第三十二話 つるぎ座の教会
僕らはつるぎ座の教会へ辿り着いた。
さすがは北星十三星座の名を冠する教会とあって、他の多くの教会と比べて見てくれが明らかに壮大だった。
様々な宗教的モチーフに彩られた広場を抱える大きな敷地に建てられ、細く高い尖塔が剣のように空へと伸びている。広場の中央には一際目立つ彫像があった。それは大きな剣を持つ美しい天使像だ。ドレープの多い丈長ドレスを身に纏い、編まれた髪を地に届くほど垂らしている女性のようだ。これがつるぎ座の神なのだろうか。
例に漏れず、この教会も星蒔きが施されている。建物から広場まで、あらゆるところにランプの明かりが灯っている。ただ、それらも今は凍り付いた時間の中で揺らめきを止めていた。ルルの作った時間停止の魔法は今も継続中だ。
ここまで強化魔法を使わずに雪道を長距離走るのは中々堪えた。冷たい空気の中でも暑いほどに身体は火照り、力なく覆い被さるルルの重さが膝を震えさせた。それでも、ルルが耐えている苦しみに比べたら大したことはない。
魔法に頼らず走らなければならなかったのはララや夫妻も同じだ。皆がそれぞれ顔に疲れを滲ませていた。ハリウスだけは慣れているのか、さほどきつくなさそうだ。
「着いたぞ。ルル」
未だにルルの息は荒く、背中に感じる体温も熱い。一度休ませた方がいいだろう。
その時、周囲を包んでいた雰囲気が明らかに変わった。空気の震えや、灯りの揺らめきが一斉に戻り、そして雪が静かに降りてくる。時間が動き出した。どうやら魔法が解けたらしい。
「ありがとうございます。もう大丈夫です」
肩越しに見えるルルの表情は確かに少し緩んで見えた。ほんのひととき前と比べ、呼吸も一気に楽になったようだ。魔法の効果が切れたことでルルにかかる負荷も減ったのだろうか。まだ体調は悪そうだが、深刻な事態は脱したと感じる。
「ルルを休ませたい。どこか良い場所はないか」
「敵さえいなければ教会の中ですが。ここは……」
ララがそう言いながら教会の方を見る。ララの懸念は分かる。ここはつるぎ座の教会。まさしく敵の本拠地なのではないだろうか。
「俺が見てこよう」
ハリウスがそう言って、教会の中へと入っていった。内偵していたのならば僕らの中で一番詳しいだろう。
ハリウスを待つ間、僕らは降り続ける雪を避けるために少し移動した。広場中央の天使像が広げる翼の下にルルを降ろし、僕の上着を被せた。いまは呼吸も落ち着いてきている。もう大丈夫だというルルの言葉も嘘ではないだろう。僕も一安心だ。
夫妻はというと、像から少し離れたところで所在なさげに立っていた。それでもチラチラとこちらの様子を窺ってはいるようだ。ララが怖いのか僕に近づきたくないのか知らないが、その中途半端な態度に苛立ちを覚える。ルルが心配なら近くに来いよ。嫌いなら見えないところへ行ってくれよ。それとも全然違うことを考えてるのか?
余計なことを考えている場合ではないのに、ルル自身の思いに関係なくそんなことに気を取られてしまう僕自身にも嫌気が差す。
僕の思考を遮るように、ルルが口を開いた。
「たぶん、マニベルさんが来ます」
僕もララも、ルルの方に注目する。
「さっきの魔法に、きっと気づくはずです。気をつけてください」
おおどけい座の力を借りたという北星魔法。確かに、あのマニベルならば黙っていないだろうな。よりにもよって悪魔の一味が星座の力を使ったわけだから。
完膚なきまでに叩きのめされた戦いは記憶に新しい。しかし、マニベルをどうにかしなければこの事態は終わらないだろう。
「大丈夫。次は僕が頑張る番だ」
「次は私も戦いますからね」
「心強いよ」
今回はララもいる。それに、街中ならマニベルだってあんな大技を撃つわけにはいかないはずだ。きっと勝機はある。
少しして、教会の方からハリウスが戻ってきた。
「聖堂内なら大丈夫そうだ。ただ、泊まりの一般職員が奥で寝てるかも知れないから、なるべく静かに頼む」
ハリウスに案内されて、僕らは聖堂内へと踏み込んだ。雪と風から逃れ、暖かさを感じる。
無人の聖堂内にも星蒔きのランプや蝋燭が置かれていた。長椅子や彫像、壁に施された装飾等が、暖色の灯りを受けて複雑な影を作り出している。前方の巨大な祭壇には液体の入った杯や、開かれた本、燭台に灯された多くの蝋燭に加え、多種多様な剣が飾られている。つるぎ座の教会ならではの様式かもしれない。きっとこれらも聖都が誇る北星魔法の一端を担っているのだろう。
祭壇中央には、教会前の広場にもあった大きな天使像が鎮座している。やはりこの天使も剣を携え、広い聖堂を見下ろしていた。慈愛を感じる柔和な表情をしているが、聖典の中では罪人を罰したという厳しい神だ。マニベルに悪魔と断じられた僕のことを、つるぎ座の神はどう思っているのだろうか。
僕は一番後ろの長椅子にルルを寝かせ、その横に座って考えた。
きっとすぐにマニベルが来るだろう。ここで迎え撃つことになるかもしれない。これといった対策もなく、ただ正面からぶつかる以外の案はない。ルルの前ではカッコつけたが、実際のところどうなるのか分からない。情けないことにほとんど博打だ。
唐突にルルが起き上がった。疲れを感じさせるのっそりとした動きだったが、倒れそうな程弱々しくはない。
「どうしたの?」
「マニベルさんが来る前に、準備をしないと」
ルルはそう言うと、重い足取りで祭壇の方へ歩いて行った。祭壇の細部をつぶさに観察しては一人で頷いたり考え込んだりしている。
「嬢ちゃん、もしかして儀式魔法を破壊するつもりか?」
ハリウスが言った。
なるほど。この祭壇がつるぎ座の使徒の北星魔法なら、それを壊してしまえば敵の魔法は使えなくなるわけかと納得する。しかし、その考えは続く言葉に否定された。
「考え方は悪くないがやめとけ。聖都の儀式魔法は冗長性が半端ないからな。どこか一カ所を崩して使えなくなるようなもんじゃない」
否定の言葉を受けてもルルは作業を継続しつつ言った。
「ここにしかない魔法がひとつだけあります。でも、たぶんそれは向こうにとっても本当の本当に奥の手なので、使ってくるかは分かりませんけど」
「お前そいつは――いや、いい。まあ好きにしてくれ」
ハリウスは一人で納得すると、それ以上何を言うこともなく椅子に座った。僕もルルのやりたいように任せることにする。これまでもそうしてきたから。
しばらくの間、ルルが祭壇のあちこちをいじっているのを見ていた。
諸々の動作がだるそうだったり、顔色が優れなかったりと疲れた様子は相変わらずだが、いつもの集中力は発揮しているようだ。僕はルルが何をしているかよりも身体を魔籠化した反動の方が気になっていたので、大事無さそうなことに安心した。それでも、あんな無茶な奥の手はそうそう使わせられない。そのためには僕がもっと頑張ることだ。
「来ましたね」
何の前触れもなく、ララが言った。
「ああ」
ハリウスが静かに応じる。
二人が立ち上がるのと共に僕も立ち上がった。二人に遅れて僕にも感じられた。扉の外から押し寄せるような圧。きっと気のせいではない。
手持ちの魔籠を確認し、二人と共に扉へ向かう。これから教会は戦場になるだろう。今度は絶対に負けられない。
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