第十三話 聖都へ
列車は北へと向かう。
僕が今まで訪れたことのある最も北の街は学都だが、それよりもさらに北へ。話によれば冬の時期は雪に覆われるというポラニア王国の宗教都市、聖都。
車窓から外を覗けば重い曇天。分厚い雲が日光を遮って、昼の盛りなのに薄暗い。そろそろ雪国の領域に入りそうだった。列車の外はさぞかし冷えていることだろう。
聖都へ向かうメンバーは僕とルルとララ、そしてフロド王子と護衛の男性が一人だけだ。
僕たち三人については訪問のアポを取っていない。待ち伏せ攻撃を受けることを想定してのことだが、このことが教会の怒りを買わないと良いが……。
食堂車でフロド王子と同じ席について昼食となった。
双子のお嬢様方と違って作法の分からない僕は一国の王子を前にした食事とあって少々焦ったが、あまり気にしないで欲しいと言われたのでそのようにする。
「皆は聖都へ行ったことは?」
「私たちはあります。ノブヒロさんは初めてですね」
「うん。ちょっと楽しみだけど、そんな場合じゃないよね」
「せっかくの旅なのだから、教会の対応は我々に任せて楽しんでいただきたい。特に冬季の夜は星蒔きで街中が綺麗になるので」
ララから聞いていた行事だな。たくさんの灯りが街中に置かれているっていう。せっかく見所のある時期に聖都へ行けるのに、旅の理由がとても残念なことだ。
「それにしても、護衛の方が一人というのに驚いているんだけど」
僕は少し声を落として言った。フロド王子が連れてきた護衛の男性は通路側に向かって一人で立ち、僕らの席を守っている。王子はその背をちらりと見てから答えた。
「あまり大勢で目立ちたくないですから。それに、教会に敵対する意思がないと示す意味合いもあるので」
「向こうは敵意どころか殺意剥き出しなのに呑気なことを。ノブヒロさんも他人の護衛の数を気にする前に、心配すべきは自分の身であることを自覚したほうがいいですよ」
ララが食事を続けながら言い放つ。
「ははは……。まあ、ララさんがいれば護衛百人分くらいにはなるだろうから、それも理由の一つになるかな」
確かに。ただ今回の旅についてララはかなり殺気立っているので、先制攻撃し始めないように注視しておく必要がありそうだ。ちょっと困った護衛である。
「あ、雪ですよ」
ルルが外を見ながら呟くと、皆が誘われるように外へ目を向ける。
薄明かりの中、風に舞う白い流れが下ってゆく。列車は大きな谷を通り抜けたところだった。山を一つ越えたことで本格的な冬の中へと入ったらしかった。舞い落ちる雪のせいで遠くの視界が薄くなってきた。聖都は近い。
*
北へ進むにつれて雪はどんどん深くなり、いつしか外に見える景色は白一色になっていた。宙を舞う雪もその濃さを増し、森も地面も重たい雪に覆われている。すっかり夜も更け、外の視界はますます悪い。
「もうすぐ着くと思います。二人とも起きてください」
「いよいよか」
客室の座席で仮眠をとっていた僕とルルを、ララが揺り起こした。窓から外を覗けば、雪と夜だけだった視界に暖かい灯りの群れが薄らと見え始めていた。まだ遠いためよく分からないが、あの中には人家ばかりでなく星蒔きの灯りも多く含まれているのだろう。
防寒着を着込み、すぐに出られるよう身支度を調えていると、列車が速力を落とし始めた。何事かと思う間にも外を流れる景色は緩やかになってゆき、ついに雪原の真ん中で完全に停車してしまった。ずっと聞いていた走行音が無くなり、雪の静けさがにわかに際立った。
「どうしたんだろう」
僕らの状況が状況だけに不安が募る。ララの顔も険しくなっていた。
僕の問いに答えるようなタイミングで客室の扉が開いた。入ってきたのはフロド王子だ。少し強ばった表情に緊張が読み取れる。
「今、列車の前方に魔物が出ている。線路に近いから安全確保のために一時停止したそうだ」
「魔物?」
慌てて窓から列車の進行方向を確認し、驚愕する。
「うっわ、デカいな……!」
思わず呟く。
久しぶりに見る超大物だ。そいつは聖都と列車の間、広大な雪原に佇んでいた。
超々巨大な芋虫のような体。ここから目視できるだけでもクラーケンの触腕ほどはあるだろう。蛇のように首をもたげており、その頭頂は見上げるほど高い。側面からは多数の節足が突きだして蠢き、背部からは巨大かつ半透明の翅が大量乱雑に生えており、その全てが緩やかに空気を扇いでいた。規則性を欠き、混沌とした翅。見た印象ではとても飛行に使えそうもない。
闇夜の中でそれほど子細に特徴が分かったのは、そいつの全身が強く発光しているからだ。不気味な青い輝きが脈動するかのように明滅、胴の端部から節足や翅の先端に至るまで波打つように輝いている。危険で悪趣味な冬のイルミネーションだ。
魔物は暗い空を仰ぎ、キュオオォォオオォォォ……と、背筋を怖気で引っ掻きまわすような鳴き声を上げる。隣でルルが小さく息を漏らして僕の服の袖を掴んだ。
「あの滅茶苦茶な姿、普通には生まれないでしょう。学都が何かの実験で作った魔物かもしれませんね」
「こんなところにもいるのか」
魔物は線路を塞いでいるわけでも暴れているわけでもないが、あのまま進めば列車の進路と交差するのは間違いないだろう。停車の判断は正解だ。
「強そうだな。これからどうするんだろう」
「そうですね」
観察を終えたララがフロド王子の方へ向く。
「私が出ましょうか?」
「いや、既に聖都の保線担当者が出ているらしい。このまま待機せよと信号が来てる」
「聖都の保線というと、多分つるぎ座の使徒ですね……」
ララが若干顔をしかめながら言う。
駅を置く六大都市は王国から保線の義務を負っている。当然、この都市にもそれを担う部門はあることは知っているが、それがつるぎ座の使徒とは。とはいえ、教会の戦闘集団らしいことは分かっているので、言われたら納得だった。
つるぎ座の使徒。あれほどの大物をどのように仕留めるのだろうか。
魔物に動きがあった。
巨体を捻って、その頭部が地を見下ろす。あいつが見る先に何かいるのだろうか。
「一人……?」
訝しむような声。
ララが隣で望遠鏡を構えて様子をうかがっていた。ララには戦いに出てきた人物が見えているようだ。それにしても、あんな大物相手に一人なんて無茶がすぎないか? どういうつもりなのだろう。ララじゃあるまいし……。
「僕も見ていい?」
「どうぞ」
ララから望遠鏡を受け取る。
魔物が放つ強い光の下に人影を見つけた。風に長い髪とゆったりした服がなびいている。どうやら少女のようだ。身長に対して明らかに不釣り合いな大剣らしきものを背負っているが、この望遠鏡ではそれ以上の詳細は分からない。少女は魔物に見下ろされながら、ゆったりとその巨体へと歩み寄ってゆく。
僕は少女の周囲も確認してみたが、確かにララが言ったように一人しか見当たらない。本当にあれと単独で戦うつもりなのか。
少女が剣を抜いた。
敵対行動とみたのか、魔物は即座に反応した。
緩やかに動いていた翅が一斉に広がり、その先端が激しく輝き始める。
次の瞬間、青い光の奔流が斉射された。数多の翅から放たれた魔法の洪水。一帯の夜を押退けてしまうほどの飽和攻撃。ここまで地響きが伝わってきて、車体をガタガタと揺らす。爆風で雪と土が舞い上がって、視界が一気に埋め尽くされる。望遠鏡の中で人影を見失った。しかし、あの攻撃の中では……。
闇夜に白い光が閃いた。
一瞬の後、魔物の翅が軒並み根元近くで切断されていた。雪と共に舞い落ちてゆく翅。何が起きたのか全く分からなかった。
魔物は悲鳴と共に節足を蠢かせ、巨体を振るって暴れる。望遠鏡の映す視界が、ほんの一瞬だけ剣を手にした少女を捉えた。魔物に向かって高く跳躍する小さな人影。
再び剣閃が走る。
魔物の長大な胴は瞬く間に三等分されていた。無残にも切り離された巨体が崩れ落ちてゆく。断末魔の叫び。地響きと雪煙を上げながら魔物は地に沈んだ。やがて魔物の死骸から青い光が弱々しく薄れて消えると、周囲は再び冬の闇に落ちた。
「なんだ、あれ……」
感心と驚き、そして恐れが湧き上がってきた。
その後しばらくして安全が確認されたのか、列車はゆっくりと動き始めた。再び舞い散る雪が後ろへと流れてゆく。
何をしたわけでもないのに全身に疲れのような物がのし掛かってきて、どっかりと座席に腰を下ろす。一つ大きく息を吐いてから、僕はララの方を見た。ララもこちらを見ていた。
「あんなのに目を付けられたのか、僕らは」
「悪夢ですね」
「夢ならどれだけよかったか……」
どうやらつるぎ座の使徒には、とてつもない化け物……いや、手練れがいるようだ。
これがただの旅行ならば、歓声を上げてつるぎ座の使徒を讃えることができただろう。残念ながら僕らは、あれに狩られる側にいる。
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