第3話 グッドラック 1

「一つの決断で人生って大きく変わる」

 ある六月の見事に晴れ渡った休日。わたし、相田朱音は喫茶店で特製パフェを片手に、タケくんにそう確信めいて告げた。

「そう思わない、タケくん」

 彼はとても戸惑っていた。顔にどうしたのと書かれていた。

「なんかこんなこと言ってみたくなったんだよね。つまりさ」

 事故にあって、二年間意識のなかった私が、

「受験、することに決めました」

 沈黙。

 少しして、ようやくタケくんは口を開く。

「うん、そうするんだろうなとは思ってたよ」

 そんなことを言われては、私の一大発表は何であったのだろうか。

「でも、その一つの決断で人生が変わるって言うのは、すごく同意できるかな」

 彼は言わないが、タケくんの仲のよい友だちであるカツオは言っていた。朱音さんのために東京の大学を受けなかった、と。でも私は、決めたことがある。

「わたしさ、関東の大学受けようと思ってるの」

 また沈黙。さっきとは違って、それはどこか重かった。付き合い始めてから半年たつが、いま彼の顔は一度も見たことのない、どこか険しく、そして葛藤しているような、そんな表情をしている。

「そう、決めたの。まだ行くとは決まってないけど」

「一つだけ、聞いていいかな」

「うん」

「それって北海道でもなんとかなるようなもの、ではないのか」

「いいや、学べると思う」

「じゃあなん……いや、こんなこと聞くのはよくないかな」タケくんはすこし表情を穏やかにしてそう言った。

「いや、いいよ。わたし、三年前も志望は内地だったの。タケくんと同じところを狙うにしても、学びたい分野のレベルがちょっと高くて」

 彼は口を挟んで聞いてきた。

「じゃあ、頑張れば残るってことかな」

「いいや、そういうのでもなくて。ただ、なんとなく北海道から出てみたいなって思ってた」

 彼は黙ってしまった。なにか考えているのだろう。理屈で考えようとしているのだ。私の考えたことはそういうことではなく、もう少し直感的なもので。

「わがままでごめんなさいだけど。でも決めたの。でも、それでもタケくんのことは好きだから」

 恥ずかしいけど、そんなそぶりを見せないように言ったつもりだ。このセリフは言おうと思っていいたから。でもちょっとだけ耳が暑くなっているのは気のせいだろうか。

「わかった、俺も、応援する」

 彼はそう言った。どうなるかもわからないこの先の未来へ、彼はどのような想像をしていたのだろう。そして今の言葉を聞いて、どんな想像をするのだろう。


 今更になって受験を決めたのにはいろいろ理由があった。

 まず、わたしは事故にあって二年間も眠り続けていた、という時期があること。高三の冬にそれは訪れ、次に目が覚めたときには高校を卒業していた。二つ下の幼馴染で親友の凪は受験勉強をしていて、高校の同級生でとても仲の良かった茉里は関東の大学へ通っていた。

 そしてもう目が覚めてから半年が経っていたこと。最初の二カ月は、リハビリだった。目が覚めたら歩けないというのはなかなかにびっくりした出来事だった。

 退院して、それでもしばらくは通院をしていた。そして、わたしの体力はどんどん戻っており、最近では激しい運動も許可された。やっと戻ってこられたのかなと感じる。

 そこで、何をしようかと思ったら、やっぱり二年と半年も前に断念させられた大学受験だった。特に、これじゃなければいやだとか、すごく学びたいという強い意思はなかったのだが、行ってみたいかなという感情だった。それが通用するほど甘くはないのだろうなとわかりつつも、である。

 どこにしよう、と思った時にやっぱり自分が受けようとしたところにしようと思った。だから内地の大学に決めた。

 タケくんと離し、別れた後の帰り、凪の家に行ってみた。

「こんにちは」

「あ、あかね。やっほ」

 そんな感じで部屋へと上がった。缶のお茶(冷たい)を出されて、ありがとうとわたしは言った。

「大学生活、楽しいの」

 わたしは気になって思わず聞いた。

「まあ、楽しいかも」

「断言しないんだ」

「まあ、ね。なんか、勉強、難しいなって」

「ふうん」

「ほかのこともやりたいなって思ってたら、私なんかじゃすぐに成績が直滑降しそうって思うかな」

「そこまで」

 ちょっと引いてしまった。そんなに厳しいの、かな。

「まあ、まだ一回も成績の開示はされてないけどね」と凪は笑って言った。

 なんか、こういうところ、タケくんと似ているなって。そんなあなたたちが好きなのかなって。

「そんな風に思った」

「あかね、なんか言った?」

「なんも」

「そう」

 プルタブを上げて口をあけ、戻し、缶を傾けお茶を飲む。

「今年、受験生をすることにしたんだ」

「へえ、そっか。そんな気はしてたかな」

「なんで同じようなこと言うかな」

「なにが」

「いや、なんでもない」

 笑ってごまかす。

「内地の方の大学、受けようって思ってるの」

 凪はすぐにそれに対して言葉を発しなかった。

「決めたんだ」

「そっか」

 沈黙。

「頑張って」

「ありがとう」精いっぱいの笑顔。前まではいつも見送る側だったはずなのに、凪に見送られる。

 予備校も決めて、夏期講習から通うことになった。わたしはその前に赤本を買って、一通りの参考書と問題集を一冊ずつ買ってきた。一年分の過去問を解いてみると、やはり前よりできなくなっていた。知識も落ちていたし、集中も上手くできなかった。試験の受け方を忘れている、という感じがした。でも頑張ろうと決めた。頑張る。


 休日、といっても今の自分にとっては毎日お休みだったりするのだけれど、タケくんと会うことになっていた。

 喫茶店に入る。特製のパフェとレモンティーを注文する。タケくんはいつも通り、コーヒーを頼む。

「最近読んだ小説なんだけどね」私は読み切った小説のことを不意に話したくなって言う。「『物語の中でくらい、ハッピーエンドで終わるべきだよ』って言っていた女の子がいてさ、本当に、そうあるべきだな、って思っちゃったな」

「まあ、そうだよね。現実が幸福ばかりではないのだから、そのためのお話だっていうなら、物語はハッピーエンドであるべきだ」

「だよね」

「でもさ、ハッピーエンドの先にはまだお話があるはずなんでしょう。僕らだってさ。朱音が起きて、僕らが付き合いだすというハッピーエンドの先にある存在なのかもしれないって思うと変な感じかなって」

「恥ずかしいこと言ってくれるね」

「まあ、一番具体的な身近にある話として」

タケくんは照れて顔をそらす。

「じゃあ、タケくんはこのハッピーエンドに不満があるの」

「いや、今のところはまったくないけどね」

「ふふ」私は笑っていた。

 注文したものが届き、わたしはパフェを口に含む。この一口は何にも代えられないおいしさがある。そこにはある。今はその一口で一度満足して、話す。

「そういえば、予備校決めたんだ」

「ふうん、そうか」

 どこか聞かれて、有名な予備校の名前を挙げる。タケくんはやっぱり「ふうん、そうか」と返事をした。

「ハッピーエンドにしたいんだよ」わたしは言った。「大学に通ってみたい、薬学を学んでみたい。だからね、わたしは」

 タケは黙った。何も返事をしないのでわたしは続ける。

「タケくんのことは好きだけど、勉強します」

 やはり沈黙。少し経ってタケが口を開く。

「前にも言ったけど、俺は応援するよ。人生は……って自分が人生語れるほど生きちゃいないけど、挑戦していくものだし、進めていくものだから。それがいいんじゃないかな」

 ちょっと苦笑いしたタケくん。わたしはいった。

「ありがとう」

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