第三十七話 ルルの決めたこと

 目覚めた時にはすっかり日が高くなっていた。といっても、街の上には広い雪雲が陣取って、直接太陽を拝むことは出来なかった。既に街は動き始めているはずだが、昨夜の騒動がどうなったかは分からない。


「あっ、おじさまも目が覚めましたね。おはようございます」

「ルル」


 部屋の扉が開き、ルルが入ってきた。僕は上体を起こして対面する。


「もう体調はいいの?」

「それはわたしの台詞ですよ。おじさまの方が大怪我だったんですから」


 僕は怪我のあったところを撫でてみたり腕を回したりしてみた。治癒魔法はしっかりと効いてくれたようで快調そのものだ。いくらかの疲労感こそあるものの、怪我はほぼ治ったと思ってよさそうだ。


「僕はもう大丈夫。ルルも平気そうでよかったよ。あの時は本当に心配したんだぞ」

「わたしの気持ちが分かりましたか?」

「ハラハラしたよ」


 僕の返事を聞くと、ルルは冗談めかした顔でクスクスと笑った後、少しだけ申し訳なさそうに続けた。


「でも実際は本当に危ないところでした。試し撃ちするわけにもいかなかったですから、どうなるかわたしでも分からないところが多くて……」

「それなら、これからは使わずに済むようにしなきゃな」

「はい。でも、無茶をしないのはおじさまも一緒ですよ」


 ルルに無茶をさせないためには、僕もあまり無茶はできなさそうだ。毎度ルルが倒れる姿を見せられるのは耐えられそうにない。


「そういえばララは?」


 僕は隣のベッドが空になっていることに気づいて尋ねた。


「先に起きてますよ。ハリウスさんが昼食を用意してくれたので、おじさまも呼びに来たんです。食べられそうですか?」


 そう言われて急に食欲を自覚した。怪我の治った身体が栄養を欲しているらしい。夕方から夜通し暴れ回って、よく今まで動けたものだと苦笑する。


「行くよ」


          *


「壮健なようで何よりだ」

「お陰様で」


 教会内の食堂にはハリウスとララがいた。

 広い食堂だ。年季の入った長机とセットの椅子が遠い部屋の端までキッチリと並んでいる。数百人は収容できそうな空間の端の方で、僕らは席に着いた。

 簡素なパン、野菜の浮いた温かいスープ、スクランブルエッグが木の皿に盛られており、牛乳が添えられていた。ハリウスが調理したのだろうか。


「先に頂いてますよ」


 ララがそう言って、スープに浸したパンを囓っている。ララも元気そうでよかった。大怪我からの復帰について、やはりララは先達だ。


「フロドさんたちは?」

「何か話があるとかで、両親を連れ立ってどこかへ行きました」

「え?」

「今度はどんなお節介をするつもりなんでしょうね」


 ララは若干の呆れを含んだ声で呟いてパンの最後の一欠片を口に放り込み、その隣でルルが神妙な表情で隣で居住まいを正した。

 

 噂をすれば。扉の向こうからコツコツといくつかの靴音が聞こえてきた。音は静かな食堂によく響き、その場の全員が注目したところで扉が開いた。

 フロド王子を先頭に、テイラーさんとルルの両親が続いて食堂へと入ってきた。


「ああ、イマガワさんも目が覚めたみたいですね。良かった。一緒に聞いてもらいたくてね」


 フロド王子が言った。顔面からは隠しきれない期待の気配が滲み出ている。

 一歩退いたフロド王子に代わり、オークマレット卿が前に出た。フロド王子とは対照的な厳めしい顔で僕らの顔を見渡した後、ルルに視線を定めて言った。


「ルル。反乱の首謀者であるマニベル大煌を打ち倒して騒ぎを沈静化した実績を、殿下は高く評価しておいでだ。私もそれに倣い、お前の行いを評価しよう」


 突然飛び出した上から目線の物言い。上から目線であることは以前と変わらないと思うが、昨日あれほどの醜態を晒しておきながら、よくもこれほど大きな態度が取れるものだと驚いてしまった。不思議なことに怒りが起こらなかったのも、きっとそのギャップのせいだろう。彼らがどんなに大きなことを言おうが、実際の姿を知っていると全く響いてこないからだ。


「何を偉そうに」


 ララがぼそりと呟いた。


「恩知らずだの、突き出しておけば良かっただのと言っていたのはどこの誰だったでしょうか。たった一晩でコロッと意見が変わるのだから、滑稽ですね本当に」


 夫妻は揃って苦虫を噛み潰したような顔でララを睨んだが、そのまま話を続けた。


「この評価を元に、私たちはお前の立場を今一度見直すことにした。家に戻りたいと思うならば、受け入れよう」


 全員がルルに注目する。ルルは何と答えるのだろう。ルルが家を追い出されてから、ずっとずっと待ち望んでいたことだ。あらゆる熱意の原動力になっていたことだ。今、手の届く場所にそれがある。

 皆が固唾を呑んで見守る中、ルルはついに口を開いた。


「わたし、おとうさんのことも、おかあさんのことも、ずっと大事に思ってる。今もそうだよ。でも……」


 ルルは言葉を区切ると、僕やララ、そしてフロド王子を順に見渡してから再び両親へと視線を戻した。


「大事なのは二人だけじゃないの。おじさまやララやお師匠さま、それからフロドさんのことだって同じくらい大事に思ってる。あんまりこういうことは言いたくないんだけど、おとうさんがわたしに戻ってきていいって言うのは、フロドさんとの結婚のことがあるからだよね?」


 ルルの言葉を聞いていたフロド王子があからさまに焦った表情を見せ、肩をすぼめた。やはり何らかの条件を提示されてのことだったのだろう。


「でも、それはフロドさんにとってもの凄く失礼なことだよ。わたしはフロドさんの思いを利用するようなことはしたくない。だって、おとうさんたちと同じくらい大事なんだから」


 ルルは再び言葉を区切ると目を閉じて少しだけ顔を伏せたが、やがて決意のこもった視線と共に顔を上げ、きっぱりと言い放った。


「もしも、フロドさんとの関係を全部抜きにして、それでもわたしとララにどうしても戻ってきて欲しいってお願いしてくれるなら、


 力強いルルの言葉を受け、夫妻は一瞬たじろいだように見えた。

 もう、親の顔を窺うルルではない。どんな揺さぶりもルルの意志を曲げることは出来ないだろう。ハッキリとそう感じさせる言葉だった。

 オークマレット卿は何か言い返そうとしたのか口を開いたが、小刻みにパクパクと唇を震わせるだけで言葉は出てこなかった。それもそうだろう、今までは必死なほどに自分を求めてきた相手が、戻って欲しければお願いしてこいと言ってのけたのだから。

 とうとう、オークマレット卿は踵を返して出口へと歩き始めた。夫人が焦った様子でそれを追い、二人揃って姿を消した。


「ふーっ……」


 ルルが胸を押さえて大きく息を吐いた。


「とっても緊張しました」

「よく頑張ったよ」

「はい!」


 今度こそ完全に吹っ切れたルルの表情は明るい。やはり、ルルは自分の未来を自分で決める力を持っている。


「それにしても、今度はどんなお節介をしてくれたんでしょうね」


 ララがフロド王子に話を振ると、彼は焦った様子で説明してくれた。


「あー……。ルルさんを再び家に迎え入れるよう考えてくれたなら、僕は今後もルルさんにアプローチを続けると……」

「ということは、今後はお姉ちゃんのことを諦めるということですね?」

「いや、ほら、まだ彼らが改心する可能性もあるだろう……?」


 ララに指摘されてたじたじのフロド王子。その様子を見て皆が笑い、寒々しかった食堂に朗らかな空気が満ちた。ここ数日ずっと張り詰めていた心がほぐれていくようだ。ちょうど雪雲が流れ、雲間から昼の陽光が差してくるところだった。午後からは聖都も暖かくなりそうだ。

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