第3話 グッドラック 3
北の地のやはり短い秋も終わり、ときに氷点下の気温になった。霜柱を踏むと思わず童心に帰り、楽しく感じてしまうような。雪虫が湧いて、服に白いシミがつくことを気にしてしまうような。そんなころ。初雪はもう一か月も前に降っていた。もう冬。
タケくんとケンカした。ケンカをするほど仲がよいっていう。ただ、このケンカはそんなことをいえるような軽いものではなかった。
事の発端といったら、受験、なのだろう。場所はいつもの喫茶店だった。強いて言うなら、タケくんはこの日、会った時からどこか変な感じ、だった気がする。どこか、いらついているような。
そもそもタケくんは基本的に遅刻しないし、ピッタリまでに間に合いそうもなかったらメールをくれるような人なのに、なぜか今日は連絡なしに五分遅れた。別にそれで怒っているわけじゃない。まだこの時は、「珍言だもの、遅刻することもあるじゃない」くらいの考えだった。
あとこの日はいつもより生返事が多かった気がする。気のせいだろうか。気のせいかもしれない。そういう日だってあると思う。でも、なんか全体的に、相対的に、抽象的に、なんとか的に違和感があった。そんな日だった。
特製パフェも終盤、一番底のバニラアイスにさまざまな甘美なクリームやソースやが乗った、至福の一口を味わっているところにタケくんが話す。
「お勉強は、順調かい」
わたしは、タイミングの悪い問いかけに対し、少しイラっと来つつ返事をする。
「まあ、まあ、いい感じだと、思うよ」
「なんで、ちょっと怒ってるわけ」
「最後の一口を邪魔されたから」
タケくんはわたしの上の方を見て、少し考えた風になってから、
「そっか、ごめんな」と言った。
アイスティーを口に含む。
「勉強は、まあ、順調だよ」
「判定とかはどう」
「CとかDとか」
「まだまだじゃん」
「まだまだって、前はDとかEだったから、伸びてきてるし、手が届くようになってきた感じなんだけど」
タケくんは、黙って何かを考えていた。そしてこう言った。
「まだまだだよ」
後から思うと、わたしが不機嫌だったこととか、その発言の前に邪魔されたこととか、それらが蓄積していたのだろう、とてもいらだってしまった。
「なんでそんなこと言うのさ」
「そう思ったから」
「頑張ってるのに」
「頑張ってるって言えるうちはそんなに頑張ってないんじゃないのかな」
わたしは声を失ってしまった。タケくんを睨む。
「俺のいるところから、離れようとしてるんだから、さ。それくらいの気概、見せてよ」
思えば、タケくんらしくない言葉ばかりだったかもしれない。
「もっと、できるでしょ。確実ってくらいにしようよ」
「タケくんに、なにが分かるってのさ」声を張ってしまう。
「もちろん分からないさ、分からないよ」
「いいよ、もう。帰る。お金も私が払う」
で、帰ってしまった。
でも、絶対にタケくんは、わたしを怒らせてきたんだと、思う。
そうでなければ、実は別れたいのか。
毎週のようにタケくんに会っていたというのに、二週間も会ってなかった。札幌ではもう雪が積もり始めた。気を紛らわすように勉強をしていた。見返そうと思った。そんな感じだった。
そしてわかったこと。わたしは、まだやれたんだと。まだどこかで、今回で受かろうって気概がなかったんだなって。過去問を解いてみて、二週間前より出来がとてもよくなった。間違えたことを再び間違えるケースがぐっと減っていた。だからこそ、思うところがあって、でもやはりタケくんに連絡することはなかった。きっかけはわたしかもしれないが、わたしがケンカの原因になったわけじゃない。タケくんが怒らせた。だからこそ、向こうから謝ってきてほしい。そんな意地を張っていた。
そんな感じでタケくんに会う予定がすっぽりなくなった私は、沙織と映画を見に行く約束を取り付けた。
「ええ、いいの。彼氏いるんじゃなかったの、会わなくていいの」
みたいなことを言われたけど、まあ、仕方ない。
当日になって、見た映画はアニメ映画。その監督は最近人気が出つつあるアニメ映画の人。
「今回のは、地味な感じだったよね」と沙織が言った。
「まあ、でも、わたしはこっちの方が好きかなって」
「前の作品の方が好みだけどな」と前作の映画のタイトルを言う。
「それも面白かったよね」
「やっぱり、戦うところがないと、燃えないから」少し仏頂面気味。
「血の気が多いこと。沙織らしい」
「まあね」誇らしげにそう言った。
この辺でいい喫茶店とか知らないの、って聞かれたから、いつもタケくんと会ってるところに行くことになった。そういえば、タケくんと以外にこのお店に来たことはなかったな。
入店と同時に沙織が言った。
「ここ、彼氏と以外に来たことなかったでしょ、良かったの」
えっ。
「えっ、なんで、いや、そんなこと」知っているのかと。
「私、この店で朱音と彼氏さんが話してるの、何回か見たことあるの」
「えっ」
自分らしくもなく、動揺している、と思う。
「やっぱりそうか。純情じゃないふりみたいな感じを装って、やっぱり純情なわけだ朱音ちんは。大事なものをしまい込んで、台無しにされそうになったら、壊してしまいたくなるような、そんな心を持った人だ」
沙織の、彼女らしくない言葉に、わたしは言い返すことができない。そして、彼女の言っていることが、的を得ているような気がして、上手く話せなかった。
「そうやってさ、意地、張らないでさ。ワタクシに話してごらんなさいよ、彼氏と会わない理由」
ああ、もう。
「私だって、誰だって分かるよ。急に雰囲気違うもん。別れたとか?」
どうしてこう、この人はお節介なんだろう。少し、落ち着いてきた。
「わかった。たぶん、次は沙織、こういうんでしょう。『話した方が、楽になる』」
わたしは、わたしの店舗を取り戻すべく、そう言った。
「朱音っちはこう言うね。『よく、そう、ずけずけと人の話につっ込んでくるよね、嫌われないの、って言ったらこう言うんでしょう。【私はそういうことを聞く相手をちゃんと選んでるから】って』ってね」
「ちょっと、複雑すぎて何言ってるか、よくわからなかった」
「私もよく噛まずに、最後まで言えたなって思ってる」
沙織ははにかんでそういった。
ここまで沙織が言ってくれているんだ。だから、言ってしまおう。
そう思って、わたしは沙織に話した。タケくんとケンカした事実を。タケくんがわたしを怒らせたという推測を。
「そうだね、わざと怒らせたのかもしれないね。別れるつもりなのかもしれないね」
と沙織は言う。わたしは黙っている。
「でもさ、きっと、そのタケくんとやらはさ、朱音のこと、好きなんだと思うよ。本当に。ホントのホントに。だからこそ怒らせた、かもしれないよね。まあ、彼に会って話をしなきゃ、きっと分からないことだろうけどね」
沙織はいいやつだった。
「たぶんさ、タケとやらがまだ朱音のことが好きだっていうなら、きっとまた、連絡くれるよ。それまでさみしいなら、私たちがいてやんよ」
「『たち』って、だれ」
「もちろん私と飯田のヤローだね」
はっはっはと、勇ましく彼女は笑う。
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