第三十四話 起死回生

 痛む身体に鞭打って、剣を構える。マニベルはもはや僕を脅威とも思っていないのだろう。ろくな構えもなく、光る大剣をだらりと下げたまま歩み寄ってきた。

 剣を振るって雷撃を放つが簡単に弾かれ、足止めにもならない。マニベルは悠々と僕の目の前まで辿り着くと、大剣の柄で顔を殴りつけてきた。僕は回避も出来ずにそれを食らう。骨に響く鈍い音に視界が揺れ、気づいたら仰向けに倒れていた。

 マニベルは倒れた僕の肩を踏みつけ、剣の切っ先を首に突きつける。何とか立ち上がろうとするも、杭で打たれたかのようにビクともしなかった。


「念のため最後に聞いておきましょう。貴方の他に、存在を知っている悪魔があれば全て話しなさい。もちろん正直に話しても断罪は免れませんが、星は死後に慈悲を与えてくれるかも知れませんよ」


 そんなことを言われて話す奴がいるだろうか。肩にかかる痛みに耐えながら、僕はマニベルを下から睨んで答える。


「僕の……」

「何です?」

「僕の、知り合いに……悪魔なんて、いない……!」

「そうですか」


 マニベルは眉一つ動かすことなく言うと、剣を振り上げた。

 本当にこれまでか。ほんの数日前までルルたちと平和に暮らしていたのが嘘みたいだった。暖かくなったら鐘鳴君たちに会いに行くつもりだったし、マリンさんの新しい学院の見学だって、ルルとララを連れ立って行きたかった。

 桃花ちゃんはどうしているだろうか。学都が彼女にとって少しは生きやすい場所になっていたらいいな。もう研究室からは出られるはずだから、あの眺めの良い食堂で、今度はララも一緒にお昼を食べたかった。

 剛堂さんは日本へ帰る手段を見つけられるだろうか。剛堂さんについて、ララは色々と懸念があるようだけど、僕もルルも大いに助けられたことに変わりはない。先人の忠告はもっと真剣に聞いておくべきだった。

 ルル。なんとか無事で逃げ延びてくれ。折角強い魔籠を作ってくれたのに、情けない。頼みの綱はララだけだ。


 せめてもの抵抗として、最後まで敵から目を離さないと心に決める。

 大剣が頂点から振り下ろされる。光の軌跡が雪雲をバックに描かれ始めた、その時。風を切る音と共に、マニベルの手首に何かが絡みついた。濃い茶色のこれは、木の根のように見える。

 突如として動きを止められたマニベルの手から、勢いづいたままの大剣だけがすっぽ抜けた。くるくると回転しながら、夜空に放物線を描く剣。それが遠くの雪に刺さる音で、僕は我に返った。


「クラーケンフォーム!」


 千載一遇のチャンスだった。何が起きたか分からないが、動くしかない。

 僕の両脚がクラーケンの触手へ変貌。変身の勢いをもってマニベルを蹴り飛ばした。直撃の確かな感触が伝わってくる。

 追撃するなら今しかない。激痛と疲労を無視し、僕は変化した脚をバネに跳び上がった。冷たい空気を切りながら上昇する中、こちらへ向いたマニベルの顔があった。初めて表情が動いたのを見た。驚きとも焦りともとれる僅かな変化。何よりも確実な手応えだ。


「ファイヤーキック!」


 触手と化した両脚が一斉に燃え上がる。両脚を鞭のようにくねらせ、マニベルを狙って乱打した。攻撃のほとんどが驚くほど容易く命中した。マニベルは広場の地面に叩きつけられ、雪煙を上げる。

 すぐに立ち上がったマニベルが降下中の僕を睨みつけながら何かを唱える。強い光が渦を巻きながら襲いかかってきたが、脚の一振りでかき消すことが出来た。あの大剣が無いから儀式魔法が万全ではないのかもしれない。それなら、ルルの魔籠の敵ではない。


――いける。今しかない!


 勢いにまかせ、追撃を加える。反撃を恐れてはいけない。今は……今こそが攻め時だ。

 落下の勢いを乗せたまま炎の触手で地面を滅多打ちにする。確認など後でいい。今は体力の続く限りやるだけだ。

 魔法切れで炎が消える限界まで続けたあと、僕はララの隣に降り立った。心臓は早鐘のように打って、疲れと興奮に全身が震えていた。荒い呼吸で必死に冷たい空気を取り込む。


「どうなりましたか……あいつは」


 やはりさっきの攻撃がかなり効いているのだろう。相当弱った様子のララが問いかけてきた。


「分からない。やれるだけのことはやった。これでダメなら……」


 もうもうと立ちこめる土煙が収まってくると、ようやくマニベルの姿を見ることができた。祭服は破れに焦げて土にまみれている。苦しそうに膝を突いた体勢に加え、整っていた髪も汚れており、いつか恐れを感じたほどの神聖さは失われていた。代わりにその目に宿ったのは静かな怒り。爛々と輝く瞳は不吉な星のように燃えている。


「どういうおつもりですか、殿下……」


 マニベルが重く言葉を吐いて鋭い視線を送る。釣られるように僕とララもそちらを向くと、そこには杖を構えた一人の少年がいた。


「フロドさん!」


 十三星座教会で別れたフロド王子がそこにいた。両隣にはテイラーさんとラミカさんも控えている。無事にあの場を切り抜けられたようだ。

 よく見れば、フロドさんの足下からは太い木の根が僕らの方へ向けて伸び、途中で千切れていた。さっきマニベルの妨害をしたのはフロド王子の魔法だったのか。


「僕は初めから彼らの味方だよ、マニベル大煌。君の剣に、人を裁く正義はない」


 フロド王子の言葉を聞いたマニベルは口の端から流れる血を袖で拭うと、ゆっくりと立ち上がった。まだ戦うつもりだろうか。


「わかりました。ならば、裁きは星に委ねるとしましょう」


 何かするつもりだ。

 僕は再び仕掛けるべく一歩を踏み出そうとしたが、脚が言うことを聞いてくれなかった。頼りなくカクカクと膝を笑わせて、その場にへたり込んでしまう。気づけば傷口から滲み出た血が服を染めていた。いくら気持ちで頑張っても、身体は鉛になってしまったかのように重く動かない。湖での激闘から逃亡、怪我に連戦。もう身体はとうに限界だった。


「主曰く。手を組み、祈れ。隣人を叩かぬように――」


 マニベルが雪の上に跪いて何かを諳んじ始める。

 立ち上がれない僕に代わり、ララが杖を構えてマニベルに対峙する。怪我をしているのだろう、動きに鈍さがある。しかし、それは相手も同じだ。

 ララの放った光弾がマニベルに迫る。防護の魔法が発動したようだが、やはり効力が落ちている。魔法を完全に消しきれず、マニベルは腹に光弾を受けて派手に転がった。


「主曰く。口を噤み、祈れ。隣人を罵らぬように――」


 マニベルは苦悶の表情を浮かべながらも言葉を紡ぎ続けていた。ララの攻撃を最小限だけの防護で辛うじて凌ぎ、ズタボロにされながらも、決して言葉だけは止めなかった。一方のララも完全に押し切れないまま時間は過ぎてゆく。 


「主曰く。跪き、祈れ。隣人を足蹴にせぬように――」


 ララの放った炎が、マニベルの美しい肌を焦がした。


「主曰く。目を閉じ、祈れ。隣人を睨まぬように――」


 ララが巻き起こした空気の刃が、マニベルの白い祭服を赤く染めた。


「使徒フラバ問うて曰く。されど、彼は盗人。罪人は裁かれるべし――」


 ララが放った光の槍がマニベルの肩を貫いた。


「主応えて曰く。其れは汝の役目にあらず。汝は祈れ、我が裁く――」


 ララが落とした氷塊がマニベルの両脚を砕いた。


「天つ剣は魔を断つ光、その死を以て己が罪を顧みるべし」


 満身創痍で言葉を終えたマニベルが天を仰ぐ。そして雪雲が全てかき消えた。

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