あの子に釣り合う王子になりたい(七)
木の根元、血に染まった雪の上に横たわるのは二人の人間。一人は木にもたれかかるように座り、もう一人は上半身が木の向こうに隠れて見えない。二人とも微動だにしなかった。
フロドは進もうとしたが、リナがそれを手で遮る。
「私が見てきます」
リナが周囲に警戒しながら二人へと歩み寄る。倒れている二人までの距離はさほど遠くない。それでもリナが雪を踏みしめる一歩一歩が重々しく、長く感じられる。フロドはゼルと共に固唾を呑んでそれを見守った。
やがて二人の元にたどり着いたリナがしゃがみ込んで様子を調べていたが、フロドの方を向くと静かに首を横に振った。
「そんな……」
リナが戻ってくる様子が見える。そのすぐ後ろにある人影が、もう生きていないのだということが信じられない。魔物による被害者が出ていることは知っていた。応援の依頼が出ているのだから当然だ。それでも、今の今まで実感は抱かなかった。街道では血痕まで見ていたのに、心のどこかでは何とかなると思っていた。
フロドは想像の外からやってきた衝撃を受け止めるのに手一杯で、もう一つの重要な事実に目が向いていなかった。
自分が今、犠牲者と同じ現場に立っているのだという事実に。
「二人組の旅人ですね。片方は魔籠を持っていたので護衛の魔法使いかも知れません。少し離れたところに荷物も散らばっていましたし、行商の――」
リナが簡単な検分の内容を説明しながら歩んでいたが、その言葉は唐突に途切れた。
「フロドさん伏せてっ!」
「えっ」
返事をする間もなく、駆けてきたリナに突き飛ばされる。準備無く傾いだ身体が地に転がって、打ち付けた腕と肩に痛みが走る。混乱の中、上体を起こして見れば、リナがエメラルドグリズリーの攻撃を受け止めているところだった。半透明の魔法障壁が豪腕を辛うじて受け止めている。
「ゼル!」
「お、おう!」
半ば叫ぶようなリナの指示。ゼルがフロドの脇に手を差し込み、乱雑に持ち上げた。ゼルはフロドを抱えたまま木々の間を縫ってエメラルドグリズリーから距離をとる。
ゼルはフロドを降ろすと、魔籠の杖を敵へと向ける。間を置かずして、その先端から火球が迸った。魔法の熱源がエメラルドグリズリーに着弾、爆発した。瞬間的に熱気が広がり、周囲一帯の寒さをほんのひとときだけ吹き飛ばす。衝撃に森が震え、枝に積もっていた雪がパラパラとふるい落とされた。
爆煙を突き破って飛び出してきたのはリナだ。未だ健在なエメラルドグリズリーに油断なく魔籠を突きつけたまま距離をとる。
獲物を逃すまいと、魔物も追いすがる。雪を巻き上げ、枝をへし折り、凶暴性を存分にまき散らしながらリナに迫るエメラルドグリズリー。しかし、十分な距離をとったリナは落ち着いた様子で魔法を放った。
連射された光線が敵の脚を立て続けに貫く。痛みに速度を殺され呻く魔物、その隙を逃しはしない。リナが打ち出した一つの光弾が、エメラルドグリズリーの額にある魔籠と頭蓋を打ち砕いた。
断末魔の吠え声を上げ、魔物は地に伏した。
「ふう。ケガは無いですか?」
「あ、ああ……」
フロドの前に魔物が倒れ伏している。エメラルドグリズリー、最近この辺りで増えているという魔物だ。フロドが無理を押して狩りに来たはずの魔物。そして、フロドが何も出来ず呆然と見ているだけだった魔物。一方で、嫌々臨んでいたゼルはリナとの見事な連携技でフロドを守り、魔物を打ち倒した。
リナに支えられて立ち上がる。まだ脚が震えていた。
「まだ仕事の途中ですけど、これは一度町に戻って報告した方が良さそうですね」
そう言ってリナが見やるのは、木の根元に変わらず残る犠牲者だった。確かに、このまま彼らを捨て置いて魔物退治というわけにもいかないだろう。しかし、その計画は次の一言によって撤回せざるを得なくなった。
「ちょっと待て」
声に顔を上げれば、ゼルが額から汗を流しながら周囲を警戒している。
「まだいる」
フロドもリナも慌てて視線を巡らせる。そしてすぐに見つけた。
木々の合間から、岩の影から、こちらを伺う魔物の影。仲間を倒されたことで警戒しているのか、すぐに飛びかかってくる様子は無い。姿形からしてエメラルドグリズリーであることは疑いようも無い。
「一体や二体じゃないぞ」
「五体かな。取り囲まれてる」
リナが素早く分析した。
「エメラルドグリズリーって群れないんじゃなかったのか?」
「そのはずだけど……。考えてる余裕が無い」
困惑したゼルの問いに、リナも答えが出せていないようだった。敵が未知の動きをしている。最近の魔物の増加と関係があるのだろうか。しかし、リナの言う通り、今はそれどころではない。
しばらく凍り付いたような睨み合いが続いたが、リナが次の指示を出した。
「エメラルドグリズリーは遠距離の攻撃が出来ない。今ならまだ距離があるし、取り囲まれてると言っても隙間は大きいから、先制して一体倒そう。それで抜け道が出来るはず。いける?」
リナがゼルに目配せし、ゼルが顔を強ばらせて魔籠を構えた。
「フロドさんは身を守る準備を。防護の魔法を切らさないようにして、敵の倒れたところを狙って包囲を抜けてください」
「君たちは?」
「まあ、なんとかなりますよ……」
そう言う唇は引きつったように震えていた。しかし、フロドには分かった。今この場にいて最も邪魔なのは自分だと。自分がいなければ二人はもっと自由に動いて戦えるのだ。悔しいが、仲間の勝率を上げるため、自分に出来る最善手は逃走だった。
「分かった」
絞り出すように言う。それが合図だった。
「いきます!」
リナが光線の連射を放つ。狙いは街道側に立ちはだかる敵。先制して放たれた遠距離魔法に胴を打ち抜かれ、敵がうずくまる。その隙を逃さず、ゼルの魔籠から迸る雷撃。これはエメラルドグリズリーの額に命中、見事に打ち倒した。
「走って!」
フロドは駆け出す。敵が倒れて隙間の空いた包囲から来た道を戻るのだ。とにかくまずは街道まで出なければ。先ほどの一撃で戦闘が始まったのだろう。背後で立て続けに魔法の炸裂する音が響く。それでも信じるしか無い。
転ばないように、それでも可能な限り早く。足場の悪い森をひた走る。木々の隙間から街道がもうすぐ見える――かと思われた、その時。突如、眼前に巨大な影が降った。
驚く間もなく脇腹に凄まじい衝撃、続いて浮遊感。木に背中を強打した感触を最後に、フロドは倒れ伏した。
激痛をこらえて立ち上がる。そして見た。
分厚い毛皮に覆われた巨体。鋭い爪と鋭利な牙。そして額に輝く美しい宝石。エメラルドグリズリーだ。しかし、そいつはフロドの知るエメラルドグリズリーとは違う異様さを備えていた。
先ほどまで戦っていたエメラルドグリズリーと比して倍はあるだろう、悪い冗談のように怪獣めいた巨躯。そして、一番の特徴である額の宝石。これも通常と比べて明らかに大きく、もはや角のように額から突き出して、その尖った先端を誇るように煌めかせていた。
「な、なん、なん……」
震えて声が出なかった。先ほどの衝撃はこの魔物に殴り飛ばされたとみて間違いない。防護魔法が少しでも甘ければ命は無かったはずだ。
歩み迫ってくる新手を見上げて、フロドは思い知った。
麦畑の町でダイヤモンドボアという大物を退かせた時に感じたあれは、命の危機でも何でもなかったのだと。そして、リナが言っていたことも思い出した。
実際に戦いになれば嫌でも分かる、と。
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