなくて、次、振り返ったらもう前に進めなくなると思って。
保安検査場を抜けて、搭乗口も通り、飛行機へと乗った。外を見たくて予約しておいた窓側の席へ座る。
離陸すると地面がどんどん離れていく。それなのに、わたしの気持ちはどんどん強くなっていく。
どうして、なんで離れようとしたのだろうと悔やみだす。
あのときした決断を悔やみだす。こんな気持ちになるなんて。
また凪がタケくんに手を出しちゃ困るなって思う。
なんでいまさら。
好きだったんだなって。
すごい、大好きだったんだなあって。
お別れだ。ハッピーエンドとの、お別れだ。でも、まだ私の話は、まだ続くから。
第3話、終わり
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