あの子に釣り合う王子になりたい(六)
街道に沿って冬の森を進む。
道の両脇にはすっかり葉の落ちた木々が果てしなく連なり、今もちらつく雪が細い枝の上に白く薄く積もり続けている。前も後ろも、視界の全てが白と灰色の寂しい景色。しゃくしゃくと雪を踏みしめる音だけが響く凍った空気。色と音を持つのはフロドたち三人だけのような気分になった。
三人が歩いているのは、雪宿の町から西へと進む街道の一つだ。
雪宿の町とつながる街道のうち、一番人通りが多いのはやはり南北方向だ。王国六大都市である工都と聖都を結んでいる大動脈なのだから当然と言える。
一方で、西側を目指すこの道は、最も人通りが少ない。行き着く先は小さな村がいくつかあるだけで、特に雪が深くなると往来に苦労することも多いようだ。
「エメラルドグリズリーが今回の討伐対象だったね」
「はい。近頃、この道を通る人が襲われることが増えてきたみたいです。巡回も増やしているそうですけど、元々使う人が限られる道なので、本腰を入れて退治に乗り出すほどの対策はできていないそうです」
リナが解説してくれた。
確かに、巡回に出せる兵にも限度がある。南北を通る街道の方が、圧倒的に人通りが多い以上、そちらに割く人員が多くなるのは仕方の無いこと。
エメラルドグリズリーに冬眠はない。魔籠の力で強化されている魔物たちは冬の最中も獲物を求めて現れるのだ。
「ちなみに、二人はエメラルドグリズリーを相手にしたことは?」
「私はありますよ」
「俺は初めてです」
「ふむ」
「改めて確認ですけど、フロドさんは実戦初めてなんですよね。エメラルドグリズリーに限らずの話です」
リナの問いに、フロドはしばし考え込む。実戦として挑んだわけではないが、それらしい経験は一つだけあったからだ。少々迷った末、それを答えることにした。
「初めて……ではあるんだが、一度だけダイヤモンドボアに遭遇したことがあってね、なんとか撃退している。あれを実戦に入れていいのかは微妙なところだけどね」
「マジですか!」
ゼルが驚愕を口にする。リナも目を見開いていた。
「ああ。ただ、僕も無我夢中でね。ほとんど狙いも出来ずに撃った魔法が偶然顔面に当たって、驚いて逃げていったという感じだった」
「ちなみにそれはどこですか? フロドさんがダイヤモンドボアに遭うような状況が思い浮かばないんですけど」
リナの疑問も当然だ。フロドほどの立場ならば普通は護衛が付いているし、強力な魔物が出る場所は避けて通るだろう。もっとも、今はその護衛から勝手に離れてきているので、そういった常識も当てにならなくなってきたが。
「今年の北星祭、麦畑の町で遭った。状況はちょっと特殊だったから、一言では伝えづらいんだが」
「麦畑の町……? あんな所にダイヤモンドボアが出るんですか?」
「まあ、信じがたいよね」
腑に落ちない点はあるものの、信用はしてもらえたようだった。ダイヤモンドボアを退けたという実績は、それなりに実力の証明として受け取られたらしく、フロドを過剰に心配する空気は少し薄れたように感じた。
静かな雪の街道を進み続けてしばらくした頃、視界に小さな変化が現れた。フロドたちの進行方向側から歩んできたと思われる足跡が二つ、しかし、それらはこちらへ届くことなく荒れた雪面に紛れて途絶えていた。そこから森の方へと何かを引きずったような不穏な跡が続いている。極めつけは、白一色だった足下に散らばった赤い飛沫。
「何かあったのは明らかですね。しかもこれは」
リナの視線を追う。雑に引きずった跡に半ばかき消されているが、明らかに大きな動物の足跡と思しきものが残っている。
「エメラルドグリズリー……かな?」
「多分そうですね」
フロドの推測をリナが肯定する。経験者の言葉がありがたい。
「どうするんだ……?」
少しの間を開けて、ゼルが恐る恐るといった感じで言った。リナに向けた言葉であったろうが、フロドはゼルの顔を見据えて答える。
「行くほかないだろう」
「そうですね。こんなわかりやすい手がかりがありますし、痕跡が雪に埋もれていないですから、さほど遠くないでしょう。もしかしたら、まだ助けられるかも」
リナは生々しい連れ去りの痕跡を視線で追っていた。その先は道無き森の奥深く。
「だよなあ……」
ゼルがため息と共に肩を落とした。そんな声を無視して、リナが今後の方針を告げる。
「ここから森に入ります。一層注意してくださいね」
*
整備された街道を外れると、途端に足下は悪くなる。木々の根が土を押し上げているし、転がる石や倒木、地面から突き出した岩もある。しかもそれらを雪が覆い隠しているから、尚のこと歩きにくい。強化魔法の扱いを覚えていなかったら、まともに進めなかっただろう。早くも自身の成長を感じる場面となった。
「ゼルはこの仕事が嫌なのか?」
「え?」
細い倒木を跨ぎながらフロドが問う。
「さっきため息をついていただろう」
「ええ、そりゃもう……嫌ですよ」
「それはエメラルドグリズリーと戦うのが初めてだから?」
「それもありますけど、基本的に魔物退治なんて相手が何でも全部嫌に決まってますよ」
フロドは驚いてゼルの方を見る。額に皺を寄せ、力のこもらない頬に気の抜けた目。なるほど確かに嫌そうな顔をしている。
「そうなのか。既にいくつかの依頼をこなしているようだし、慣れているのだと思っていた。それに、仕事をこなせば学院での成績にも箔が付くだろうし、お父上からも褒められるのでは?」
「そんなもの、いくらもらったところで死んだら全部無くなっちゃいますよ。失礼だと思って言わなかったですけど、フロドさんの方が変わってるんですからね」
「そればっかりはゼルに賛成ですね」
前方を歩くリナが声を上げる。思わぬ加勢にフロドは重ねて驚いた。リナはゼルと比べものにならない実力者だし、ララの助手という点では、今受けている依頼など足下にも及ばない危険な現場も見ているはずだったからだ。
「リナも同じなのか。意外だよ。君はもっと大変な仕事をいくつもしてきただろう? ララさんの補助とはいえ、実力は折り紙付きのはずだ」
「色々見てきたから言うんです。こんなこと、やらなくて済むならその方がいいに決まってますよ」
リナがフロドを振り返る。視線も表情も真剣そのもので、フロドには続く言葉が諌言に聞こえた。
「魔物退治は人助けになる行いです。フロドさんのような向上心も素晴らしいことだと思います。でも、目的が何であれ望んで魔物退治に向かうようなことは無い方がいいです。たがが外れた時が本当に怖いんですから。ララちゃんも一時期は本当に……」
しぼんでいく声と共にリナは何を思い浮かべたのだろう。一時期のララが鬼気迫る様相で魔物退治に挑んでいたことは知っている。しかし、その背後に控える経験の重みを知らないフロドに言い返す言葉は無い。
「う、うん。ありがとう。忠告感謝するよ」
「まあ、そこまでいくのはよっぽどですけどね。フロドさんはきっと心配ないですよ。それに、実際に戦いになれば嫌でも分かると思います」
リナはそう言い終えると、再び前を向いて歩き出す。フロドもそれを追おうとした時、すぐに立ち止まったリナに手で制された。
「どうし――」
問いを言い終えるまでもなく、答えはフロドの視界に現れた。
一面が白と灰色に塗りつぶされた視界の中で、そこだけが染めたように鮮やかな赤色だったのだ。
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