第五話 寄り道にて

 王都までの道のりは長い。

 僕らの町からは馬車と川船、水都からは列車に乗り換える大旅行となる。特に気をつけなければいけないのが鉄道で、これは王国を縦断する往復の一路線しかない。よって、一本見送ってしまうと酷い足止めを食らうことになる。


 当然、日本にいた頃のようにダイヤの検索や最新の遅延情報も分からない。町を出入りする人の中に鉄道を利用してきた人がいればラッキーで、その人が乗ってきた列車の情報から遅延状況を大まかに考えることができる。もっとも、かなりの概算になるので大きなズレを考慮する必要があるし、そもそも水都までの馬車や川船も計画通り進めるかというと難しい。まあ、列車を襲う魔物とかいるくらいだから、仕方ないと思う。経験者は語る。


 鉄道はこれまでにも利用しているが、誰かに乗せてもらう機会が多かったので自分で計画を立てるのは大変だった。

 考えた末、水都に一泊して列車を待つくらいの余裕を持って出発したが、僕らが船を下りた時には既に列車は到着していて、貨物の載せ替え作業中だった。今夜にも出発するそうだ。危うく逃すところだった。余裕を持って出てきて良かった……。


「列車は今夜に出るらしい。あと二時間ちょっとくらいかな」

「あまり時間なかったですね」


 ルルがそう呟きながら空を見る。既に日は沈んでいて、空には星が瞬いている。水都は多くの電灯に照らされ、すっかり暗くなった川面に都会の夜景が揺らめいていた。

 列車が出るまでに余裕があれば、水都にいるであろう鐘鳴君やマリンさんを尋ねてみようかと思っていたが、そこまでの時間は無さそうだ。ルルは少し残念そうだが仕方がない。


「乗って待っててもいいけど、魔籠技研に挨拶くらいは寄れると思う。アポ無しだから、会えるかはわからないけど」

「そうですね。行きましょう! ゴウドウさんと会うのも久しぶりです!」


 僕らは中州に建つ魔籠技研へ入った。

 受付で所長の剛堂さんへ取り次いでもらおうとしていると、背後より声をかけられた。


「おや、今川君じゃないか。どうしたんだい?」

「剛堂さん。お久しぶりです」


 まさに求める人物がそこにいた。出先から戻ってきたところだろうか。

 僕に続いてルルとララも挨拶をし、剛堂さんが笑顔で応じた。


「特に連絡はもらっていなかったと思うけど」

「すみません、元々寄れるかは分からなかったので。列車待ちの間に挨拶だけと思って」

「なるほど。列車が出るまであと少しあるね。あまりゆっくりは出来ないかも知れないが、お茶くらい出すよ。外は寒かったろう」


 所長室に通された僕らは温かいお茶を頂きながら話をした。水都の夜景を背に、剛堂さんが言う。


「すまないね。鐘鳴君たちも呼べたらよかったんだが、列車の時間を考えると難しそうだ」

「いえ、急に押しかけてきたのはこっちなので。挨拶だけよろしく伝えてください」

「君たちが来たことは話しておこう。会えなくて残念がるかも知れないね」


 そう言って剛堂さんはカップに口を付けた。

 鐘鳴君たちに会うのは次回の楽しみにとっておくとしよう。


「ところで、今回はどこへ?」

「王都です。ルルがフロド王子の誕生パーティーに呼ばれまして」


 ルルが招待状を出すと、剛堂さんはそれに目を通して感心したように言った。


「いやあ、すごいね。知り合いだとは聞いていたが、ここまで親密だったとは。ルルちゃんとお近づきになっておいて正解だったよ」

「他にも、こんなのが来ました」


 ルルはそう言って、荷物からもう一枚の手紙も取り出した。セレスティアルアデプトの授与を知らせる手紙だ。


「これは……」


 先ほどまでの和やかな表情が一変。剛堂さんは、たった数行しか書かれていない手紙を長いこと見つめながら沈黙する。

 見せびらかすような物でもなかっただろうか。ララや師匠も最初に見た時は困惑していたことを思い出す。

 未だ考え込むように手紙を見つめる剛堂さんに、僕は話しかける。


「あー……やっぱり良い印象ないんですね。ララにもそう言われたんですけど」

「では、ルルちゃんがこの手紙を受け取った意味も分かっているね?」

「ええ、まあ。なんとなくは」

「今川君」


 真剣味のこもった呼びかけに思わず背筋が伸びる。


「はい」

「王都行きを中止できないかな」

「えっ。今からですか?」

「そうだ。加えて、可能ならこのまま水都にとどまれないかな? そして今後はなるべく街からも出ないようにした方がいい」


 僕は困惑した。ルルとララも同じようだ。確かにあまり良い知らせでないことは聞かされているが、王都に行くのを止められるほどのことには思えなかった。それどころか水都から出るなとはどういうことか。


「あの、その授与式には出ませんよ」

「それは当然だ」


 僕はララの方を見た。この件については僕やルルよりもララの方が詳しい。しかし、ララも剛堂の発言には納得ができていないようだ。


「意図が分かりません。良い知らせではないにしても、ゴウドウさんが言うほど深刻な内容とは思えませんが」


 僕も同じ意見だった。実際、師匠も同じアデプトを持っているが、そこまでのことは言わなかった。

 ララの質問を受けた剛堂さんは、少し迷った様子を見せてから話し始めた。


「端的に言えば、教会に命を狙われている……可能性がある」

「教会が……? でも、昔はともかく、今の教会はそんなことしないって聞いてますけど」

「余計な情報を知ると目を付けられる恐れがあると思って伝えなかったが、こうなってしまっては隠す意味もないね」


 剛堂さんは手紙を置くと、立ち上がった。そして自分の実務机の引き出しから何かを取り出して戻ってくる。

 剛堂さんの手から僕らの前に置かれた、二つの品物。

 一つは何らかのアクセサリーだろうか、それは数珠のように見える。特徴的な尖った十字型のメダルが付いていた。もう一つは短剣だ。何らかの星座らしき刻印がある。

 そして、それらは二つとも血に濡れていた。


「星数珠ですね」

「ああ、北星教会の聖職者が使うものだ」


 ララの言葉を受けて剛堂さんが言う。


「そして、この短剣だ。十三星座の一つ、つるぎ座の刻印がある。念のため言っておくが、これは魔籠ではなく、北星教の祭具だ」

「つるぎ座の使徒」


 ララがぽつりと呟いた。


「そうだ」


 新しい言葉が出てきた。何のことか分からない僕はララに問おうと視線を向ける。口に出すまでもなく、ララは説明を始めてくれた。


「つるぎ座の使徒というのは、教会の中の一派です。その名の通り、つるぎ座を奉っています。つるぎ座にまつわる祭事の時によく出てくる人たちですよ。つるぎ座は武力や勝負事を象徴しているので、魔法の競技大会の時なんかに開会式のお祈りに呼ばれたりしているのは見ますね。……まあ、これは現代の役割であって、大昔は異端者狩りなんかもやっていたそうです」

「それが、昔の話じゃないんだよ」


 剛堂さんは短剣を手に取る。所々に血の跡が残るそれが傾けられると、夜景の微かな光が刃の表面を不気味に滑った。


「これは僕を襲撃した者の持ち物だ」


 襲撃。久しぶりに聞いた物騒な言葉に息を呑む。


「魔籠技研を設立してしばらくした頃だよ。この国での動き方も分かってきて、資金も集まり、活動基盤が整った。いよいよ日本へ帰る方法を模索しようと本格的にあちこち飛び回って調査をしていた時だ。ある町でいきなり襲われた」


 剛堂さんは血塗れの刃を見ながら、思い出すようにして話す。


「強い相手だったよ。そこらの暴漢を相手にしたことは何度かあったが、そういう輩ではなかったね」

「でもゴウドウさんは生きていて、襲撃者の武器はここにあります」

「ああ。どういうことか、敢えて言う必要は無いね?」


 ララの言葉を受けての、重い返事だ。僕へ向けられた目には言いようのない力がこもっている。いつも軽快で明るい雰囲気に覆われた剛堂さんの生き方と覚悟が、底の底から少しだけ浮かんできて、表面からぼんやりと見て取れた気がした。

 僕は思わず視線を落とす。そこにあるのは短剣。刃を濁す血は誰の物か、当然聞く気にはならない。


「初対面の頃から君の活動を援助したり、しつこく魔籠技研に勧誘したり、鐘鳴君を何としても海都から連れ出そうとした理由はこれだ。どうやら奴らは、僕らのような異世界転移者の存在を認知していて、積極的に選んで襲ってきている」


 海都での剛堂さんの活動を見たララは、前のめりすぎて見ていて怖いと表現した。それほどまでに躍起になる理由は明らかになった。治安が良くないとか魔物がいるから危険だとか、そんな不明瞭なことではなかったのだ。


「国中に広がっている教会は情報網も大きい。最大の魔籠ギルドを謳う僕らだが、所詮は一ギルドにすぎない。相手は僕らのとても及ばないことができる。いつだって僕は一歩遅かったんだ。そんな中、奇跡的に教会よりも早く僕の目にとまったのが今川君や鐘鳴君だ。

 幸い君には自分で戦う力があるし、ルルちゃんやララちゃんもついてるから、いくらか安全だろうと楽観していた。しかし、直接目を付けられたとなれば話は別だ。僕はどうしたって君たちに死んでもらいたくないんだよ。どうかな?」


 どうするべきなんだろう。身の危険を感じたことはこれまでにもあるが、それはあくまでもそういう事態に巻き込まれた結果でしかなかった。僕の命を直接狙ってくる者がいるなんて考えたこともない。

 仮に剛堂さんの言う通り王都行きを中止して水都にとどまったとして、その次は? 一生そうしているわけにもいかないだろう。そもそも、そんなに恐ろしい相手に目を付けられたのならばここにいても絶対の安全は保障されない。

 僕が決めあぐねていると、隣でララが口を開いた。


「ゴウドウさんの言うことはもっともですけど、一点だけ疑問があります。もし教会がノブヒロさんの暗殺を考えているなら、わざわざ警戒させるようなことをする意味が分からなくなりませんか?」


 そう言って、ルルの前に置かれた手紙を示す。

 ルルに宛てられたアデプトの授与通知。そもそもこれがこの話の発端だ。確かにこんなものを送りつけてこなければ僕らが警戒することなんて無かった。


「今回は王都に行きましょう。もちろん私も警戒は厳にします」


 僕は驚いた。ルルもこれまでの深刻な表情を忘れてララを見ていた。ララの口から出てくる言葉には到底思えなかったからだ。

 剛堂さんは無言でララをじっと見る。続く言葉を待っている……という雰囲気ではない。その視線にほんの少し、探るような、疑るような、そして敵意のような気配を感じて背筋が寒くなる。なんだ、これは。

 ララは瞬きすらせずに剛堂さんと向かい合っていたが、やがて剛堂さんのほうがため息と共に視線をそらした。


「そうか。……確かに、そういう疑問もある。分かったよ。気をつけて行くといい」

「はい。では、失礼します」


 ララが立ち上がって歩き出す。列車の時刻まではあと少しあったが、僕とルルは困惑しつつ挨拶もそこそこに慌ててそれを追った。剛堂さんは部屋から出てこず、椅子に座ったまま僕らを見送った。


 魔籠技研を出ると冷たい空気が一気に全身を包む。

 駅へ向けて歩きながら、先導するララに聞いた。


「ララ、突然どうしたんだ」

「私もうまく説明できないんですが……もの凄く嫌な予感がしました。王都へ行きたいと言うより、とにかくここから早く離れたくなったんです」


 よく見ればララの頬を汗が伝っている。この寒さの中でだ。心なしか表情が硬いのも、空気が冷たいからというわけではなさそうだ。


「どういうこと?」

「恐ろしく賢くて強力な魔物の縄張りにいるような気分です。ゴウドウさんの言うとおり、私たちが教会に目を付けられたというのは間違いないでしょうし、つるぎ座の使徒の話も嘘には感じませんでした。ノブヒロさんを守りたいというのも、きっと本当でしょう。でも――」


 ララが立ち止まって、僕を振り返った。


「ゴウドウさんの側にいるのはもっと危ない……そんな気がしました」


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