第2話 アカネ 2

 あれから幾日か経った頃。その間、私は冬休みであったが、その間部活動を休み、朱音のもとに通っていた。起きないのに。でも起きることを信じて。面会謝絶と書いてあったが、朱音の両親は私を入れることを許してくれた。

 その数日後、病院に着くと、何人かの高校生のような人たちがいた。私は場所を離れてしまった。朱音の友だちにどんな顔をすればいいかなんてわからなかったから。

 さらに次の日。永井さんに声をかけられたのだ。

「ああ、やっぱりきみのことだったんだね、相田さんの親友って」

 悲しそうな顔をして、そう声をかけてきた。

 それ以来、永井さんと話をよくすることになった。


 自己紹介を簡単にした後、私たちは場所を移して話すことにした。

「私が、そばにいたのに、近づいてくる車に気付けなかったからいけなかったんです」

 私はあの日のことを話した。

 朱音が本を届けに来てくれたこと、そして目の前で轢かれそうになるのを見て、思わず目をそむけたこと。目を背けなければ、相田さんが車がこちらに向かってくることに驚いて、脚を滑らせ、縁石に頭を打つことを、守ってあげられたかもしれなかったこと。

 するとそのときの永井健さんは言った。

「それなら僕が、本を相田さんに渡さなかったら。こんな風にはならなかった、のかな」

 その日から病室でタケルさんとたびたび会うようになった。タケルさんは道内の国立大学に進学した。

 私が二年になって、部活動にも精を出す元気が出てきたころ、学業の成績が落ち始めていた。そこで私は、ふと朱音の病室で会ったときに、なんとなくタケルさんに家庭教師をお願いした。六月、晴れた日。私に若干の下心があったかもしれない。でもタケルさんは引き受けてくれた。

 それから、二人で朱音のお見舞いに行くようになった。

 タケルさんは理系だった。それもそのはずである。朱音も理系クラスだったのだから、同じクラスなら、理系のはずである。でも、小説が好きだった。だからなのかはよくわからないが、たまによくわからない例えをした。例えば一番意味の分からなかったものではこんなのがあった。

 七月になったころ、暑くなって北海道でもついに三十度を超えた日の授業だった。タケルさんは言った。

「いや、暑いね。こう温度が高いと、こう激しく動いちゃうよね」

 何を言ってるのかわからなかったし、動いたら余計に暑いじゃないか。冷めた目で見ていたのかすぐにタケルさんが言い訳めいた口調で言った。

「温度が高いと、粒子が激しく動くからさ。だからね、動いちゃうんじゃないかと……ごめんね自分でも何言ってるか分からなかったな」

 そんなときの私は苦笑いをするしかなかった。

 でも少しずつだけど成績は九月、十月と日を重ねるごとに良くなり、タケルさんのおかげだなと感じた。

 そのまま、あっという間に雪が降り始め冬になった。私の成績は、私的にはいいところで安定し、それだけの時間が経っても朱音は起きなかった。

 この年のクリスマスは何も予定がない。去年もそうだった気がするけど。イブの日はそもそも学校の授業があるのだけれど。今年は半日だが、その後に部活動。そういえばようやくレギュラーがとれたのだった。それは嬉しいできごとだった。

 本音を言うと、クリスマスにデートがしてみたい。いや、イブですが。してみたい人、誰だろう、と思うとそれはタケルさんが最初に思い浮かんだ。

 力は使うためにある。人は生まれながらに平等ではないことなんて、少しこの世界を見渡せば分かるわけで、と自分に言い訳をして。

――

 タケルさんの口が開く。

「クリスマスイブ、予定がなければ遊びに行かないかい」

 それに、私は答える。

「いいですよ、でもその日はもう冬休みですけど、部活が入ってるんで、四時くらいにならないと空いてないですね」

 そうして、そのあとで、クリスマスイブの日の五時に待ち合わせすることが決まった。

 そうして得たデートは楽しかったけれども。妙な心苦しさがあった。ただ、タケルさんはまだ朱音のことを引きずってるな、と感じた。

 クリスマスの日で分かったことがある。私はタケルさんが好きだ、ということ。でも朱音も好きだってことを知ってるし、先に告白しようとしてたことも知っている。だからこそ、起きない朱音に対して、私は怒りともとれる感情を抱いていた。

 あと一年待とうと思った。それまで起きないのならば、と。それは長いようで短い時間なんだろうと思う。そして短いようで長いんだ。

 ふと気づけば三年生になり、部活動は最後の試合を終え引退し、三年生の時間は進学、就職の準備という中で、あわただしく過ぎていった。私は、学力と相談して、タケルさんと同じ道内の国立大学を狙うことにした。

 夏、の思い出と言えば、一回、バスケ部だった友だちらと一緒に遊びに行ったくらいで、本当にこれは私なのかというくらいに勉強をした。そんなくらいしかない。

 秋はあっという間に去って、初雪が見られ、冬へと移る。今年は私から誘おう。そう決めていた。

 そして十二月のある授業の時間の終わりに、

「二十四日は何か用事とかありますか」

 タケルさんはこう答えた。

「それは、なかなか辛辣な質問、だな。僕には、彼女はいませんからね」

「で、どうですか。一緒にいてくれませんか」

 タケルさんは、少し悩んだ表情をした後に、少し顔を緩ませて

「いいよ、暇だしね」

 と言った。

 私はこの日、決意していた。タケルさんは私に悪くはない感情を抱いている。それはかなり確信していた。それと同じくらい、タケルさんはまだ朱音のことを引きずっていると、そう感じていた。だからこそ、私はその力を使ってでも、タケルさんを私へ振り向かせようと、決意していた。

 まず、映画に行くこと。私はある映画が見たかった。その映画の原作はタケルさんが拾ってくれたあの本の作家さんが書いた別の本。本屋さんの帯で知った私は、その本を読むのは映画を見てからにしようと思っている。もう映画の席は予約済みだ。タケルさんはどちらかというと流される人だから、たぶんイエスと言ってくれるだろう。

 そして、告白すること。私は、じぶんの気持ちを伝えようと決める。

 当日になり、雪に解けるような色をしたお気に入りの白のコートを着て、待ち合わせの場所へと向かう。時間より少し早く着くとタケルさんと目があった。

「こんにちは、永井さん」

 嬉しくってにやけてしまう。

「おう、元気か」

「やだな、この前会ったばかりじゃないですか」

「じゃあ、勉強は順調か」

「それは今日は聞かないでくださいね」

 わざと顔をしかめて返事をする。イジワルだ。さっそく私は提案をする。

「今日はまず映画を見に行きませんか」

 タケルさんはうなずいた。

「この映画なんですけど、もう予約はしてあります。まあクリスマスだから混んでますからね。原作は小説なんだそうですけど、私はまだ見てないんでどうなるか楽しみです。読んだことありますか」

 タケルさんは、読んだことがあったようだ。そして、少し、困った表情をしていた。私は、それを振り払うように、笑って言う。

「じゃあ、絶対言わないでくださいね」

 映画館に向かい、ドリンクとポップコーンを買って、といってもタケルさんがおごってくれたのだけれど、席へと向かう。案の定、ほぼ満席だった。

 幸せそうなカップルが婚約して、一緒に暮らしていたら女性が病に倒れる、そしてこの世を去る、というものだった。

 序盤のよい雰囲気を一気に落とすような、そんな施しがされていて、私は思わず泣いていた。特に病院でのシーンがいろいろとこみあげてきて、でも泣いていることがタケルさんにばれないようにと、頑張った。と思う。ばれてはいたのだが。

 落ち着かない気持ちのまま、カフェへと向かった。

 私は映画の感想を言う。

「なんか、変な気分です。タイトル通り、泣ける話でしたね」

「ああ、そうだね。なんか普遍そうな話なのにね」

 飲みたいもの、食べたいものを注文した。外はもう暗い。

「結構、奇跡的なことが起こるんじゃないかなって、期待してました。まあそれじゃあタイトルのような話にはならないでしょうけど。でも、死んじゃう話は、ちょっとつらかったかな」

 朱音はまだ生きているんだから。死んでほしくない。

「そうだね」

 少しの沈黙が続いている間に飲み物が来た。私は頼んだミルクティーを少しだけ飲む。笑って言おう。私が誘った映画なんだから。

「でも、いい作品でした。見に行ってよかったです」

 心から、そう思う。

「そうだね、良かったよ。誘ってくれてありがとう」

 それからまたいつもと同じような話をした。

 食べ終わり、タケルさんがコーヒーを飲み終えたのを見て、私は言った。

「もうちょっとだけ付き合ってくれませんか」

 ちょっと待って、返事をもらった。

「いいよ」

 そうやって私たちはお店を出た。

 移動して公園へと来た。イルミネーションがそばの通りに施されているのが見える。

「わがまま、聞いてもらってありがとうございます」

「いや、大丈夫だよ。俺はそんなに忙しくないし。そんなことよりしっかり勉強もしろよ」

 タケルさんが、そういったのも分かる気がする。雰囲気を壊すような。

「今言わなくてもいいじゃないですか、そんなこと」

 怒ったふりに見えるように頬を膨らませて、私は言った。

「ごめんな」

 とタケルさんは少し微笑んでいう。

「全然、ちゃんと謝っているように見えないですよ」

 私は、しっかり笑って言っていた。

 少し黙る。空気を変える。一回深呼吸して、私は口を開く。

「私は、永井さんのことが好きですよ」

 タケルさんは、黙っていた。続けて言う。

「だから、永井さんがどう、私のことを思ってくれているのか、気になってるんです」

 タケルさんは何か言いたげに、でも、何も言わない。だからまた私が聞く。

「去年、私をクリスマスに誘ってくれたのは、なぜですか」

 タケルさんを揺さぶるように。こうすれば効くと分かってるから。

「私と付き合ってくれませんか」

 その質問の後に、私は、あの力を使う。

――凪にキスしよう、好きだから

 少しの間のあと、タケルさんは近づいてきた。自分で仕向けたのに、少し驚いてしまった。でも、抗わない。

 これが、キスなのだなあ。そんなことを思っていた。触れるだけ。だけど。離れた。

 私は、ちょっとにやけてしまい、そして言う。

「じゃあ、付き合ってくれますね」

 彼は、決心した顔で、私が待っていた言葉を言う。

「ああ、いいよ。そうしよう。でも、家庭教師が終わってから、でいい」

「うん、ありがとう。好きですよ」

 私は、自分でも恥ずかしいなと思えるセリフを、そう分かっていてそれを言った。ずっとそれを言いたかったから。

「嬉しい」

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