あの子に釣り合う王子になりたい(八)

 痛い。フロドの人生において、こんなに強烈な痛みは初めてだった。

 思い返してみれば、学院内の授業や演習でフロドがまともに魔法を食らったことは一度として無かった。痛い思いなどしようがない。


 北星祭の日、麦畑で強大な魔物と対峙したことで命の危機を知ったと思った。

 リナやゼルと関わり、新たな目標を持つことで学院のお膳立てから脱却したと思った。

 そして今、そのどちらもまやかしだったと思い知った。


 打ち付けた背中が痛い。しかし逃げなければ。

 フロドは激痛を訴える身体に力を込め、立ち上がった。とにかく距離をとらなければならない。無我夢中で脚を動かす。靴に絡む雪が疎ましい。

 足を向けたのは街道のある方向ではなかった。しかし、仕方ない。予想外の大物が行く手を塞いでしまっているのだから。そしてなにより、そんな事を冷静に考える余裕が無い。フロドは恐慌状態に陥ったままひたすら走った。

 とにかく距離をとる。エメラルドグリズリーは遠距離攻撃が出来ない。リナが発したヒントだけが頭の中で繰り返された。とにかく距離だ。距離をとれ、距離をとれ、と生存本能が叫び続けた。その後のことは分からない。


 肩越しに後ろを見る。敵はじっと立ったまま、フロドの背を目で追っているようだ。走ってこないのだろうか。ならば好機だ。

 フロドは前に向き直る。しかし、ここで予想外の出来事が起こった。

 行く手に密集した枝が立ち塞がる。フロドの胴を受け止めた枝の群れは、強くしなってその身体を押し返した。いきなり勢いを殺され、フロドは尻餅をつく。良く確認もせずに走ったせいで障害物に突っ込んでしまったのかもしれない。慌てて立ち直るが、自分の予測が間違っていたとすぐに気づいた。

 周囲の木々から突如として枝が伸び始め、フロドを取り囲みはじめたのだ。雪を被った裸の木から、超常的なスピードで伸びる枝。明らかに自然の行いではなかった。


「なんだ、なんだこれは!」


 叫ぶ間にも枝はからまり伸び続け、気づけばフロドは木の檻の中にいた。

 振り返る。枝の隙間から敵の姿が見えた。悠々と歩いて来るのは大物のエメラルドグリズリー。その特徴的な額の宝石が強い輝きを発していた。


「まさか、魔法……?」


 それ以外考えられない。このエメラルドグリズリーは他とは違う魔法を使って見せたのだ。


「聞いてない。聞いてないぞ! だって、距離をとれば大丈夫だって……」


 魔物との戦いにルールなど存在しない。泣いても喚いても聞いてくれる者などいない。どんな手を使っても、相手を倒せば勝ちなのだ。


 魔物はすぐそこまで迫っていた。もはや距離など無い。あとは檻の中の獲物を喰らうのみ。

 木の檻を上から覗き込むようにして顔を見せたエメラルドグリズリー。フロドに逃げ場は無く、へなへなとその場にへたり込む。全てが終わりに思え、声も出なくなった。


「フロドさん!」


 檻の外から声がした。眩い光が迸り、絡まり合う枝が切り裂かれた。


「大丈夫ですか?」


 声の主はリナだった。続いて差し出された手は擦り傷まみれ、顔には酷い腫れと血の跡。服も所々が破れていた。

 返事も出来ずに弱々しく伸ばしたフロドの手を、傷だらけのリナの手がガッシリと掴む。


「ゼル、時間稼いで!」


 半ば引きずられながら檻から出ると、エメラルドグリズリーと対峙するゼルが見えた。彼も全身ボロボロで負傷が見られる。それでも敵から目を反らしてはいなかった。


「すまない、僕のせいで」

「いいですから、とにかく離れててください」


 リナに付き添われながら魔物から離れる。街道側へと歩きながら振り返ると、先ほどフロドたちを取り囲んでいたエメラルドグリズリーの群れが倒れているのが見えた。リナたちは二人で群れを打ち倒し、フロドの救援に駆けつけたのだ。全身にケガを負いながら。

 ある程度離れたところまでフロドを送ると、リナは再び魔物へ向かって行き、既に戦いを始めたゼルの加勢へ入った。フロドはそれを呆然と見送るしかなかった。


 リナとゼルは互いに距離をとり、魔法による十字砲火を仕掛けていた。二カ所から同時に浴びせられる魔法の連続攻撃に、エメラルドグリズリーの親玉は恨めしそうな吠え声を上げながら守りの体勢をとった。さすがに頑丈な巨体、並の魔物ならば既に倒れているだろう攻撃を浴びながら、まだ持ちこたえている。

 大物とはいえ、敵は一体だけ。離れた二人を攻めるのは難しいだろう。この作戦は上出来だと思われた。しかし、それは敵が遠距離攻撃を出来ない前提の上に成り立つ。リナたちはこの敵が魔法を使うところを見ていただろうか。フロドは胸騒ぎがした。


 果たして、フロドの懸念は現実となる。

 エメラルドグリズリーの魔籠が眩い光を放つと、ゼルの背後から急速に伸びてきた枝が空気を引き裂いた。敵の魔法が操る枝が、鞭のようにゼルが持つ魔籠を打ち付けたのだ。


「あっ」


 ゼルの手から魔籠の杖が弾き飛ばされ、遠く離れた新雪に突き刺さる。攻撃の手が止まってしまった。

 この隙を逃す敵ではない。エメラルドグリズリーは無力化したゼルには目もくれず、リナの元へと突進した。やはりリナは敵の魔法を把握していなかったらしい。予想外の攻撃に焦りつつも、敵の足へと狙いを変更。急展開に対する策としては決して悪くない、しかし、敵の方が上手だった。

 エメラルドグリズリーの魔籠が一際輝く。すると、雪に埋もれていた太い木の根が力強く隆起し、魔物の巨体を持ち上げた。予想の遙か上をゆく魔法の扱い。足を狙ったリナの魔法は虚しく外れた。一方、敵は勢いそのままに跳躍、リナの目の前に着地して雪を巻き上げた。


 フロドは逡巡する。どうすればいい。何が最善なんだ。

 落ち着いて考えれば決まっている。リナの指示通り、速やかにここを離れることだ。守らなければいけない自分が去ること。それがリナたちにとって一番の支援になるのだと、身をもって知ったばかりだ。だが、本当にそれでいいのだろうか。


 近接して魔籠を構え、決死の抵抗を試みるリナ。しかし、一足早く敵の操る木の根が殺到、リナの身体を押し倒し、仰向けのまま地面に縛り付けた。無抵抗のリナを引き裂くべく、エメラルドグリズリーの豪腕が振り上げられる。


 気づくとフロドは駆けだしていた。

 リナもゼルも戦えない。今は、今だけは、自分が守られる場面ではないはずだ。しかし、それ以上に思う。仲間を失いたくなかった。覚悟の形はルルの前に立ったあの日と似ていた。しかし、今のフロドには力がある。あの日にはなかったものだ。

 焦りと恐怖を感じているのが分かる。あまりにも強大な敵に挑む無謀さに、怖じ気づきそうなのが分かる。自分の心の形が淡々と理解できる。

 不思議な気分だった。必死で走る自分を、一歩後ろから眺めているような感覚。興奮している自分を、心のどこか一部で冷静に見つめているようだ。


 フロドは魔籠を振り上げる。可能な限り近づいたが、まだ少し遠い。フロドの足ではこの距離が限界だ。それでも当てる自信があった。教わったとおりにやればいい。


「いけえっ!」


 全力を込めた魔法の火球。勢いよく放たれたそれは、まるで吸い込まれるようにしてエメラルドグリズリーの額、その輝く魔籠を直撃した。

 果たして、敵の魔籠は砕けていなかった。さすがにフロドの付け焼き刃が通用するほど甘い相手ではなかったようだ。しかし、先ほどまでの輝きは収まっていた。敵の魔法を止めるくらいのことは出来たようだ。


 この好機をリナが掴んだ。魔法の力が失われて弱った木の根を振りほどく。地に倒れたまま、エメラルドグリズリーを仰ぎ見た。魔物は突然の横槍に怒り狂い、フロドの方へ目を向けていた。真の脅威を見誤った、魔物の負けだ。

 リナの魔籠が光を噴き、トドメの一撃が下顎から脳天を貫いた。

 フロドたちが勝利した瞬間だった。

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