第九話 つるぎ座の使徒(二)
ルルを背にしたまま、じりじりと後退する。敵からは目を離さない。
嫌な汗が頬を伝う。
できるのか? ララですら苦戦する相手に、いつもの魔籠もなく、ルルを守りながら一人だけで戦えるか。
敵は床から短剣を抜くと、こちらを向いた。
この襲撃者もララの相手をしている奴と同じ格好をしていた。顔も性別も分からない刺客。その正体に見当はつくが、今集中すべきはここを生きて出ることだけだ。
敵が動く。
やはり両手に短剣。こちらへ駆けながら小声で何かを呟いた。
「――曰く。天つ剣は裁きの秤、その腱を以て己が罪を試すべし」
微かに聞こえただけで、意味は分からない。だが、その言葉とともに短剣は白く輝き始めた。おそらく戦い方は同じだろう。今は考えている場合じゃない。
「ルル、しっかりつかまってて」
「は、はい!」
僕は再びルルを抱きかかえて横に跳んだ。敵の剣閃が空を切る。
「ファイヤー!」
雑な狙いで放った火球は、敵の斬撃にあっさりとかき消された。追撃は諦め、敵を視界に入れたまま逃げる。
幸い敵の剣は短いから、投擲に警戒しながら距離をとり続けるしかない。だが、逃げ続けていてもいつかは負ける。ララですらあの状況だ、一度でも距離を詰められたら瞬間で終わる。僕はどうしたらいい。僕にできることは……。
僕にララのような剣戟はできない。そもそも今は剣がない。
キック攻撃? ありえない。一度近寄ったら終わりだ。
硬直の魔法はどうだ? ダメだ。無差別攻撃はララにもかかる可能性がある。
ファイヤーブレスは? 仕留めそこなったらララは火事の中で戦うことにならないか? それに会場には逃げ遅れた人もまだいるようだ。被害が増すかもしれない。
クラーケンの水魔法もあるが、僕はまだ一度も試していない。こんなことなら……いや、今そんな後悔をしていても仕方がない。
次々と雑な案が浮かんでは消えて、焦りばかりが募ってゆく。
僕が敵を避けて大きく動くと、出口から遠く逃げ遅れていた人々が悲鳴を上げながら距離をとって動いていった。敵はそれら逃げていく人々には目もくれず、僕だけを狙って追いすがってくる。
ララは相変わらず敵の猛攻を凌ぐのに手一杯だ。距離をとらせてもらえないのだろう。長くはもたない。
その時、僕を追っていた敵が突然に短剣を投げた。僕の方ではなく、敵の遠く後ろで戦うララを狙ってだ。振り返りすらしないノールック攻撃。全く行動が読めなかった。果たして、次の瞬間にはララの脚に短剣が突き刺さっていた。新品のドレスに痛々しい鮮血が滲む。
「ララ!」
腕の中でルルが悲鳴を上げる。
ララが膝をつくのがスローモーションで見えた。敵の鋭い刃がララの持つ魔籠を弾き飛ばし、無防備な首に迫る。
同時に僕の敵もこちらへ迫ってくる。迷っている間に、もう距離がない。
どうする。どうする? どうする!
「――っ、クラーケンフォーム!」
僕はルルを放し、叫んだ。
出来るかどうか、ほとんど破れかぶれだった。
僕の両腕だけが巨大なイカの触手へと変貌。瞬間的な速さで伸長した。一本は目の前の敵へ、そしてもう一本はララの方へ。この攻撃はさすがの敵も予想外だったか、ほんの一瞬だけ動きが止まったように見えた。それで十分だ。
僕の前にいた敵は伸びる触手に押されるまま会場の反対側まで吹き飛び、そのまま壁に磔となった。一方の触手はララを突き飛ばした。狙いは敵だったが、初使用な上に焦りすぎて制御が甘かったか。しかし、結果的に敵の攻撃は外れた。ララの首はつながったままだ。
「ララ!」
僕が叫ぶと、ララは立ち上がった。苦痛に顔をゆがめたまま、しかしその手にはしっかりと杖が握られている。敵から距離をとった、今度はララの番だ。
目を焼かんばかりの閃光が降り注いだ。会場の一角を粉々に吹き飛ばし、地面を揺るがす轟音が鳴り響いて、砕けた窓ガラスが舞った。
攻撃が収まった後も土埃に向けて油断なく杖を構えているララ。どうやって凌いだのか、敵はまだ立っているようだ。しかし、無傷ではないだろう。
「あいつだ! 侵入者を捕らえろ!」
フロド王子の声だった。
鋭い号令とともに大勢の兵士がなだれ込んでくる。王子の指す先、僕が壁に押し付けたままの敵が二十余名ほどの兵士に包囲された。今度は魔法使いらしき人たちもいる。十分な応援を呼んでくれたようだ。
加勢の兵士たちはララと対峙していた敵にも向かった。しかし、形勢が不利になったとみるや、敵は短剣を仕舞って跳躍。囲まれた仲間のことはあっさりと見捨て、崩れた壁の穴から外へ逃れた。
「追いかけろ!」
フロド王子の指示で、兵士の一団が会場外へと追跡に出た。あっちは任せるしかないだろう。あとは目の前のもう一人だ。
僕の伸ばした触手は全力で敵を壁に固定したままだ。多くの増援にも取り囲まれ、もう逃れられないだろう。だが、敵は押し付けられたまま短剣を持つ手を上げた。この状況から、まだ抵抗するのか。僕も改めて気を引き締める。しかし、続く敵の行動は予想外だった。
敵はその短剣を自らの喉に突き立てたのだ。
隣でルルが小さく悲鳴を漏らすのが聞こえた。
突然のことに、誰も反応できなかった。ようやく我に返った僕が触手を戻すと、敵は力なくその場に倒れ伏す。広がってゆく血だまり。絶命しているのは誰の目にも明らかだった。会場は大きく、遠くて詳細がよく見えなかったのは幸いだったかもしれない。
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