第三十話 カウンターアタック(二)

 ほんの一瞬の油断が命取り。それが達人同士の戦いであれば、なおのこと。


 見張りの交代時間にララが現れなかったこと、そして大通りで騒ぎが起きていたことを手がかりにして、僕は海沿いの小広場にたどり着いた。ルルとマリンさんが別の通りから同じ広場に入ってきたのは、ほとんど同時のことだった。ただ、声を上げるのはマリンさんの方が早かった。


 ララが一瞬だけ振り返ったのが見えた、その直後。

 ずぶ濡れだった地面で急激に水が波打った。それは瞬く間にララの足下へ殺到すると、まるで間欠泉のごとくララを斜め上方へと吹き飛ばした。

 小さな体は蹴り上げられた石のように勢いよく飛び、広場に面した三階建てのアパートへ突撃。その最上階の壁を突き破って建物内部へと姿を消した。


「ララ!」


 ルルが悲鳴のような声を上げる。

 その間にも状況はめまぐるしく動いていた。


 倒れ伏していたカインの手元から、水流が蛇のように伸びる。それは混乱の最中にあるマリンさんへと素早く絡みつくと、軽々とその体を持ち上げてカインの元へと連れ去ってしまった。


「くそっ」


 鐘鳴君の水魔法がカインへ襲いかかるが、一蹴される。いつかの演習と変わらない。実力に違いがありすぎた。


「どのみち俺は終わりだ。だが、こいつは道連れにしてやる。ざまあみろだ、クソガキ」


 カインはマリンさんを魔法で拘束したまま、広場を飛び出していった。


「鐘鳴君!」

「今川さん!」

「急いで追いかけよう。まだ間に合う」

「でも、ララちゃんが……」

「あの程度でくたばる奴じゃないから」


 いつかの戦いでルルが作った傑作を受けきった凄腕だ。あんなしょぼくれた魔法使いの攻撃でへばったりはしない。


「ルル! 悪いけどララのことは頼んだ!」

「はいっ、おじさま!」


 はじめは困惑していたルルも、僕が頼んだら表情が変わった。こっちも大丈夫だ。


「行こう」

「……はい!」


 僕らはカインの背を追うが、敵の姿は遙か遠い。強化魔法で速度を上げてはいるものの、それは相手も同じだろう。いくら懸命に脚を動かしても、積み上げた実力の差は埋めがたい。走るほどに距離は離れてゆき、ついにカインの姿は建物の陰へと消えてしまった。


「どこいった……!」


 夢中で駆けるうちに迷い込んだ場所。周囲を見ても画一的で巨大な倉庫ばかりで方向感覚を失いそうだ。そして人の姿が全く無い。


「今は使われていない旧倉庫地区です。行き止まりのはずですけど」

「そんな所に逃げ込んでどうするつもりなんだ」


 倉庫が多く建ち並ぶこの場所は海にせり出した造成地区だった。港湾ギルドの持ち物だろうか。今も稼働している港湾地区と作りはよく似ている。海以外への道はなく、目的もなく突っ込む場所には思えなかった。


「もしかしたら……」

「どうかした?」

「ここ、老朽化して補修待ちの船もいくつか係留されてるんです。それを使って逃げるつもりなのかと思ったんですが」

「……他に手がかりもない。案内頼むよ」

「はい!」


          *


 追っ手の影は消えた。カインは時たま後ろを確認しながら、倉庫の間を縫うように走る。


「しつこい奴らだったな」


 戦って勝てない相手ではないだろうが、今は逃げに徹することにした。鐘鳴は問題ないとしても、もう一人の方は実力がいまいち測れなかった。一度だけカインの攻撃を察知して乱入してきたし、魔力量も明らかな異常を示している。鐘鳴と同類の可能性があるが、今となってはそれもどうでもよいことだ。


「先生、どうしてこんなことを……」

「あ?」


 マリンは水魔法で拘束されたまま、カインの腕の中にいる。


「成績の悪かった私がここまで来れたのは先生のお陰なんですよ。私に教えてくれたことは本当だったのに。私の夢の話を真剣に聞いてくれたのに。先生の研究室に入れるって決まって、本当に嬉しかったんですよ。成績だって全然よくなかった私を筋がいいって褒めてくれたの、先生だけだったのに……」


 マリンは悲しげな目でカインの顔を見上げ、痛みの滲み出る声で訴えた。


「あー、そんなことも言ったな。まあ筋がいいってのは嘘じゃねえよ。顔は今までのガキどもの中じゃ一番好みだし? 胸は微妙だけど脚はいいと思うからさ、総合で見れば一番だな」


 心から正直に、そして敢えて下品な言葉を並べて汚らしい笑みを浮かべるカインに、マリンが目を見開いて絶句する。その様を見てカインは満足だった。


「こんなクソ田舎に来ることになった時はどうなるかと思ったが、まあまあうまい思いは出来たからな。どいつもこいつも抜けてて助かったよ」


 そして唐突にカインの顔から笑みが消える。


「あとは、お前に生意気なオスガキがくっついてなけりゃ文句はなかった」


 今までの男と同じようにさっさと消えてくれたらよかった。そうすればここまで事態が深刻にならずに済んだのに。忌々しいにも程があった。


「今更、どうでもいいことだがな」


 カインは建ち並ぶ倉庫の間を抜けて、開けた場所に立っていた。旧倉庫地区のもっとも海側。平らに固められた足下と殺風景な景色。その昔に大型船の貨物積み下ろしで使われていた場所だ。

 打ち寄せる波に揺られ、いくつかの小型船が並べられている。どれも破損や老朽化の補修を行うために、一時的に泊められている船舶だった。

 カインはその中の一隻に近づくと、マリンを放って乗せた。拘束されたままのマリンが為す術も無く船の甲板に転る。


「そこまで待ってろ。あとは荷物を――」


 天才は不測の事態にも備えておくものだ。万一の時に人目を避けて街を出るため、少しの旅支度は近くの空き倉庫に隠してある。あとはそれを積み込んで脱出するだけだ。

 その時、最後の準備にかかるカインの耳に慌ただしい足音が届いた。もはや思い出すのも忌々しい、男どものものだ。


          *


「いたぞ!」


 林立する倉庫の群れを抜けた先、係留された船の前にカインが立っていた。こちらを睨めつける眼差しは怒りに満ちている。


「マリンを返せ!」


 激昂した鐘鳴君が前に出る。走りながらカインへと突き出した腕で、魔籠が青く輝いた。

 水の槍がカインへと殺到、その身を貫かんと空気を裂いた。


「ホントに、無駄だって分からねえのか」


 攻撃は届かない。水槍はカインの数歩手前で飛沫へと姿を変え、虚しく地へと散った。


「言っても分からねえから質が悪い。いい加減に身の程――」

「ファイヤー!」


 僕の呪文がカインの戯れ言を遮った。掲げた手から火球が飛ぶ。カインは一瞬だけ焦った表情を見せたが、攻撃は水の壁に阻まれた。


「てめえは何もん――」


 質問に答える義理はない。僕は既にボルテージの呪文をかけてあった剣を連続で振るう。雷鳴が空気と共に敵の質問を切り裂いて、カインへと襲いかかった。あいつが雷攻撃に対処する場面をみたことは無い。通るか?

 カインは空中に水を生成すると、器用に雷の通り道を誘導して攻撃を避けた。やはり一筋縄ではいかないようだ。だが、この程度で諦めはしない。

 雷攻撃を連続して、敵を足止めする。その間も脚を休めることなく前進。そしてついにカインへと肉薄した。


「ファイヤーブレス!」


 渾身のゼロ距離ファイヤーブレス。

 怒りに満ちたカインの顔を炎の渦が覆い隠す。だが、僕の攻撃を見てからカインも水の壁を生成したようだ。

 灼熱の炎と水の防壁が衝突し、辺りに蒸気が立ちこめる。少しは通ったか?


「うるせえんだよ。何なんだお前」


 蒸気の向こうで影が揺らめいたと思うと、巨大な水塊が突進してきた。

 直撃と激痛。

 不意打ちに為す術無く、僕の体は吹き飛ばされて大きく後退。鐘鳴君のいたところまで転がった。


「そっちのクソガキよりはやるようだが、所詮は雑魚だな」

「くっそ……」


 ダメか。全力で当たったが、それでも通らなかった。身を起こそうとするも、今の一撃は思ったよりも体に響いていた。うまく立ち上がれない。


「お前らにかまってる時間はねえんだよ」


 邪魔者を蹴散らしたカインは悠々と船に乗り込む。すると船はひとりでに港を離れて進み始めた。水流操作を使っているのだろう。海に出られたら追うのは難しい。


「くそっ、待て!」

「ダメだ、鐘鳴君。待って、一人じゃ危ない……」


 かすれた僕の声は届かない。鐘鳴君は別の船に乗り込むと、カインの後を追って船を出した。鐘鳴君も水流操作を使えるのだ。

 動けない僕の前で、二隻の船は沖へと突き進んでいった。


 

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