第1話 冬、待ち合わせの約束 7


***☆***

「あの日の一時間前に、ここに来てくれないかな」

 あの事故の前に、相田さんにそう言われたことを思い出す。

「えっ」

 思わずそう答えてしまった。あの日って何だ。

「やっぱりダメかな」

「ちょっと待って、あの日ってなんだろう」

 さびしそうに言葉を出した相田さんを止めるように、ちょっと強く言ってしまった。落ち着こう。

「ああ、言い方が悪かったね、ごめんなさい。えっと、お正月のみんなで集合するときのこと」

「その日のことね、なるほど」

 なるほど、え。なんでかな、時間が変更になったのだろうか。

「ダメかな」

「集合時間が変更になったとかかな」

「いや、そういうんじゃなくてさ。その時間の一時間前に来てくれないかな。少し用があるから」

「わかったよ。行くよその時間に」

「ありがとう」

 そう言って、相田さんはほっとしたように柔らかい表情になった。かわいいと思う。すてきだとも思った。

 一週間前にした、この会話。そして、この会話のことを思い返すと、淡い期待が僕の中に浮かんできて、少し浮ついた気持ちになる。スポンジの上で寝ているような、いやスポンジの上で寝たことないし、そんなにでかいスポンジもあるわけないけど。でも彼女は病院で、ずっと寝ている。そのことを思い出すと、途端にスポンジの中に埋もれていくような気がした。いや、スポンジなどではなく、気分は沼に沈んでいくようだった。

 元日の今日はその日のことを思い出しつつ、札幌駅の白い石の前に、その相田さんの言った時間に来た。今日は相田さんに会えるわけなどあるはずがないが、一時間も経てば、みんなはきっと来るだろう。

 十二時から十分経っても僕一人だった。当たり前だ。相田さんが寝てしまったから。相田さんと約束した時間に、彼女は来ることができない。残りのメンバーの集合時間は一時間後なのだから。今は十二時十分。でも十二時にここで待っていれば相田さんが来てくれるような気がしていた。もうその時間は過ぎてしまったというのに。

 それから三十分経って坂本さんが来た。

「あれ、こんちは、タケくん」

「ああ、早いね」

「なんとなくね。つい早く来すぎたから、誰もいないと思ったんだけどな。むしろその『早いね』ってセリフは私のだね。なんでタケくんはこんなに早いの」

「……なんとなく、かな」

 僕がそう答えた後、相田さんは何かを思い出したかのように、あっ、と言って。

「ふうん、なんとなく、わかった気がする」

 と言った。ちょっと嬉しそうで、それでいて悲しそうだった。

「なにが」

 といった僕の声はちょっと震えてしまっていた。

「いや、なんでもないよ。私も早く朱音のために祈ってあげたい。祈るくらいで朱音が起きてくれるのなら、って思ってさ」

「そっか」

 それから、ときどき会話しつつ、ほかのメンバーを待った。

 次に来たのは寺井と斉藤だった。

「相変わらずのカップルでのご登場で」

 坂本さんがはやし立てるように言う。

「まあ、二人で会ってたからな。一緒に来たんだ。でも、二人とも早いよね。まだ七、八分はあるのに」

「なんとなく、かな」

「私もそんなとこ」

「ふうん。にしても、残念だな」

 四人で、そうだな、と心で言ってた気がした。相田さんは起きない。

 少し経って、カツオと雅人が来た。

「よっす、久しぶり。元気かい」

 カツオと雅人が二人でハモらせて言った。

「まあな、元気だよ。俺らはね」

 と僕は答えた。

 僕らは北海道神宮を目指した。地下鉄に乗って移動して、降りて、歩くと長い列に並ぶ。その間は少し話もしたが、やはり、みな沈んだ気分のようで、仲間のなかでそういう不幸なことが起こった僕らにとってはどうしようもなかった。こういうときにでも明るく振舞ってくれる雅人ですら、

「この時期に、事故にあって、寝たきりになるなんてな」

 と言ったのが印象に残っている。本当にその通りだ。

 賽銭箱の前の人だかりのところについて、僕とカツオと雅人は、奥の方から銭を投げ入れることにした。

 ひゅっ、と僕の投げた百円玉が飛んでいく。カツオも投げた。雅人は、五円玉を簡単には数えきれそうにない数を投げた。

 二回、礼。

 ぱん、ぱん。

 願い事。相田さんが起きてくれること。

 あと受験合格と健康と家族の安全とその他いろいろの僕のこと。

 礼。百円じゃ足りないかな。まあ、しかたない。

 参拝を終えて人ごみから脱出した。カツオと雅人がもういた。

「結構時間かけてたな、そんなに願い事、あったか」

 カツオが笑いながら言う。

「まあ、タケは朱音ちゃんが事故にあってから沈みっぱなしだし、うっ」

 雅人をちょっとこずいてやった。うるさい。

「そんだけたくさん願い事をしてたってことだよ。俺はよくばりなんだ。まあもちろん、俺らの仲間である相田さんのことだってお願いしたさ」

 僕はそう言った。

「仲間、だって」

 雅人がからかうように言う。

「いいだろ、クラスメートは仲間だ」

「ああ、そうだな」

 カツオが同意してくれた。

「そういえばカツオ、なんでそんなに五円玉を投げてたんだよ」

「いや、ご縁はたくさんあった方がいいかなと思ってさ。二十枚いっぺんに投げてやった」

「お前らしいな」

 笑った。そんな話をしていたら、坂本さんと、寺井、斉藤カップルが人ごみから出てきた。

「あなたたちも、ちゃんと朱音のこと、願ってくれた」

 坂本さんが聞いてきた。

「おう」と、雅人が、

「ああ」と僕が言った。

「願ったとも、二十枚の五円玉のうちの十七枚ほどはそれだからな」

「ありがとう。って私が言うセリフじゃないかもしれないけどさ。でもさ、みんなで願えば起きるんじゃないかって思ってさ」

 切なる願いだった。

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