第三十六話 地獄への扉
静けさを取り戻した十三星座教会。輝煌の部屋からは夜の教会区が見渡せる。
深夜の出来事とはいえ、つるぎ座の教会で起こった騒動はさすがに隠しきれない。水底で舞い上がった泥のように、事態は見えないところで静かに広がりつつあった。日が昇れば表面化するのは間違いないだろう。
「マニベル大煌は?」
「恐らく死んだかと。何分、あの事態でしたので、跡形もなく……」
「そうか」
輝煌はハリウスに背を向けたまま報告を聞いていた。今は静かな湖に面した窓に身体を向け、ハリウスにはその表情を窺い知ることは出来ない。
机の上には使い手を失った大剣が置かれ、ランプの灯りを受けて寂しく光を返していた。
凶行に染まってゆくマニベルの行く末を深く憂慮していた輝煌だ。やむを得ないとはいえ、同じように命を奪う側にまわることの心中は深く察せられた。
「後の始末は私がする。……つるぎ座の使徒も、一度解体せねばならんな」
輝煌の無念に満ちた言葉を聞いた後、ハリウスはその場をまかり出ようとしたが、それを呼び止めるように声がかかった。
「ところで、今回の件で巻き込んでしまった者たちは今どこに?」
「はい。治療と休養のため、教会へ招いております」
「会えるか?」
輝煌がハリウスの方を向いて言った。その瞳に宿る意図を認め、ハリウスは頷き応えた。
*
北星魔法による治癒は、やはり一般の魔法よりも性能が良いらしい。その道の専門でないハリウスが簡易的に治療を施してくれたが、それでも一歩も動けないほどボロボロになっていた僕の身体から痛みはひいていた。今は安静にしているが、明日の朝には動けるようになるだろうとのことだ。
マニベルとの戦いの後、僕らはハリウスに連れられる形で十三星座教会へと戻った。小舟で極寒の湖を渡るのは中々に応えたが、橋は落ちてしまっていたので仕方がない。儀式魔法の整った教会でハリウスから治癒魔法を受けた僕らは、一階の救護室に横たわって静かに過ごしていた。
ルルとララは隣のベッドで横になっている。二人とも眠ってはいないようだが、何を考えているのかは分からない。フロド王子とテイラーさん。それにラミカさんとルルの両親は大きな怪我もなかったので、今は別室にいるらしい。明日になったら色々と話さなければならないだろう。そしてハリウスは輝煌への報告があるとのことで、僕らに治癒魔法をかけ終えてからは、自分の治療もそこそこに部屋を出て行ってしまった。
やることもなく、僕はベッドで身を起こして外へと目を向ける。窓から見える聖都は静かなものだ。あれほどの騒ぎが広まらずに済むとは思えないが、街と湖で隔たれたここにいると大きな声も届きはしない。ついさっきまでの戦いが嘘のように思えてくるほどだ。
一通の手紙から始まった命懸けの攻防も、これで落ち着いたと言えるだろう。もうつるぎ座の使徒に命を狙われることはないはずだ。しかし、僕の心は戦い以前の平静に戻れずにいた。聖都に来て告げられた情報が頭の中でずっと響いている。
北星教における悪魔という存在について。そして、僕らがここに呼び寄せられた理由について。マニベルが語った言葉は、彼女の亡き今も僕の心に大きな影響を残していた。
僕が出口のない思索にふけっていると、不意に扉がノックされた。僕が返事をすると扉が開き、二人の人物が入ってきた。一人はハリウスだ。その後ろに続く姿には見覚えがないが、装飾に富んだ祭服や威厳を感じる歩き方から正体は察せられた。
輝煌の姿を見たルルとララがベッドから出ようとしたところ、輝煌は静かにそれを制止した。
「どうか、そのままで」
ルルとララ、そして僕の姿をゆっくりと確認した輝煌は初めて名乗った。
「私は北星教会の輝煌です。今回の件について、北星教会を代表してお詫びします。本当に申し訳ないことをした」
そう言って頭を下げる輝煌。何と答えていいのか分からずに待っていると、輝煌は頭を上げてそのまま続けた。
「この後フロド殿下には直接お話ししますが、王宮と事前に話をした通り、つるぎ座の使徒が単独で凶行に及んだ形に収めるつもりです。北星教会は下部組織の管理が不十分だったと正式に謝罪をします。教会と王宮の間に対立は残らないでしょう」
「つるぎ座の使徒はどうなりますか?」
ララが質問を投げかけた。
「つるぎ座の使徒は一度解散して作り直します。残党についてもこちらで対処するし、今後皆さんが巻き込まれる心配もないから、安心してください」
ララは納得したのだろうか。良いとも悪いとも言わずに黙った。部屋が静かになったところで、僕は決意と共に手を挙げた。相手の立場を見て物怖じしそうになるが、今聞かなければチャンスはない。
輝煌が僕の方を見て発言を促した。
「どうぞ」
「マニベルは……」
僕はそこまで言って、一度躊躇した。この質問は藪蛇ではないだろうか。また教会を敵に回すことにならないだろうか。しかし、僕は知りたかった。僕という存在について、僕自身よりも多くを知っている教会ならば分かるかも知れないことについて。
「マニベルは、僕のことを悪魔だと」
「教会は貴方のように特殊な存在を認知しています。しかし、公式に悪魔だと認めた事実はございません」
「それはハリウスさんから聞きました。書類の上での扱いについては、どうでもいいんです。これは、僕が北星教で言うところの悪魔であること、そして、僕の住んでいた世界が北星教で言うところの地獄であるという前提で聞くのですが――」
輝煌が、ルルとララが、ハリウスが。この部屋の全員が静かに言葉の続きを待っていた。
「僕が元の世界に帰る方法はあるのですか?」
輝煌は僕の言葉を受けると、少し思案するように手で顎を撫ぜてから言った。
「……あります」
思わず息を呑む。
あった。本当にあった。
僕は声が裏返りそうになるのを必死で押さえ、絞り出すようにして続きを促す。
「それは、どうやって……?」
「貴方もご存知かと思います。この地上と地獄を繋ぐとされる神を」
「とびら座」
僕が呟くと、輝煌は頷いた。
「実際に神の降臨を目の当たりにしてきた貴方には分かるでしょう。星座の神々は聖典の中だけの存在ではありません。とびら座の神も同じです。かの神には、地獄への入り口を開く力がある。しかし……」
そこまで話した輝煌は何故か言い淀んだ。しばらく部屋を沈黙が覆ったが、やがて続きを話し始めた。
「しかし、残念ながら、我々には貴方を故郷へ送るお手伝いはできません。儀式の方法は長い歴史の中で失われており、教会の誰もとびら座の神を喚び降ろす方法を知らないのです」
「そう、ですか……」
それなら方法は無いも同然だ。
僕は今落胆しているのだろうか。不思議な気分だった。元の世界への帰還についてルルや剛堂さんと話す機会はあったが、その都度思ったことがある。そもそも僕は元の世界に帰りたいのかということだ。正直に言ってしまえば、今ほど人生が充実していたことは未だかつてない。ルルやララとの出会いが僕の全てを変えた。
一方で、剛堂さんのことを思う。剛堂さんは異世界転移して以来、ずっと日本に帰る方法を探し続けている。元の世界に帰りたいかという話をした時、当たり前だと即答していたのを今でも覚えている。きっと、おかしいのは僕の方だ。そのことが、ずっと僕の中に小さな焦燥感のようなものとなって燻っていたように思う。あんなに頑張っている剛堂さんと比べて、自分は呑気に暮らしていて良いのだろうかと。
帰る方法が事実上無さそうだと知って、胸のつかえが取れたように感じた。なあんだ、方法が無いなら仕方ないじゃないかと。自分を納得させる材料が与えられたからだろう。
「残念ですが、ご理解頂きたい」
「はい」
一通りの話を終えた輝煌だったが、何故かその場に立ち尽くしたまま動かなかった。去るわけでも話を続けるわけでもなく、何かに逡巡するかのように首を捻っている。僕が何も言わずに待っていると、迷った様子のまま話し始めた。
「本来であれば、このようなことを私が言うべきではないのですが……。教会にこだわらなければ、とびら座の神を喚び降ろす方法はあるやも知れません」
「えっ、でも教会の誰も分からないのにどうやって」
「……フェアトラの遺産です」
まさか教会からその名前が出るとは思わなかったから面食らった。
フェアトラの遺産といえば、北星十三星座を元にした、本来存在してはならないはずの魔籠。だが、言われてみればその通りだった。十三星座の魔籠があるのなら、そこにとびら座の神を喚ぶ魔籠があるのも当然だ。
「私に言えるのはそれだけです。これからフロド殿下にも説明がありますので、これで失礼致します」
それだけ言い残すと、輝煌はハリウスを連れ立って部屋を出て行った。
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