第1話 冬、待ち合わせの約束 5

―*―*―

「で、どうですか。一緒にいてくれませんか」

 いつにも増して、凪は語気を強めていう。それくらい、真剣なことなのだ。僕は、しっかりと答えなければならない。

「いいよ、暇だしね」

 思ったことは、去年はどうして僕から誘ったのだろうか、ということだった。でも一年も前のことだ。その時の僕はきっとそうしたかった。それだけなんじゃないかと思う。その時の心情の詳しいことは記憶していなかった。覚えていたとしても、自分の中で都合のいいように変えられてしまっているかもしれない。

「ありがとうございます」

 凪は笑顔でそう言った。その笑顔にはとても好感を持てる。

「でも、ちゃんと勉強しろよな。これまでの努力と俺の時間を無駄にすんなよ」

「あはは、わかってますって」

 そんな感じで。約束した。待ち合わせの時間は去年と同じ。場所も白い石の前。


 今日は、帰り際、カツオと偶然会い、といっても彼の場合は偶然を装ったワザと、みたいなことも多いのだけれど、夕食を食べに行くこととなった。カツオは、たまにはこういうところに行きたい、と言ってチェーンの居酒屋を指す。それでいいと僕が言う。

 店に入って、テーブル席に着く。

「今年もお疲れだね、カツオ」

「おう、お疲れ」

 食べ物とビールを注文して待つ。

「そういえばさ」

 カツオは言う。

「相田が事故にあってからもう二年になるな」

「そうだな」

「やっぱり行ってるのか、相田に会いに」

「まあな。家庭教師先も相田の幼馴染だし」

「ふうん」

 少し沈黙。ビールが来る。

「じゃあ、お互い今年もお疲れ様。乾杯」

「乾杯」

 グラスを合わせる。カン、といい音が鳴った。

 食べるものが手元にきて、食べ始める時だった。カツオが話す。

「あの時の約束にさ、あいつだけ来れなかったんだよな」

 僕は黙っていた。

「なんか、悔しいよな。せっかく約束したのにさ」

「だな」

「あの中にも現役では合格できなかったやつもいたけど、もう相田だけなんだよな、大学行ってないの」

 そうだな。

「だからさ、あいつが起きたらさ。また、あのときのメンツで北海道神宮、行こうぜ」

カツオは言った。だから僕も答えよう。

「そうだな。そうしよう。それがいいよ」

 おう。

「でもさ、あいつら別れたんだっけ」

「そうらしいよね」

「気まずいな」

「しらないよ」

 あははは、二人で笑った。同じ大学目指して、片方だけ落ちるとか、そういうありがちなことをなぞるからだ。


「やっぱ、おまえ、相田のこと好きだったわけ」

 聞かれた、逃げ場のないところ。僕は、ほろ酔いながらも、真剣に答えることにした。

「じゃなきゃ、じゃなきゃさ。相田に本を届けるように言っただけでここに残ることを決めたりしないさ。でもさ」

 カツオは待ってくれた。僕は続きのセリフをつづる。

「二年は、長いね」

「だろうね」

 気まずくなった。

「俺は永井だけどね」

「つまんね」

 あははは、二人で笑った。さいこうにつまらんよ。言わなくていいことまで行ってしまった気がした。


―*―*―

 クリスマスイブになった。一昨年の相田さんが事故に巻き込まれた日だし、去年は凪と一緒に街を歩いた日である。今日も凪と会う。僕はどうしたいのだろう。

待ち合わせの白い石の前に着いた。待ち合わせの十分前だと腕時計を見て確認した。周りを見ると、やはり去年同様カップルだらけだ。僕は思わず苦笑いをする。凪を発見した。白いコートをまとっていた。雪景色の中にいたらその風景の中にとけそうだ。声をかけようとすると、目があった。

「こんにちは、永井さん」

「おう、元気か」

「やだな、この前会ったばかりじゃないですか」

「じゃあ、勉強は順調か」

「それは、今日は聞かないでくださいね」

 凪は笑って言った。

「今日はまず映画を見に行きませんか」

そう言われた。僕はうなずく。

「この映画なんですけど、もう予約はしてあります。まあクリスマスだから混んでますからね。原作は小説なんだそうですけど、私はまだ見てないんでどうなるか楽しみです。読んだことありますか」

 僕はちょっと戸惑い、でもまたうなずいた。

「じゃあ、絶対言わないでくださいね」

 凪は笑って言う。


 恋愛ものだった。少し同感できないところもあったが、よかった。見ている間の凪はポップコーンをつまみつつ、ときに動作が止まり、コロコロと表情を変えていて、そっちの方が面白かったかもしんない。

 最後の方で、婚約していたカップルの彼女の方が病気で死んでしまうことを、原作を読んでいた僕はわかっていたので少し見てられなかったのだった。彼氏の家に彼女がやってきてから、彼がいつも朝に飲むコーヒーが、彼女は牛乳を朝にいつも飲んでいるからカフェオレにしよう、というシーンは、今後の展開を知っていた僕には少し痛かった。そして最後のシーン、朝食の飲み物がまたコーヒーに戻ってしまう彼を思うと、とてもかわいそうだった。何かが欠けてしまった、そういうことってこういうことなのだろう。そんなことを考えていた。

 見終わって、少し休憩して、去年と同様にカフェに入る。

「なんか、変な気分です。タイトル通り、泣ける話でしたね」

「ああ、そうだね。なんか普遍そうな話なのにね」

 注文をする。ここで夕食をとる。もう外は暗いのだけれど。

「結構、奇跡的なことが起こるんじゃないかなって、期待してました。まあそれじゃあタイトルのような話にはならないでしょうけど。でも、死んじゃう話は、ちょっとつらかったかな」

「そうだね」

 おそらく、『彼女』が入院していたシーンが相田さんとかぶったのかもしれない。僕だってそうだ。映画と違うのは、相田さんは話すことはできないということ、そしてまだ相田さんは死んではいないということ。

 少しの沈黙が続いている間に飲み物が来た。僕はコーヒー、凪はミルクティーを少し口に含む。

「でも、いい作品でした。見に行ってよかったです」

 凪は笑って言う。

「そうだね、良かったよ。誘ってくれてありがとう」

 僕もそう返した。

 それからはまたいつもと同じような話をした。ここのところ寒いな、いや毎年このくらい寒いですよ、だとか。あの映画に似てるあの小説はおもしろいですよ、へえ今度読んでみるよ、だとか。

 食べ終わり、二杯目のコーヒーを飲み終える。凪は言った。

「もうちょっとだけ付き合ってくれませんか」

 僕は、いいよ、と答えた。でも少し、なんとも言いようもない気持ちにとらわれていた。

 相田さんのことが好きだったんだっけ。


 公園に来た。そばの大きな通りにはイルミネーションが施されてあり、きれいに光っていた。周りはカップルだらけだった。

「わがまま、聞いてもらってありがとうございます」

「いや、大丈夫だよ。俺はそんなに忙しくないし。そんなことよりしっかり勉強もしろよ」

 僕はこの雰囲気を壊したくなってそう言った。このままだと、たぶん引きずられるような、そんな気がして。

「今言わなくてもいいじゃないですか、そんなこと」

 頬を膨らませる真似をして、凪は言った。僕はそんな姿を見て、少し笑ってしまう。

「ごめんな」

「全然、ちゃんと謝っているように見えないですよ」

 凪は、それでも笑って言っていた。

 少しの沈黙、この雰囲気はよくない、そう思った。何か雰囲気を壊そうと、口を開きかけたとき、凪は言った。

「私は、永井さんのことが好きですよ」

 だからよくないって思っていたのに。もし聞かれたら、どう答えればいいのか。僕がここにとどまった意味が消えてしまうんじゃないか。

「だから、永井さんがどう、私のことを思ってくれているのか、気になってるんです」

 凪がとても意地悪な顔をしているように見える。

 そうさ、僕は水島凪がとても素敵な女の子だって知ってるし、好きだ。でもそれはどういう好きなのか、こういう場面で答えていい好きなのか。そうではなかったはずだった。言葉を返すことができない。

――去年、私をクリスマスに誘ってくれたのは、なぜですか。

 それはわからない、すり替えられそうになっている気がする。

――私と付き合ってくれませんか。

 あ、聞かれた。

――私にキスしてくれませんか


 そのとき、頭で響いた。

――凪にキスをしようか


 それに、僕は抗わなかった。抗えなかった、のではなかった。凪だから、まあ、いいかと思ったのだ。だから、気づくと凪の柔らかいところにふれていた。唇だった。

 触れるだけのキス。それが離れる。

 凪は少しにやけて、じゃあ、付き合ってくれますね、と聞いてきた。

 僕は、決めることにした。

「ああ、いいよ。そうしよう。でも、家庭教師が終わってから、でいい」

「うん、ありがとう。好きですよ」

 僕はそれにうなずくだけだった。凪は、恥ずかしくなるようなことを言ってくる。

 えへへ、嬉しいな。そう凪はにやけながら言っていた。僕は、彼女の好意に応えられるのだろうか。


 じゃあ、また次の授業で。と言って凪は改札を通って帰っていった。僕は一つ、決めた。

 相田さんは友だちだ。起きたら、七人で北海道神宮、行くんだ。

 何か、違うような気がした。

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