第2話 アカネ 5

 割り切っていたからか、あそこで泣いたこともあってか、そんなに引きずらなかった。自分がそういう性格なのかもしれない。タケルさんは頑張っていつも通りに授業しようとしてくれていた。それがよくわかった。

 センター試験があった。独特の雰囲気の中で私は妙に落ち着いていた。私は理系だが、落ち着いて試験を受けようというつもりで、はじめの一科目の公民から受けた。ただ、そんなことをしなくても落ち着いて受けられた。そんな自信はある。

 初日は何事もなく終わる。答え合わせはしなかった。

 二日目、会場で友だちのうち何人かが昨日自己採点して、良かったとか悪かったとか言っていた。私はそれに適当に相槌を打ってお茶を濁していた。帰りには雪がたくさん降って、帰りの電車が遅れたくらいで、そんなに困らなかった。帰りでよかった、そう思うだけだった。ふと朱音はまだこの試験を受けたことがないんだな、と思って優越感に浸っていた。いつも私の先を歩いていた人だったから。ふとその先を考えて私は妙に不安になった。

 次の日に学校で自己採点をする時間がある。それを知っていたから、両親との会話、夕食、お風呂、その他いろいろ済ませて私はすぐにベットの中へと入る。何も考えないようにした。

 起きて、ケータイの電源をつけていないことに気付く。メールが五件も入っていた。タケルさんからが一つ。朱音からが一つ。クラスメイトから一つ。母からが一つ。メルマガが一つ。

 タケルさんと朱音からは、お疲れ様、というようなメールが来ていた。ちょっと嬉しかった。クラスメイトからは手ごたえはどうだったかというようなメールが来ていた。行きの電車三つとも返信しよう。母からは昨日の帰りが遅くなっていることに対するメールだったけど、私はこの発信の五分後くらいに帰っていたので問題はないでしょう。

 学校で採点して、出来は上々だった。悪くない、というよりは良くて、タケルさんと立てたセンターの目標を超えていた。まあ今年が簡単という可能性が高いだろうけれど。でもそれでもなかなかの出来だったと思う。二次試験対策が待っていた。

 数日たって、センター試験の予備校の調査結果が返ってきた。センターの今年の難度は、ちょっと下がった、というくらいで、私の出来がかなり良かったことが分かり、少しほっとした。担任と面談をして、家へ帰ると国立の願書を出しに行った。その日の帰り道、久しぶりに朱音の病室へと寄った。ドーナツを買って行く。

 病室の前、ノック。はい、と声がしたので扉を開く。

「こんにちは、久しぶり」と朱音が挨拶してくれた。

「うん、こんにちは」

「お見舞いありがとう」

「いやいや。今はリハビリ頑張ってるの」

「そうだね、ちょっとずつね。起きたとき、最初は全く歩けないのにはびっくりしたな」

「そう」

 言わなきゃ。

「最近、お見舞い、あまり行けてなくてごめんね」

「や、気にしなくて大丈夫だよ。受験勉強、忙しいでしょ」

「それもあるけど」

 口をつぐんでしまう。

「いや、なんでもないよ。ごめんね」

「うん」

 花が新しくなっていた。

「そういえばさ、朱音は、永井さんと付き合うことになったの」

 私は朱音に聞いた。

「そうだね。そうなった。毎日、ではないけど毎日のように結構お見舞いにも来てくれてるよ」

「そっか、おめでとう」

「ありがとう、なぎ」

 急に目が熱くなったけど、我慢した。

「ちょっとのどかわいたから、のみもの、かってくる」

 そう言って病室をでて、トイレへ向かった。

 失恋から目をそむけるように、受験へ取りかかった。

 私立の大学を受験のために、一人で道外へ出た。なんだか変にドキドキした。一人で東京に行くということが、受験のときよりドキドキしていた。

 三泊四日で二つの大学を受験した。一つ目の方は自信があるが、北海道に帰る日に受けた方の受験では、慌ててしまったり、ど忘れしてしまったりと散々だった。母には、帰りに羊羹を買ってきて、と頼まれていたので空港で忘れずに買う。帰りの飛行機の中で、落ち込んでいた。窓から見える夜の地上の景色は何も見えず、私をさらに落ち込ませた。

 問題の復習をして、本命の国立受験の対策をする。タケルさんとの授業を二度はさみ、流れるように受験日がやってきた。

 電車では、悪あがき程度に英単語をチェックしていた。難しいやつ。大学に着いて同級生と会うも、あいさつ程度で去ってしまった。緊張しているのだろうか。自分の受験室を確認して、入る。みんな、真剣そうな感じだった。私もそうみられているのだろうか。

 最後の科目の試験の終わりを告げるチャイムが鳴り筆記用具を置く。出来たんじゃないかな。なんとなくだけど手ごたえはあった。

 今日までに発表のあった私立の大学二校の合否を、ケータイで調べる。結果を知るのが怖くて、今まで見ないでいた。確かめると一つは受かってて、一つは落ちていた。私は電車でニヤニヤしてたかもしれない。

 他にすることもなかったので携帯音楽プレイヤーを出す。ランダム再生させる。『アカネ』という失恋を歌う曲が選ばれる。

 悲しい日には、新しい歌を

 そう優しく歌われる。涙が出ていた、かもしれない。


 『合格してたらすぐにメールしろよ』とタケルさんからメールが送られてきたのは合格発表当日だった。電車に揺られ、発表を見に大学へと向かう。

 着くともうすでに合格者の受験番号の書かれた紙が張り出されてあった。私の番号は『27581』だから、最初が『2』であるところを探す。そこから『27』で始まるところを探していく。自分の数字が飛んでいたらこわいなと思いつつ探していく。『275』で始まるところを見つける。ふと二つ隣の行を見ると『276』で始まっていることがわかり、ドキッとする。あって欲しいな。心から思う。

 『27552』にさしかかって、より心臓が音をたてる。『27572 27574 27575』まだだ、『27579』そろそろ、『27581』

 もう一度確認する。

――27581

 しっかりあった。なんだかよくわからないくらいに嬉しく感じる。

 メールしなきゃ。まずは両親に。朱音に。あとタケルさんに。

 『合格したよ』という文面にピースマークの絵文字を載せて、送った。

 嬉しくてもう一度、掲示をながめることにした。ふと手をつかまれる。驚いて引かれる方を見ると見たことがある顔、確か、坂本さん、だっけ。「ちょっと来て」と言われて連れていかれる。広い場所に出る。

「ごーかくおめでとー」と何人かの大きな声がした。

 正月の日のあの場にいた朱音の元クラスメイトの人たちがいた。戸惑ったけど、嬉しくて。

「ありがとうございます」

 大きな声でそう伝えた。

 合格したことを朱音に報告しに行くためにと病院へ向う。元クラスメイトの先輩方はそれについてきていた。

「本当によかったね、凪ちゃん」坂本さんがいう。

「まあ、タケルさんのおかげですかね」私が返事をする。

「そんなことないよ、凪が頑張ったんだよ」とタケルさん。

「そういえば、タケって女の子のこと下の名前であんまり呼ばないよね」寺井さんが聞く。

「ん、そうかな」

「凪ちゃんくらいじゃないの」斉藤さんがニヤッと笑う。

「それがそんなことないんだよね」とさらにニヤニヤ顔の坂本さん。

「どういうこと」「おい、それはどういうことだ」寺井さんと……もう一人の名前の知らない男の人ががっつくように聞く。そういえば、一人増えてるなって思ってたけど、いまさら聞けない。

「そういえば、凪ちゃんはお前のこと知らないんじゃない」と磯野さんが言う。

「ああ、自己紹介してなかった。よしむら、まさと、です。東京の大学行ってます、よろしく」手を差し出される。

「水島凪です」私も名前を名乗る。まだ手を出しだされている。応えた方がいいのか、ちょっとだけ迷っていると

「握手はしなくていいよ、こいつ、可愛い女性にしか初対面で握手を求めないから」磯野さんが冷たく言う。応えなくてよかったらしい。

「カツオ、ひどいよ」おろろ、と泣きまねをする吉村さん。

 ほんとに面白い人たちだった。

 車に乗せられ、発進した。どこへ行くの、と聞くと、もう一人の友達に会いに、と磯野さんが陽気に答えた。

 病院に着いてみんなで押しかける。

「こんちは」と明るく朱音が言った。「もうすぐ退院できることになったよ。歩けるようになったからね」

 みんなで、それはいいね、だとか、やったね、だとか、そんなことを言い合った。

「こっちにも、ニュース、あるもんな」とタケルさんが言った。

「なになに」

「それは、凪が言う」

 えっと。

「えっと、無事、合格してました」

「すごいじゃん、知ってたけど」朱音が、嬉しそうに言った。

「知ってたの」とタケルさんが言う。

「だってメール来たもん。凪から」

 そっかあ、とタケルさんは言って、それくらい察しろボケ野郎と言って吉村さんはタケルさんの頭をこづく。

 関東の大学に通っている人たちも、都合よくまだ道内にいる、とのことだったので、退院した次の日にみんなで退院パーティーやろうぜ、と決まった。退院は二日後らしいので、三日後にパーティー。楽しみである。そして朱音と別れ、車に乗ってきた磯野さんは他に寄りたいとこがあるらしく、最寄りの駅で解散することになった。

「じゃあな」タケルさんが別れの言葉を口にする。

「そうだね、また、しあさって」坂本さんが名残惜しそうに言う。

「まあ、またすぐ会えるもんな」と寺井さん。

「そうそう、楽しみにしてるよ」斉藤さんが笑って言う。

「な。みんな楽しみにしてろよ」と磯野さんが言って彼らを見送った。

 その後、磯野さんは

「あー、ちょっとトイレに行くわ。ごめんな」

 と言って、彼は駆け足ででトイレへ向かって行った。私は見送ってから、待合のベンチに座る。電車の来た音。去っていく音が聞こえた直後に磯野さんがトイレから出てくる。

「ああ、やっぱり待っててくれてたんだ、ごめんね」と申し訳なさそうでもない感じで私に言った。

「まあ、そうですね。なんとなくです」

「よかったじゃん、受かってて」

「そうですね。よかったです」

「あんまり、嬉しそうじゃないのね」

「いや、すごい嬉しいはずなんですけどね」

「まだ、気になるの、タケのこと」

「まあ、そうですね。そこまでフラれた人のことをうじうじと気にしてるの、私だけな気はするんですけどね」

「そんなことはないと思う。みんな、そういうこと、気にしてる。その程度が違うだけだ」

「そんなもんですかね」

「そんなもんだよ」

 なんか、諭されているような、そんな会話が続く。

「そういえば、そんなこと言えるなんて、カツオさんもそういうこと、あるんですか」

「そういうことって何かな」

「分かってて言わないでください。失恋とか、そういうものです」

「うーん。あるけど、聞くかい。俺に失望しそうな話だよ」

「じゃあ、いいです」

「ああ、そうかい」思いっきり笑って磯野さんは笑う。「まあ、後悔はしても、ずっと引きずらないように、そう思ってるんだ」彼は、言葉を続ける。「引きずってしまいそうなときは、この日まで、って決める。まあそれは俺だからできるのかもしれないかもだけどな」

変な日本語になってごめんなと、磯野さんは言った。

「そうですね、引きずってちゃダメですよね」

「そうに決まってる。人生一回、楽しく笑って生きないと」

そう言って笑った顔は、本当に楽しそうで。私は思わずそむけてしまう。

「じゃあ、あと二日。パーティーまでに気持ちよく笑えるように。そうしようと思います」

「よく言ったんじゃない。あとは有言実行だ」

「あの、ありがとうございます」

「いやいや、気になさるな」笑ってつづける「俺に惚れんなよ」

 私が噴き出して笑うと磯野さんは「おい、何そんなに笑ってるんだよ。俺、自分で言うのもなんだが、モテる方で、今の彼女で八人目……おっと、いまのは聞かなかったことにしような」と言った。

「聞きました、忘れません。しあさって広めます」

「それは、やめて」

「冗談ですよ」

「それは感謝」

「でも覚えておきます。カツオさんは女たらし」

「おい、人聞きの悪い」

「人聞きの悪い、と思う程度には、つぎつぎにとっかえひっかえするの、よくないなと思っているんですね」

「とっかえひっかえとか、表現が悪いって」

 磯野さんはそう言って笑っていた。きっと、落ち込んでいた私を慰めるために。そういうところが、女たらしの所以なのだろう。

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