第1話 冬、待ち合わせの約束 2
どうしてこうなったのだろうか、と聞かれると、誰かにそうして欲しいと願われたのかもしれない。
でも、これは確実に自分の意志であり、その行為に対し僕は大きく後悔をしている。
もし、ほかの行動をとっていたとしても、どうしてこうしなかったのかと、やっぱり激しく後悔することを。どうしても、この土地に残りたくなったから。彼女が寝続けている原因の一つに、僕もあるだろうから。
電車が揺れる。冷たい空気を切ってずんずんと進んでいく。
僕は北海道の国立大学へ通っている。家は実家からはそこそこ遠いので一人暮らしである。まあ、頑張れば通えなくはないが、頑張ることは疲れることだ。むやみに疲れることは、楽ができるならばしない方がよいに決まっている。ゆえに親に少々わがままを言って一人暮らしの援助をしてもらっている。
二年目の大学も後期の日程に入り、ぼけっとしているとついていけなくなる。だから少し不安でもあった。そしてだんだんと冬が近づいてくる。今年の冬の始まりもとても早いらしく、まだ十一月だというのに街に雪が今日も降るらしい。初雪はとっくの間に迎えていた。でもよく考えると立冬はもう過ぎていることから、暦の上ではもう冬である。ふと、二年前を思い出すと、あの年もこの時期にはもう雪が降り始めていた。
今日は、あの子とともに彼女に会いに行く。眠りつづけている相田さんに。
受けるべき講義を終えた僕は電車に乗って移動する。その間は本を読んでいた。ゆっくりと電車がスピードを落とし、目的の駅に着く。電車から降りる。改札を抜けて、少し寒くなってきたなと思う。そこには制服をまとった小柄でショートヘアの女の子、水島凪がいた。
「よっ」
声をかける。彼女は微笑んで「あっ、永井さん、こんにちは」と言った。
「勉強、はかどってるか」
「なんで今、それを聞くんですか。ひどいですよ、これから勉強するんですし、勉強の話はそのときでいいじゃないですか」
少し頬を膨らませて凪は言った。二人で病院へ歩き始める。少し強い、そして冬の訪れを知らせてくれるような冷たい風が吹く。
「今日は雪が降るかもしれないんですって、知ってました?」
「らしいね、寒くなってきたなあ」
「一昨年も、早い時期に雪、降り始めましたよね」
「……だな」
寒い。寒いから歩くスピードを少し上げた。
「どうして急に早く歩くんですか」
「寒いからだ」
そのまま病院へ歩く。凪も遅れて駆け足でついてくる。
病室へ着く。僕らは週に二回、ここに来ている。たぶん使命感みたいなもの。なんで僕がそれを続けているのだろう。その理由は分かっていて、きっと続けないともっと後悔するから。僕のとった行動の意味をなくすから、という傲慢かもしれないけれど。
――コンコン。
病室をノックしたのは凪。ドアを開けるといつも通りの殺風景な病室に寝ている若い女性がいた。相田さん。枕元の台には花瓶に花が飾ってある。花の名前は僕には分からないが。
「こんにちは」
声をかける。
「また来たよ」
と凪が言った。話しかけてもやっぱり起きることはなかった。
そしていつも通り凪は相田さんに向かって語りかけた。自分の話、楽しかったこと、笑ったこと。僕は聞き、ときにそうだったよねと語りかける。
僕はふと窓から外を見た。オレンジ色した世界の中で白くてふわりとしたものが落ちてきていた、雪だ。
『あ、雪だ』
相田さんがそう言ったように聞こえた。いつだったっけ。ああ、そうだ。二年前のあの大雪の日だ。
「雪が降ってるよ」
僕は相田さんに語りかけるように言う。
「ほんとだ。雪だよ、朱音」
凪も言う。ちょっと悲しそうに。凪も気付いたのだろうか、一昨年もこの時期に雪が降り始めたことに。
最近起きたことを凪は語る。特別なことはなく、いつも通り。今週は少し寒かった、とか、受験勉強は順調だ、とか、そういうことを言っていた。
凪の語りが途切れる。長くこの病室いても何も変わらない。それから少しの時間がたって、僕らは「また来るよ」と相田さんに声をかけて病室をあとにした。そして凪の家に向かう。
凪の家は相田さんが寝ている病院から近かった。
家の前。二人で入る。凪が、ただいま、と声を張って言う。あとに続いて、
「こんにちは、おじゃまします」
と言って僕は家に入る。
「どうぞ、どうぞ。今日もよろしくね」
と凪の母親が言ってくれる。凪はえへへ、と笑っていた。苦笑い。
僕は凪の家庭教師をしている。そして、凪と相田さんは、幼馴染だった。
***☆***
彼女と初めて話した日は相田さんの病室に僕が二回目に訪れた時だが、彼女のことは僕が高三になった春から知っていた。電車で本を読むあの子。
そして彼女が相田さんの幼馴染だと知ったのはあの事故が起きた日。
二人が話しているところをあまり見たことなかったし、そもそも相田さんとは同じ路線を使っているのに見かけたことはあまりなかった。まあ、電車の時刻やいつも乗る車両の違いのせいであろう。何年も同じ車両に乗っていたのに突然変えるのもおかしいだろう。
沈んだ気持ちで病室へ訪れたあの日の僕は、病室にいた凪に声をかけた。
「こんにちは」
「あ、こんにちは」
話が続かない。彼女も何を話していいのかもわからない。僕は入るべきじゃなかったのかなと後悔した。でも僕は決めていたから。そしてこうなったこともほかの人にはそうとは思えないだろうが僕にも責任があるから、あると思っているから。だから相田さんの病室に入って彼女に声をかけた。
「この本を、見つけてくれた人ですよね」
沈黙を破るように彼女が言った。僕は責められることを覚悟した。
「そうだ、よ」
「だ」と「よ」の間に間ができてしまったなと思う。外は雪が降り続く。
「拾ってくれてありがとうございます」
彼女はそう言った。少し泣いていた。
―*―*―
凪は本が好きだ、というか小説が好きだ。そのジャンルは問わない。だから僕は、彼女は文学部とかに進学するのかと思っていた。しかし、そうではなかった。
「いや、今の時代、工学ですよ、工学。技術がないと世界には立ち向かえませんからね」
そういうわけで僕は受験勉強の手伝いを家庭教師という立場をとって勉強を教えている。僕も理系だから。
課題にしていた問題の解説をしていく。僕はこの週二回(多い気がする)の凪の家庭教師に加えて、塾の講師(週二回)もしている。というわけで教えることに対して、あまり難しいことはない、と思っている。
そして今日も終わる。時々夕食をごちそうになっているが、今日もそうなった。ありがたい。
---*****---
言いたいことがあった。でもそれは本当に伝えるべきことなのか。
迷っていた。でも伝えたくて仕方なかった。
だから言った。
「あの集合の日の一時間前に、ここに来てくれませんか」
それは待ち合わせの約束。
―*―*―
そんな日々を送っていた。毎週同じように繰り返す。相田さんが起きることを願って。
十二月になったある日、たまたまカツオにあった。同じサークルなのだが学部が違う上に、僕はあまりサークルの活動に参加していなかったので、なかなか会うこともないのだ。こんなんでいいのかなと思わなくもないが、出なさいと言われることもないのでたまにしか顔を出さない。
「よお、タケ。最近はどうだい」
「カツオ、久しぶり。俺はいつも通りかな」
「そっか、じゃあまだ朱音さんのとこには行ってるわけ」
「まあね、僕にもその責任はあるし」
カツオには僕があの日、なにをしていたかを話してある。
「そっか。まあ全然おまえが責任を感じるようなものじゃないんだと思う、って毎回のように言ってるかなこれ」
「そうだな」
「じゃああれか、やっぱり朱音ちゃんのことが好きだったからか」
「それも毎回、言ってるよね」
二人で笑った。次の講義に間に合わなくなりそうだと気づく。
「まあ、次の講義があるから、俺行くわ」
「おい、はぐらかすのかよ」
カツオが言う。どんな顔をしてそんなことを言ったのだろうか。僕は後ろに向けて手を振った。振り返らない。ホントのところはどうなのだろうか。自分自身はっきりしない。答えを出したくないから、かもしれない。
十二月も下旬に入った日。僕は凪の授業の日で、凪とともに相田さんの病室を訪れていた。外では深々と雪が降り、ただでさえ白く殺風景な部屋は窓から見える外の雪景色で余計に白く見せていた。
「たくさん積もってるよ、雪」
語りかけるように僕が言う。
「そうだよ、朱音、今年も雪がたくさん降りそう。いいな、雪かきしなくて」
凪がそんなことを言った。僕は少し笑って言う。
「それは、そうだね。でも相田さんも頑張ってるんだ」
もうすぐ彼女が寝続けて二年になる。
帰り際、相田さんに向かって凪はなにかを語りかける。
「もうすぐ、二年経っちゃうよ。起きないの、朱音。だったら、わたし……」
そんな風に聞こえた気がしたけど、聞こえていないふりをした。
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