第3話 グッドラック 2

 七月も下旬にさしかかり、北海道といえどもそこそこ暑くなり、服もさすがに長袖ではきつくなってきたころ、ついに予備校の夏期講習が始まった。さすがに実質三浪では知ってる人などおらず、周りの受講生たちが会話をしている中、わたしは浮いているように感じた。でも、自分の決めたことだと、強く言い聞かせ、ガンバル。ガンバロー。バンガロー。

 最初の四日間はなかなかに孤独だった。どことなく、みんなが出しているような緊張感に、わたしも緊張させられ結構疲れていた。次の日は休みだったが、タケや凪は期末試験の勉強があるからむやみに声をかけづらく、わたしも疲れ切っており、会うことはなかった。

 久しぶりに授業を受けるということに慣れてきたころ、席を立ち教室を出ようとすると声をかけられる。

「すみません、これ、あなたのですよね」と手渡してきたのは女の子。背が高くて、細身で、すらっと長い髪が印象的だった。手にはノート。表紙にわたしの名前が書いてあった。

「あれ、わたしノート忘れてたんだ。ありがとう、わざわざ届けてくれて」わたしは笑ってそう答えた。

「あいだ、あかね、さんですか」

「はい、そうですけど」

「イニシャルはA.A.なんですね」

「ああ、そうですね」

「私も、しいな、さおり、でイニシャルS.S.なんですよ」

「そうなんですか。シイナさんですか」

「さおりってよんでほしいな。あかねってよぶから」

 明るい、というか妙にハイテンションな人だなって思う。黒のロングという髪型に性格が似合ってない気がするなとわたしは思う。

「で、イニシャルS.S.なのと、思ったことバンバン言っちゃうからドSシイナって呼ばれてるんだよな」と話に乗っかってきたのは茶髪の男だった、サオリさんより背が低い、のはサオリさんも背が高いから仕方ないだろうけど、女子の平均であるわたしと同じくらいの身長だろう。

「うるさいよ、黙ってな飯田」

「はは、ごめんごめん」

 飯田と呼ばれた彼は、おちゃらけて笑っていた。

「それでさ、えっとね」とさおりは、わたしに話しかける。「いっつも一人でいるよね、どうして」

「そうやってズケズケ聞くからドSシイナって呼ばれんだぞ」

「うっさいな、黙っててよ、飯田。それ言ってんの、あんただけなんだけど」

 さおりは一呼吸おいて、

「で、どうしてかなって」とわたしに聞き直す。

 これは彼女らの作戦なのだろうか。わたしに答えさせるためにわざとコントの真似事をしているんじゃないかって、そんな風に思えても来る。けど私が理由を隠している意味もない。

「わたしは、夏期講習からここに来てるから」

「あ、やっぱりそうだったじゃん、ほら、私の言った通りでしょ、飯田」

「俺もそうじゃないかって言ったって」

「でもさ、この予備校、人多いから一人くらい同じ学校のがいてもいいと思うんだけど。そいつと話したくないとかあるわけ」

「ほんとにこの人、ズケズケ聞いてきますね、飯田さん」

「な、本当にドSシイナって感じだよな」

「うっせい」と、さおりさんは飯田さんをこずく。

「いってえな」

「で、どうなの」

「いや、それがね。……場所を変えませんか」

 そういうことで、近くのカフェにやってくる。よくあるチェーン店。コーヒーを受け取り席に着く。

「わたし、三浪相当なんですよ」

「うわあ、そしたらもうハタチなんだ。うわあ、私、二個上の人にめっちゃため口使ってたんだ、うわあ」

「急に慌てすぎだって、さおり」

「ああ、えっと、なんかごめんなさい」

「いやいや、いいよ。ため口でも。私も同じ教室にいる人と話できる人がいなかったから嬉しいし」

 わたしは笑って言う。

「ああ、じゃあ、とりあえず自己紹介しなおします。いま一浪目の椎名沙織です」

「えっと俺は飯田大輔です。まあ一浪目です、ってこれ言わなくていいんじゃない」

「まあ、年が分かるから便利っしょ」

「わたしは相田朱音です。三浪相当です」

「さっきも聞いたけど、どうして三浪『相当』なんですか」

「あ、それ聞いちゃいますか」

「まあ、朱音さんが含みを持たすような言い方するからさ」

「じゃあ、言いますけど。謝らないでくださいね」

「わかった」

 わたしは言う。

「わたし、二年くらい入院してたんですよ」

「ええ、入院。本当に、へえ」

と沙織が驚く。

「病気、ですか」

飯田くんが、尋ねる。

「いや、事故にあって」

「ええ、事故。本当に、うわ」沙織が驚く。

「で、二年もですか」飯田くんも驚く。

「なんか、意識なかったらしいですよ、二年くらい」

 二人とも、私が何を言ったのかを理解するのに少し時間がかかった様子だった。

「ええ、二年。本当に、はあ」と少し遅れてから沙織が驚く。「なんか壮絶な人生送ってますね、朱音様」

「そうですね、わたしも、壮絶だなあって思ってますよ」

「すごいですね」

 飯田と沙織がびっくりした顔をしている。まあ、わたしもびっくりしている。

 なんだか余計な気を使わせているような気がした。なので、話題を変えることにしようと思う。

「ところで、あなたたちって付き合ってたりしているんですか」

わたしは疑問に思っていたことを口にする。

「いや、付き合ってないんですよ」

とすかさず飯田が言う。この手の質問になれているようであった。

「幼馴染ですよ、昔は付き合ってみようっていうこともあったんですけどね、なんか違うなって思ったんですよ。で、別れました」

さらっといろんなことを沙織は言った。

「でも、別れても一緒にいるんですね」

「ですよね、なんでなのでしょう」

「まあ、楽しいからいいでしょ」

沙織はほほえんだ。

「じゃあ、朱音さんは彼氏いないんですか」

「聞くねえ」

「聞いちゃいますよ」と沙織は言う。

「きいちゃえきいちゃえ」と飯田ははやし立てる。

「わたしには彼氏、いますよ」

 彼女らは、おお、と声を上げる。

「意外といたんだ、へえ。いつも一人だからてっきり」

「ぐさっというのね」

「まあね。それが私のアイデンティティなのかもね」

 わたしのそれはなんだろうか。

 そして、言っちゃおうかなって思う。私の話。

「長くなるけど、聞いてもらっていいかな。身近すぎる人には逆に話しづらくて、でも聞いてもらいたい話があるんだよね」

と言うと、沙織と飯田の目が真面目なものとなった。ああ、この人たちはいい人だなあって、そんなことを思う。

「わたし、事故の前にある男子と待ち合わせの約束したんだ。その日に告白しようとしてた。その日は他のクラスメイトとその男子と一緒にで、受験合格の願掛けに行くことになってた。

 でも、その日が来る少し前に、わたしは事故にあったの。

 気付くとちょうど二年後の日で、わたしの体は思うように動かなくてびっくりした。高校も卒業してたし、幼馴染だった二個下の女の子は受験対策をしてた。クラスメイトもその男子も卒業してた。ただ、取り残された私をおいて、両親はすごい嬉しそうにしてたし、なんだか変な感じだったんだ。

 でさ、思ったことは、あのときに告白できなかったなって。しょうがないじゃない、わたしは二年後にタイムスリップしてたみたいだったんだもん。軽く浦島太郎みたいな気分、なのかな。あのとき、呼び出して言えなかったことを言おうと思って、面会が可能になってから、二年前と同じ日にその男子を呼んだ。私的には、それから一週間だけが立った気分で。

 告白したけど、そのときは保留させてって言われた。その原因は幼馴染の女の子から聞いて分かった。その女の子も彼が好きだったかから。アプローチしてたから。

 何があったかって、わたしが寝ている間に、凪はタケくんに近づいていってた。そのことが嫌だったわけではない。だってわたし、起きるかどうかも見通しがつかなかったらしいし。仕方ないなって、しょうがないなって。

 でも、タケくんは、凪に話をつけて、それで、わたしと付き合うって言ってくれた。それは、それは嬉しいようで、複雑だった。

 タケくんは本当にわたしが好きなのか。わたしはそれに応えれるのか、そんなに好きだったのか。

 いや、好きには好きだったんだ。でも、気づいたら二年後で、わたしは二年後のタケくんと付き合うことになって。

 別れることにはならなかったから、そのまま半年がたった。わたしは、たぶん、タケくんのこと、好きだけど。応えられてる気がしなくてさ」

 そこで、わたしは言葉を紡げなくなった。

「うーん、なんか恋愛相談みたくなったね」と沙織が言った。

「ごめんね、こんな話聞かされて、迷惑だったでしょ。ほとんど初対面なのに」

「謝らなくてもいいよ、初対面だからできる話もあるってことっしょ」

「ご……、ありがとう」

 謝罪ではなく感謝だ。

「別れなくてもいいなって思うなら、そのまま付き合ってていいんじゃないのかなって俺は思うよ。例えばさ、そんな話があって、朱音さんが起きたならさ、それはハッピーエンドなわけじゃない。その後の話があるのなら、それは幸せな日々が続いていて欲しい。って思う」

「あんたに何が分かるのさ、私と別れているくせに、近くにいてさ」

「沙織が近くにいるんだろ」

「私のせいにするってか」

 彼女らは、面白い人たちだった。

「そういえば、なんで幼馴染なのに沙織さんは飯田くんのことを『飯田』って呼ぶの」

「そんな野暮なこと聞かないでよ、私だってこいつのこと、『だいすけ』って呼んでたさ、でもね、別れたの。そのときからわたしは、こいつのことを『飯田』って呼ぶことにした。それだけ」

「まあ、俺は呼び方変えてないけどね」

「そのせいで私に彼氏ができないんだろう、もうやめて欲しいな」

「それを言ったら、沙織が俺に」

「また沙織って言った」

「うっせえな」

 突然、沙織さんがこっちに顔を寄せてきた。

「でもさ、あなたがその人のことを好きだって思う限りは、それが小さいものだとしても、隣にいてみればいいんじゃないのかな」

と耳もとで、小さな声で、言われる。

「どうしたの、沙織」

「いや、ごみがついてるように見えただけ。ごめんなさい、朱音。あと、またまた沙織って言ったな、飯田」

 彼女らは、愉快で楽しい人たちだった。

 それから、沙織と飯田くんは予備校内でわたしと一緒に行動してくれるようになった。

 わたしとタケくんは夏の間に一度、遊園地へ行った。それは、なんというか、どこか、砂糖細工の菓子のような甘さで、ちょっと変な感じで、でも楽しかった。

 いつものカフェに行ってお話もした。いつものパフェを食べ、わたしが読んだ小説の話をして、タケくんが読んだ本の話や、大学の話を聞いた。それも、たぶん楽しかった。

 少し夏の時間を過ごしていただけなのに北の地の夏は短く、長袖じゃないとつらいな、と思うほどになると、そのときはもう秋だった。

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