第2話 アカネ 1

 目があった、逸らした。

 電車でたまに見る人。まあ、平日の電車に乗っている人なんていうのはだいたい同じ人なのだけれど。

 高校生になって、初めて電車で学校へ通った。

 その時間は意外と長く、私はよく、その電車で小説を読むなり寝ているなりしていた(その大体が寝る気がないのに疲れて寝てしまった、というものだったけど)。

 その高校は少し勉強の出来る公立高校である。市内にはしなかった。二つ上で、家が近所の親友の朱音が遠くに通っていたから、というのも一因かもしれない。まあ、なんとなくだった。少し遠くに行ってみたかったのかもしれない。

 バスケ部に入った。中学時代もやっていて、そこそこうまい自信があった。そんなに背が高いというわけではなかったけど、シュートの精度には自信があった。練習したから。でも他はうまくない。

 そんな遠距離通学の日々でちょっと気になった人が電車の中にいた。よく文庫本を読んでいる人だった。ときどき、その人と目が合ったりした。なんか、どきどきした。

 その人は一人でいたり、友達といたり、同じ時間にはいなかったりであった。比率で言うと十回乗ったら2、2、6くらいだろうか。

 朱音と同じ高校らしかった。

 そして、その人は朱音が好きな人だった。


 朱音は「いまは受験の時期だから」といって先延ばしにしていた。だから私は言ったのだ。そして、同時に、そうすることを決めさせた。

「いやいや、それじゃ遅いんじゃないのかな。卒業して、離れ離れになったらチャンスはもうなくなると思うよ」

 そこで朱音に決心させた。お正月の日に、告白しようと。

 私にある力は私のために使う。翻弄されないために、私は覚悟を決めなければならない。


 クリスマスイブの日が二学期の終わりの日であった。朱音の学校もそうであると聞いていた。その日、朱音は彼と何らかの約束を取り付けたようで、ピースサインの絵文字のメールが送られてきたのを覚えている。

 そう思って部活が終わってから電車に乗ると、永井さん(名前は朱音から聞いた)がいた。古典の単語帳を開いていた。眠そうだった。

 私は今、話題らしい(帯にそう書いてあった)恋愛小説を読んでいた。しかし、部活のトレーニングの後で眠い。決して小説がつまらないわけではなく部活で疲れて眠いんだろうな。と感じている間に寝てしまった。

 ふと気づくと私の降車駅だった。慌ててバックをつかみ降りた。本を電車においてきてしまっただろうことに家に着く前に気付いたのだが、あした駅員さんに尋ねようと思うことにしてそのまま帰ることにした。

 帰宅してから落ち着くと、メールが届いた。朱音からだった。

『今日、タケ君とかと正月に会う約束した。今からドキドキしてる。ところで、電車に本を忘れてない? タケくんがたぶん、なぎのじゃないかって言ってたから。今から渡しに行くね?』

 少しびっくりした。永井さんが私のことを見ていたのかと思うとドキッとした。でも、まず返信しよう。

『そうかもしれない、今日電車の中に忘れちゃったから。ありがとう! もうすぐ着く?』

 すぐメールが来た。

『もうすぐ着くよ』

 すると、本当にすぐに朱音が来た。

「メリークリスマス!」とドアを開けて現れた朱音が、突然の挨拶を私にぶつけてきた。浮かれているのだろう、ニコニコしていた。うらやましい。

「そうだね。メリークリスマス。あかね」と私は言った。私の部屋へと移動する。

「本を届けに来たよ」

「ありがとう。慌てて起きたら忘れちゃってた」

「あらら、それは。そういえば、これ、読んだことあるよ。いい話だった、と前にタケくんも言ってたかな」

「へえ、そうなんだ」

 少し嬉しくなってしまう。自分がいやな人だなと思う。

「どうしたの」

 不安げに聞かれてしまった。表情に出てしまったらしい。なんでもないと私は言った。

「そういえば、この部屋の様子が変わったね、模様替えしたの」

「まあね、でも朱音がこの部屋に来るのって久しぶりだよね」

「勉強しないと、だしね」

 朱音は少し苦笑いをした。

「頑張ってくださいな」

「はい、研鑽を積みます」

 はにかんで朱音は頭を下げた。私も下げる。おかしくて二人で笑った。

 じゃあ、帰るよ。頑張るからさ。そう言って朱音は立ち上がる。私も見送りに玄関へ行く。雪が降っていたらしく、少し積もっていた。その上を、ぎゅっ、ぎゅっと音を鳴らして進んでいく。

楽しい会話とともに。別に嫌な予感なんかはしなかったのに。小説に書かれていることなんてだいたい嘘なのだ。そのときに虫の知らせなんてものはなかったし、何もかもが唐突だった。

 大きな道路、これを隔てて、私たちの住んでる家がある。少し昔まではこんなに大きな道路ではなかったのだけれど。

 信号が青に変わる。バイバイ、またねと手を振った。

 左折車が私たちに気付くのが遅かったのだろう、曲がろうとしてから急ブレーキを踏んでスリップした。朱音は驚いて止まってしまった。私も声が出なかった。

 ぶつかる。思わず目をつぶってしまう。いやな音。

 スピードはそんなになかったからだろうか、朱音はすぐ近くで倒れていた。私は駆けつける。運転手が外に出ていた。

 大丈夫、あかね。聞いても反応がない。運転手さんは真っ青な顔をして大丈夫かいと聞いていた。私は思わずその人に向かって叫ぶ。

――早く、救急車を呼んで

 喧噪。朱音は呼びかけても起きない。どうして。

――起きて

 起きない。

――目を開けて

 覚まさない。意識がないんだ。

 何も考えられなくなってどれくらい経ったか。救急車の中に私はいた。救急隊の人は生きてはいると言っていた。少し、よかったと思った。

 病院で手当てが施されている間、私は警察の人や親、朱音の両親と話した。警官の話によれば、当たり所が悪くて、頭を打ったことが原因だと言っていた。

 処置が終わった後も朱音は起きなかった。いつ起きるか分からないと宣告された。私が、本を、電車に忘れなければ。

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