第2話 アカネ 3

 その日、嬉しい気持ちで帰宅していた私へ、そのタイミングでなければとても嬉しいお知らせが届いた。

 朱音さんの意識が戻ったぞ。

 父からの連絡。待っていた朱音の回復の知らせ。

 私が思ったことは、「今じゃなくてもいいじゃん、なんで」だった。そんな自分が嫌になる。ずっと待っていたことなのに。

 その足で直接病院へ行ったが、その日に朱音に会うことは叶わなかったので帰宅した。当たり前だった。もう午後の十時を過ぎていたのだから。

 ベッドに入っても案の定、寝付けなかった。いろいろあった。

 キスさせたらキスされた。軽く触れるだけだけど。

 付き合ってくださいと言ったら、いいよと言われた。でもまだ待ってと言われた。

 嬉しい気持ちで帰ったら嬉しいニュースが飛び込んだ。その後でなければ。

 その日に朱音に会いに行こうとしたら会えなかった。当たり前か、目覚めてその日には会えないよね。時間も悪かった。

 今日の出来事を反芻し、今は寝るしかないのにどうしようかと考えて眠れない。眠れない。


 いつの間にか寝ていた私は、いつも通りの時間に起きて、朱音のおばさんから今日は会えるとの話を聞いて、病院へと足を向けた。

 何を話そう。それを考えてしまうくらい時間が経っていたと感じる。とりあえず、会えば何か話ができるのではないか。そう思うしかなかった。そのようなことを考えているうちに病院へ着いてしまう。ナースさんに病室の番号と位置を聞いて、部屋へ向かう。

 あっという間についてしまった。嬉しい気持ちと緊張の気持ちを抱えたまま、ノックをする。

「どうぞ」

 思わずびくっとしてしまう。今までノックをして返事が返ってきたことなどないのだから。

「失礼します」

 緊張して、変なことを言ってしまったなと思う。ドアを開ける。

 目に入ったのは二年間眠りっぱなしだった朱音が起きていて、こちらを見ている姿。つながっている管の数が減っていた。ただ、確かに、朱音は寝てはいなくて、動いていた。起きていた。話しかけなければ。

「朱音」

「こんにちは、凪。久しぶり」

 そう言われた。返事をしようとしたら、うまく声が出せない。そして目元が妙に熱い。泣いていたことに気づく。泣いてしまった恥ずかしさをごまかそうと朱音のそばに行って手を握ったけど、それでも泣いていた。抱きついた。止まらない。いろいろと混じった感情とともに。

 落ち着くまで朱音は待ってくれた。それから、はっきりと私は言った。

「久しぶりだね、朱音」


 朱音は二年前のことが最近のことに思えると言った。だから、私はこの二年の話をすることにした。いろいろなことを含めて。

 たとえば、去年できた、おいしいパン屋の話。私はそこのクリームパンが凝っててとてもおいしいと思ったから、今度買ってくると伝えた。

 たとえば、この二年間の間に私がハマったアーティストの話。だいぶ前から有名なバンドだから、朱音も知っていた。

 たとえば、買い替えたケータイの話。この辺の技術は勢いよく新しいものになるねと二人で言い合った。

 そして、たとえば、タケルさんの話。大まかに伝えた。家庭教師をしてもらってること。去年のクリスマスのこと、一昨日のこと。伝えた。フェアじゃないから。私と朱音の仲はこれくらいじゃ壊れない。そう信じて。

「そっか。でも、二年もたったわけだしね」

 朱音はそれでも笑ってそう言ったのだった。

「じゃあ、次は私の番かな。二年前、と言ってもそんなに経ったとは思えないんだけどね。あの計画、実行しようかなって。ここの病院は元日にも面談には開けてるらしいからね」

 その笑い顔は、どこか怖くて私を不安にさせた。

 間が悪く、私のケータイがメールの着信を伝える。タケルさんからだった。ここに来るというものだった。

「永井さん、ここに来るってメールが来たよ」

「そっか、凪はここで待ってるの」

「そうする」

 自分の気持ちが定まらない。

 ふと気づくとかなりの時間が経ってて、その間ずっと私たちは何も話していないことに気付き、その直後、ノックの音が聞こえた。

 朱音がどうぞ、といってドアが開かれた。

「おっす、久しぶり」

 意外とあっけらかんとタケルさんが言った。暗い雰囲気はどこかに行ったように朱音が笑って返事をした。

「久しぶり、らしいね。わたしはそんな感覚ないんだけどね」

「永井さん、こんにちは」

「おう、こんにちは」

 タケルさんはどこか、落ち着かなさそうに、そう言った。

 窓の外を思わず見る。深々と降る雪。タケルさんが言う。

「なら、二年前から一瞬で今に来ちゃった感じなのかな」

「うん、そんな感じ、なのかな。そうだったら凪と同い年になっちゃうけどね」

 あはは、と朱音は笑う。少しいらだつ私自身に、余計にいらだつ。

「朱音はいつまでも私のお姉さんみたいな存在だから、同い年とかちょっと違和感があるかな」

 タケルさんが、自分のことを話す。今行ってる大学、学部学科。私の家庭教師をしてること。

「そういえば、メールを送ってたんだけど、きっとみれてないんだよね」

 タケルさんが言う。

「そう、だね。起きてから一度も携帯電話はみてないかな」

「じゃあ、ここで直接、言うね。あのとき、初詣に行こうって決めてたメンバーで、来年の元日に初詣に行こうって誘ったんだ。マサトは来れないんだけど。どう、来れるかな」

 朱音は、考えて――いや、考えたふりをして――答える。「マサト」というのは朱音のクラスメイトだった人だろうと私は推測した。

「むりだね」

 朱音が答えた。

「歩くこともままならんのです。でもさ、メール、返信するから。待ってて」

「わかった。みんなにお詫び入れておくわ」

 タケルさんは苦笑いをしていた。朱音は笑っていた。たぶん、私はちょっと不快な顔をしていたのではないか。そう思う。

 そして、これから家庭教師の授業の時間なのでタケルさんと家へ向かった。

 私は、どこかあきらめた気持ちを持っていた。

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