第2話 アカネ 4
朱音は病院の先生と掛け合ったらしく、元日に友達と一緒に出かける許可をもらっていた。いったん病院に集まってから、近くの神社へ一緒に移動することにするようと朱音から聞いた。身体をうまく動かすことが困難なだけで、もう深刻な状態ではないから、車に乗せてもらうことや車いすでの移動などを友達に手伝ってもらえるならと、許可されたようだった。
そんな朱音の様子が気になり、元日の朝、私は早めに病院にいた。これではただの変な人なんじゃないかと思わなくもないけど、気になって仕方がなかった。
私は、私がここにいることをばれたくなく、ニット帽を深くかぶり、待合室のフロアのベンチがいくつか並んでいたところに、誰かを待っている風を装って、座っていた。朱音の病室の方を見る。そこで少し変な視線に気づく。あたりを見回すと、男の人がこちらを見ていた。彼も深くつば付帽子を深くかぶっている。気にしないことにした。
看護師さんが朱音の部屋に入る。すると朱音が部屋から出てきた。慌ててもう一度帽子を深くかぶり直した。朱音はトイレに行ったようだった。
私は全く落ち着くことが出来なかった。緊張しているのだろうか。きっと私はそれなりに暗い顔をしているのではないかと思う。
それからして、タケルさんが来た。みんなで行く、という話だったと思うが、タケルさん一人であったことが、ひっかかった。
ばれないようにタケルさんをうかがっていると、あのニット帽をした人がタケルさんにぶつかった。何をしているのだろうか。彼はそこから離れるとこちらに来て、私に話しかけてきた。
「あの二人が、気になってるのかい」
私は図星で何も言えない、ってこの人は何。
「そうなんでしょ」
私はうなずいた。
「今さ、タケのやつに盗聴器仕掛けてきたんだよね。一緒に聞きたいかい」
私は、やっぱりうなずいてしまった。
「そういえば、俺は磯野っていうんだ。あいつらの、高三の時のクラスメイトな」
あ、私は水島です。
「しー、聞きたいなら、静かに、ね」
そう言おうと思っていたら、磯野さんに遮られた。
それから私たちは、黙って耳をそばだて聞いていた。
笑い声、二人とも、少し嬉しそう。
――本当はおととしのこの日に言おうと思ってたんだけど。
――受験の前に、言っておこうと思ってた。どうこたえられてもいいから。伝えてみたいと思ってた。気づいたら二年もたってたけど、わたしの中ではそうではないから。だから言おうと思う。
朱音の声が続く。私は息をのんだ。
――わたしは、タケくんのこと、好きです。
ついに、言った。沈黙が長く感じるのは私の気のせいだろうか。
――俺は、二年前から相田さんのことが好きだった。
――でも、今すぐにそれに応えることは出来ないから。だけど、答えは必ず伝えるから。少し待っててくれないかな。いい返事を、伝えられるようにするから。ただ、このまま、「付き合おう」ってなっても、俺が自分自身を許せないと思うから。
――分かった。待ってる。
タケルさんはそう言って、私はその場でひざをつく。
たぶん後に言われるタケルさんのコトバはあの言葉の取り消しなのだろう。きゅうっとなった。目のあたりがなんだか熱い。
「ここで泣いたらまずいから。場所を移動して思いっきり泣いたらいいよ」
磯野さんはそう言った。
「失恋、かな」
私は泣いていた。うなずく。
「そっか」
私の涙は止まらなかった。泣きたかった。
「まあ、泣きながら、でもいいから聞いてくれると嬉しいかな」
磯野さんは語り出す。
「知ってると思うんだけど、あいつ、永井健はたぶん、ずっと、相田朱音が好きだったんだ」
知ってる。
「相田朱音も、永井健が好きだった」
知ってる。
「彼女は二年前も同じようなことをしようとしてたんじゃないか、ってあいつの友だちから聞いたんだ。なかなか感のいいやつでさ」
それをやったらと持ちかけたのは私。
「でも、朱音さんはずっと寝てただろう。その間、タケは苦しそうだったんだ」
知ってる。知ってる知ってる。やめて欲しくて。『もう言わないで』と叫ぶように、心の中で訴える。思わず彼をたたこうとする。
「ごめんね。変なこと言って。たたいてもいいよ。すっきりするなら」
手を止めた。でも涙は止まらなくて。
「何か言いたいみたいだね。聞くよ。落ち着くまで待つからさ」
落ち着いてから、場所をカフェに移動して、私は話した。私もタケルさんが好きだったこと。二年前の計画を立てたこと。事故の日のこと。クリスマスのこと、そして私の力。誰かに、聞いて欲しかったから。思わず話していた。
「そっか」
カツオさんは言った。
「一緒においでよ、あいつらとみんなで初詣。ついておいで」
誘われた。うなずいた。
そこには朱音とクラスメイトだったという人たちがいた。男の人はタケルさんと妙に明るく振舞う寺井さん。女の人は学校ではよく朱音と話してたという坂本さんと寺井さんの元カノである斉藤さん。
一緒に合格祈願をしてくれた。
空が青く澄んでいて、冬の冷たく厳しいけれど、どこかさっぱりした空気が、私の中に入り込んで、心の中を浄化してくれるような、そんな風に思えた。
その年の一番初めのとてもとてもぎくしゃくした授業の終わりに、それは来た。来ることが分かっていたから、覚悟はできていた。何よりも、どこかあきらめ切れている自分がいたのだった。
「これで、今日の分は終わりにしよう。次までにここをやっておいて」
そう言われて、センターの問題模試2年分を指す。ちょっと足りない気もする。
「最低限、だからね。もう1、2年分は解いておいてもいいかもね」
私は、はいと答える。
「それでさ」
タケルさんはバツが悪そうに伝える。
「申し訳ないけど」
一呼吸おいて、タケルさんが言った。
「俺は相田さんの方が、朱音の方が、好きだ。そう思ったから。やっぱり凪とは付き合えない」
ふうっとタケルさんは息をついて、また口を開く。
「ごめん」
とても、とても申し訳なさそうにそう言った。そう見えた。私も言わないといけないことがある。
「そうですか。でも、そんなに気にしないでください。私もそんな気がしてたんで。それに悪いのは私だから」
「そんなことは」
「いや、私が悪いんです」
タケルさんの言葉をさえぎって、言い切った。
「もう、この話はやめましょう。私は、笑って話がしたいです」
タケルさんは少し考えてから、無理に作った笑顔で言う。
「そうだな」
「そうですよ」
「じゃあ、受験がんばれよな。落ちんなよ、俺のせいになるから」
「そんなプレッシャーかけないで下さいよ」
少しは笑って話ができた。よかった。これで。
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