第二十五話 囲まれたようだ

 横になるのと眠りにつくのは、ほとんど同時だったと思う。多分夢も見なかった。体を揺すられて目を覚ました時、まだ寝入った直後なのではないかと思ったほどだ。よほど疲れていたのだろう。


「起きてください」


 押し殺したララの声に、重いまぶたを開く。

 まだ夜だった。照明を落として暗い部屋に、小さい窓から星蒔きの灯りが入り込んでいる。夜でも煌々と明るい駅舎を背景に、今も細かい雪が降り続いていた。


「どうした?」

「近くに敵がいるようです」


 僕は身を起こして、慎重に体を隠しながら窓の外を覗いた。無人の静かな通りが眼下にある。雑踏による無数の足跡が雪に刻まれているが、敵の気配は分からなかった。

 ルルも眠っていたのだろうか。半目をこすりながら、僕の隣で身を起こすところだった。


「先に気づいたのは、あの人です」


 ララが目で示したのは、ドアの前にいるハリウスだった。険しい顔で目を瞑り、祈りを捧げるように手を組んで跪いている。何らかの魔法を使っているのだろうか。


「今のところ、こっちの居所がバレてる様子はなさそうだ」

「どこに何人いますか?」

「分からん。この魔法は大雑把な気配しかつかめないからな」

「その魔法って向こうも使えるのか?」

「ああ」


 僕の問いに、ハリウスは頷いた。


「多分、向こうも俺たちの存在には気づいてる。今は位置を絞り込んでる途中かもしれんが、見つかるのは時間の問題だな」


 この広い聖都で短時間にここまで絞り込まれていることに危機感を覚える。……いや、僕はここへ来るまでに結構な手がかりを残してきたかも知れない。

 沈黙の後、ララに自然と視線が集まる。いつの間にやら、メンバーのリーダーの様相を呈していた。


「出ましょう」


 ララが僕の方を見て言う。


「ここに踏み込まれたら終わりです。行く当てが無いのは心配ですが、そうも言っていられません」


 異論は出なかった。各々が頷き、方針が決まる。

 ララは両親を起こしに行った。ルルも行きたがったが、ララに説得されて引き下がった。こんな状況なので、無用なトラブルは避けた方がいいだろう。あの両親のことだし、ルルの言うことはきっと聞かない。ララなら脅してでも速やかに動かせるはずだ。これでいい。


 まるで夜逃げのように、僕らは揃って宿を出た。

 ララを先頭にして慎重に通りを進む。敵の大まかな気配を探れるハリウスが先頭に立つと言ったのだが、ララが断った。さすがにそこまで信用はしていないようだ。僕らを率いて敵のところまで導かれたらたまらない。結局、ハリウスは二番目。その後ろに夫妻が並び、ルルが続いて、しんがりは僕だ。後方の監視もさることながら、夫妻やハリウスの動きに注意する意図もある。

 夫妻はしかめ面のまま黙々と歩いていた。内に不満がどれほどあるか分からないが、ルルやララとの間に揉め事が起こらないかヒヤヒヤして仕方が無い。


 深夜の聖都も星蒔きの光はほとんどがそのままだ。

 火の用心としていくらかは消されているようだが、電池式のランプも多く置かれているので光に満ちていることに変わりはない。ただ、人々の賑わいだけが消え去った不思議な風景だった。光は暖かみを持つと同時に、身を隠すべき暗がりも払ってしまう。行く先を照らしてくれる輝きも、今の僕らには味方とは言い切れない。

 街に降り続く雪が雑踏の足跡を消し去ってゆく。後に残されるのは真新しい僕らの足跡だけ。敵に見つからなければ良いが。


 ハリウスの探知する大まかな気配を参考にしつつ、歩みを進める。可能な限り気配から遠ざかる方向へと動いているが、それが分かるのは向こうも同じ。安心は出来ない。そもそも、ハリウスの言葉を信じるならばマニベルを倒すまで事態は片付かない。いつまでも街の中を逃げ続けるわけにもいかないはずだ。


「マニベルを倒さないと終わらないなら、戦いやすい場所に出て追っ手を待ち受けるのはダメなのか? 僕一人じゃ負けたけど、ララもいるならどうだ?」

「追っ手の中にマニベルがいるかは不確かですね。それに……」


 そう言って、ララはこちらを振り返る。その視線は僕では無く、ルルと夫妻の方を見ているようだった。


「この状態で戦いに入るのもかなり危険です。どこか別の潜伏先を見つけて、きちんと作戦を立ててから挑みたいところですが」


 ララの心配ももっともだ。戦えないルルと夫妻を引き連れながらマニベルの猛攻を凌げるだろうか。

 そんなことを考えていると、ハリウスが突然足を止めた。後続の僕らも怪訝に思いながら止まり、前を歩いていたララも振り返った。


「……どうやら、そんな悠長なことは言っていられんようだ」

「どうしたんですか?」

「気配が全方位にある。囲まれた……いや、誘導されていたのかもしれんな」


 全員が口をつぐみ、息を殺す。雪の降る音すら聞こえてきそうな中、僕は周囲に視線を巡らせた。

 僕らが立ち止まったのは区分けの大通りと交差する十字路、その一歩手前だ。ここは市街区と教会区を分ける境目でもある。


「まだ距離があるが、こんなところで全方向から挟み撃ちを食らったら本当に終わりだ。最小限の交戦はやむなしと考えて、どの方面かに突っ切った方がいいと思うぞ」

「どの方面が一番手薄そうかは分かりますか?」


 ハリウスの提案を受けて、ララが質問を投げた。


「さっきも言ったが、正確には分からん。ただ、どの方面も似たような気配だとは思う。つるぎ座の使徒は少数精鋭だ。使える手駒は限られている。手分けしているということは、それだけ一つの手は薄いはずだ」

「分かりました。では、このまま大通りを横切って教会区へ抜ける道を行きましょう」

「理由は?」

「マニベルが拠点となる教会区にいる可能性が高いという予想。あとは、十三星座教会に残してきたフロドさんたちと合流できる可能性を考えてのことです」


 フロド王子。つるぎ座の使徒を足止めして僕らを逃がしてくれた。強者相手に生き残っているだろうか、心配でならない。見ればルルも不安げな表情をしていた。

 他にアイデアが出ることも無く、ララの方針により教会区への進路を取る。

 静まりかえった大通りを足早に抜ける。右も左も光と雪だけ。今のところ、風が吹き抜ける路上に敵の影は見られない。

 教会区に入ってからしばらく進んだ頃、ハリウスが言った。


「前方、近いな」

「ええ。ここまで近いと分かりますね。殺気で」


 僕には察知できなかったが、ララの言葉を受けて警戒する。僕の前で夫妻の顔が引きつるのが分かった。


「私たちがこちらへ進んだことも追っ手にバレているでしょう。手間取っていると追いつかれます。なるべく早く片付けますよ」


 ララが立ち止まって杖を構え、ハリウスも懐から短剣を取り出した。ここ数日ですっかりお馴染みとなった教会の武器だ。


「フィジカルライズ」

「天つ剣は裁きの秤、その腱を以て己が罪を試すべし」


 各々が戦いの準備を済ませる。

 前方、白くかすんだ視界の奥から二人の影が駆けてくる。雪に馴染む白い祭服をはためかせ、手には輝く短剣。戦いは避けられない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る