第三十四話 僕がやったことだよ

「みんな大丈夫ですか?」

「なんとかね」


 魔法の力便りで陸地まで戻った僕らを、ルルが迎えてくれた。鐘鳴君もマリンさんもララも水の魔法が使えたので、実際は僕だけ送り届けてもらったような感じだ。ありがたいことこの上ない。

 戻った僕ら四人は全員びしょ濡れのまま魔籠技研の海都支部を訪ねた。そこで待っていたのがルルというわけだ。


「あれ、見ましたよ! 起動できたんですね」

「うん。なんだかまだフワフワしてて実感が無いんだけどね」


 興奮気味に言うルルに、マリンさんが僕らを代表して答えた。

 僕も未だに信じられない。土壇場で提案したのも僕だが、実際に起きたことは完全に想像を超えていた。北星十三星座恐るべし。

 海都へ戻った時、街の中は大騒ぎだった。大勢が海沿いの道へ押しかけており、大声で話し合っている人たちや、呆然と海を見続ける人、中には涙を流して海を拝んでいる人までいた。自分たちが信奉する神が実際に降りてきたのだから、それも当然かも知れない。


「話したいことはありますけど、とにかくみんな疲れてると思うので一度中へ入りましょう。ケガの手当もしないといけませんよ」


 支部に常駐しているという治癒魔法の担当医に応急手当てをしてもらい、着替えを終えた僕らは食堂に集まった。

 安全が確保された空間。今は穏やかな海をガラス窓越しに眺めていると、麻痺していた疲れがどっと押し寄せてきて、温かいコーヒーが全身に染み渡った。


「それで、あの先生はどうなりましたか?」


 声のトーンを抑え、話題を変えたルル。それも重要なことだ。


「わからないの。でも、あの攻撃の中じゃ……」


 そう言って、マリンさんが顔を伏せる。

 海竜の巨体。絶望的に大きな顎がクラーケンを粉砕する様が思い出される。カインはあの後どうしたのだろうか。クラーケンと共に海竜に飲み込まれてしまったのか、それとも渦巻き大荒れの海へと逃れたのか、とても追える状況では無かった。


「海竜が消えた後にもカインの姿は見てない。どこかへ逃げたのかも知れないけど……」


 僕は最後まで言わなかった。海竜を呼び出したのは鐘鳴君たち二人だ。身を守るためとはいえ、自分たちの魔法が敵の命を奪うことを気持ちよく思うはずが無い。


「悪く思ってるか?」


 鐘鳴君の言葉に、マリンさんが顔を上げた。


「あれを喚び出したのは俺たち二人だ。マリンはあの魔法を使う時、どう思った?」

「どうって……どうか助けてくださいって、それだけで必死だったから」

「マリンからちょっと習った程度の知識だけどさ、魔籠ってのは術者の意思に応じて働くんだろ? だったらマリンは何も悪くない。あの男を倒してくれって願ったのは俺だ」


 鐘鳴君が真剣な目でマリンさんを見据える。


「あいつに何があったとしても、それは俺の仕業だ。分かったな?」


 しんと静まりかえった食堂で、絞り出すような「うん」という小さな返事が響く。鐘鳴君はそれを聞いてようやく顔をほころばせた。

 彼の言葉の真偽は確かめようも無い。しかし、それが嘘であれ本当であれ、マリンさんを思っての結果であることに変わりはないだろう。


「そんなことより、マリンさんはこれからのことを考えないといけませんよ」


 ララが空気を変えるように言い放つ。


「厄介者もいなくなって、長年の夢も叶ったのでしょう? ゴウドウさんの誘いを受けるかどうか、決めないといけません」

「そうだね。一回帰って相談しようか」

「ああ」


 もう二人を脅かすものはいないが、街に残る理由も無い。どう選ぶのも自由だ。後は二人に任せれば良いだろう。僕もなんだか肩の荷が下りた気分だ。


「そういえば、ゴウドウさん中々戻ってきませんね」


 ルルが思い出したように言う。

 確かに、ここへ戻ってきてから一度も姿を見ていない。


「どこか行ってるの?」

「海竜が出てきたのは一緒に見てたんですけど、わたしにここで待ってるように言ってからどこかへ行っちゃって……。てっきりみんなのところへ駆けつけたんだと思ってたんですけど、入れ違いになっちゃったのかな」


 ルルが首をかしげる。


「かなりの騒ぎだったし、仕事として対応することができたとか?」


 すぐ思いつく理由はそのくらいだ。ただ、僕や鐘鳴君を熱心に保護しようとしていた剛堂さんの姿勢からすると、ルルの予想の方が当たっていそうにも思える。単に入れ違いになっただけかも知れない。どちらにしても、しばらくすれば戻ってくるだろう。


          *


 海都より西へ大きく離れたところにある人気の無い海岸。そこを一人の男が歩いていた。足取りはおぼつかなく片足を引きずるようにしているうえに、男の足跡には滴った血が点々と重なっている。


「くそ……何だってんだ、一体……」


 その男はカイン・コーラル。

 生傷まみれの痛々しい顔面と裂け目だらけの悲惨な外套、そして怒りと憎しみに歪んだ表情に、多くの女子学生を魅了してやまなかった頃の面影は無い。


 劣勢をひっくり返す切り札を出したのに、それを上回る切り札で返されたカイン。残された魔力のほとんどを注ぎ、命からがら逃げ出してここにいた。もっとも、北星十三星座の魔法を前に、命一つ持ち出せただけでも大きな成果と言えた。

 とにかく今は治療が必要だった。このまま西へ進めば海沿いに小さな漁港がある。なんとかそこまでたどり着かなければならない。


「やれやれ、甘いのは今川君だけじゃなかったか」


「あ?」


 謎の声に顔を上げる。

 いつの間にいたのか。前方、少し離れたところに一人の男が立っていた。


「誰だお前」

「失礼、僕は剛堂仁也という」

「ゴウドウ……」


 すぐに思いついたのは、大手ギルド魔籠技研所長の名前だ。魔籠に関わりのある人間の間では有名である。知らないわけが無かった。


「何の用だ」


 言ってから気づく。目の前の男から発散される尋常ではない魔力に。間違いない、こいつも同類だ。どいつもこいつも、どうしてこんな連中が寄って集ってカインの前に現れるというのか。


「ああ、後顧の憂いは断っておこうと思ってね」


 言葉の直後、息の詰まるような殺気が放たれたのを感じた。何だか分からないが、ハンターアデプトとして死線を潜ってきた経験が、こいつは危険だと全力で訴えていた。

 カインは身構える。幸い身につけていた魔籠は落としていない。武器となる海水もすぐ横に大量にある。残された全ての魔力を注ぎ、魔法の発動を念じる――次の瞬間、目の前に剛堂がいた。

 巻き上げられた砂が潮風に流されて行くのがスローモーションで見えた。一秒と経たないうちに距離を詰められたのだと理解するのと、胸に迫る高速の拳を見るのと、自身の絶命を悟るのはほとんど同時だった。


「悪魔め、地獄に――」


 言葉は最後まで続かなかった。胸に衝撃を受ける方が早かったから。

 カインは空気と一緒にたくさんの色々な物が背中から噴き出していくのを感じた。それがこの世で最後のカインの知覚だった。



「言われなくても分かっているよ」


 打ち寄せる波が血飛沫を洗ってゆくのを見下ろしながら剛堂が言った。


「むしろ、望むところさ」

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