第二十九話 カウンターアタック(一)
手袋に熱がこもって汗が滲む。しかし、多くの木箱を積み下ろしする上で手の保護は欠かせない。配属初日に手の皮をボロボロにして以来の教訓だ。
鐘鳴は港湾地区の職場で労働に勤しんでいた。いつもならば無心で荷物を運び続けるのだが、今日は頭の片隅にずっと懸案事項があっていまいち集中できない。
昨晩、家に帰ってからマリンに聞かされたことをもう一度頭の中でおさらいする。
マリンが言うところによれば、ずっと自分たちを悩ませてきた襲撃者の正体が分かったかもしれないという。その人物こそ、マリンの師であるカインの可能性があるというのだ。
鐘鳴を驚かせたのは襲撃者の正体だけではなかった。カインの真の狙いは、マリンの持つ魔籠ではなく、鐘鳴なのではないかということだ。
――今もどこから狙ってたりするのか……?
荷物を運びながら周囲を見渡す。巨大な倉庫の上、その建屋と建屋の間、高く積まれた荷物の後ろ。せわしなく動き回る同僚たちに紛れているのかも。考え始めたら落ち着かない。
説明によれば、マリンの魔籠は鐘鳴を襲うための大義名分に使われていた可能性があるという。そして、今はその魔籠を鐘鳴が持っている。これまでと違い、襲撃者は回りくどい手段を使うことなく鐘鳴を攻撃できるわけだ。
いざ狙われていると宣告されるだけでこんなにも落ち着かない。鐘鳴はマリンがこれまでこのような脅威にさらされていたのだと身をもって実感すると共に、自信満々で魔籠を預かっておきながら情けないなと思った。
――落ち着け。マリンから脅威を遠ざけられるんだ。むしろ襲ってこなければ困る。
聞かされた作戦では、鐘鳴を囮として敵に先制攻撃させ、犯人が確定した時点で叩くのだという。昨晩からララと信弘が交代で見張りをしてくれているらしいので、今もどこかから守っているはずだ。
とにかく敵の正体を完全に暴くまではどうしようもない。鐘鳴は囮としてしっかり働くことを覚悟した。
「さっきからどうした、キョロキョロしてばっかりだぞ」
「あっ、すみません」
いつの間にか横に立っていた班長に指摘を受けた。
気持ちは動きに出る。浮き足立っているのが伝わっていたようだ。
「調子が良くないなら、早く上がってもいいぞ」
「本当に大丈夫です。すみませんでした」
「いや、今日は午後の予定はほとんど無いから、元々何人か上がらせる予定だったんだ。無理に残られても人手が余っちまう」
「そうでしたか……。それなら、すみませんが早めに上がらせてもらいます」
「おう」
*
午前中に仕事を上がった鐘鳴だったが、家に戻る気にはなれなかった。鐘鳴の住まいはマリンの家である。自分が狙われることでマリンに迷惑はかけたくなかった。
当然、学院へ行くことも出来ない。どのみち迎えに行くには早すぎた。
「ちょっと早いけど昼飯にするか」
鐘鳴は大通りへと足を向けた。
まだ昼時のピークではないが、既に食事処は大賑わいだ。通りを歩く人も多く、鐘鳴は喧噪の中をすり抜けるように歩いた。
行き交う人たちは買い物の途中だろうか、それとも食事処の物色中だろうか。
こんなに大勢が歩いていても、その目的は様々だろう。そして、その中にはいつ襲われるのかと身構える人間もいるわけだ。
――落ち着かないな。家には帰れないし、屋台で軽食でも買って広場で食おうかな。
すぐ近くに手頃な屋台があった。いくらか人が並んでいるが、すぐに捌けるだろう。鐘鳴はその最後尾に並ぶ。先頭の客が肉を挟んだパンを受け取って列を離れていく。同時に、鐘鳴の後ろに新たな人物が並んだ。そこそこ繁盛する店のようだ。
手持ち無沙汰になった鐘鳴は、肩越しに後ろの人物を見る。
白い外套を着込んだ長身の人物。目深に被ったフードに隠れて顔はよく見えず、性別も分からない。しかし、妙な既視感があった。
刺すような視線を感じる。背中が痺れそうな不快感とともに、後ろの人物が列を詰めてきた。そして青い光が煌めく。
鐘鳴はもっと早くに動かなかったことを後悔した。
白外套の袖口から漏れ出すのは魔法の光。瞬く間に生み出された水の槍が、真っ直ぐに鐘鳴へと伸びてくる。フードの下に、邪悪な笑みが覗く。こいつが襲撃者だった。だが、今更気づいても遅い。魔法が鐘鳴の命を奪うまで、一秒とかからないだろう。
鐘鳴は目を瞑った。
激しい炸裂音。
「何してるんですか? 相手から目を離さないように」
聞き覚えのある声、女の子のものだ。
鐘鳴が視線を落とすと、すぐ隣に立っていたのはララだった。この屋台で買ったのか、食べかけのパンを片手に、そしてもう片方の手には魔籠の杖が握られていた。
改めて見れば、白外套の人物と鐘鳴の間には半透明の障壁が張られていた。ララが守ってくれたのだ。
「こんなに早く襲ってくるなんて、相当カネナリさんのことが憎いようですね」
ララの魔籠が光の模様を描く。局所的な暴風が巻き起こり、襲撃者のフードを派手にまくり上げた。
「ね、カイン先生?」
「くそが……」
顔を暴かれたカインの顔が怒りに歪んでゆく。
荒事の気配に、周囲の雑踏が鐘鳴たちから距離をとった。広がってゆく混乱。騒ぎを聞きつけた市場の用心棒が走ってくるのが見える。
カインは逡巡した様子を見せた後、坂を下って海の方面へと逃げ始めた。
「追いましょう」
「あ、ああ……!」
ララが残っていたパンを口に放り込み、追走を開始した。鐘鳴もそれに続く。何としても逃さず捕らえなければならない。
大通りは混み合っていたが人々は自然と道を空けた。誰だって荒事には関わりたくない。親切にも開かれた道を全力で走った。
「今川さんたちは?」
「お姉ちゃんはまたマリンさんのところへお邪魔してます。ノブヒロさんはもうすぐ来ると思います。それまでには片付けておきたいですけどね」
三人は坂を下りきって人混みを抜けた。カインはさらに逃走を続け、たどり着いたのは海に面した南側の小広場だ。立ち話をしていた住人たちが、突然駆け込んできた鐘鳴たちに目を向ける。
カインは海を背に、鐘鳴たちと対峙した。
「これ以上逃げても無駄ですよ。襲撃の様子は大勢が見ていますし、貴方は顔も名前も通るようですからね。きっと学院にも話は伝わるでしょう」
学都からやってきた凄腕魔法使い。名が知れているのは、何も学生の間だけではない。ハンターアデプトの称号はその持ち主から逃げ場を奪うことだろう。
「ああ、全くだ。お前らのおかげで全部台無しだよ」
カインの背後で海面が激しく沸き立ち、大量の水が渦を巻いて浮き上がった。
事態に気づいた広場の人たちが逃げ出してゆく。
「天才の道を邪魔するゴミが。自分のやったことを思い知れ」
空中で蠢く水塊が分裂。無数の水の槍となって、鐘鳴たちに襲いかかった。明らかに鐘鳴の実力でどうにかできる技ではない。どうしようもない壁を前に体が硬直する。
攻撃は届かなかった。ララが展開した障壁に阻まれ、全て地に落ちている。
「クソガキ。てめえの戦い方は一度見てるんだよ。次は殺す」
「そのことなんですが、私の方はやはり覚えがありません。私は本当に強い人のことは忘れないので、なんとなく貴方の程度は知れますけど」
「てめえ言わせておけば……!」
あからさまな挑発に顔を引きつらせるカイン。再び海面から水を浮かび上がらせる。水魔法の使い手にとって、ここは非常な好条件なのだろう。狙ってここへ誘導したと思われた。
「死ね!」
水で形作られた巨大な剣が振り下ろされる。対するララは風の魔法を放つ。分厚い空気の壁にぶつかり、水の剣は飛沫となって霧散した。
その後の攻撃もまるでララには届かない。鐘鳴からみても明らかに格が違うのが分かった。
鐘鳴がカインと対峙した時そう感じたように、カインとララの間にもそれと同じような、否、それを遙かに超える実力の壁が横たわっていた。
決してカインの技がぬるいのではない。怒りにまかせても尚、一撃必殺級の冴えを持つ魔法の数々を涼しい顔で阻止するララの力が異次元なだけだ。
「これはハンデが必要そうですね。貴方の得意な水魔法縛りで相手してあげましょうか?」
ララが杖をかざす。広場中に飛び散っていた水が浮かび上がりララの頭上で渦巻くと、膨大な数の水槍となった。カインが最初に放ってきた魔法でやり返すようだ。
放たれた攻撃を、カインは捌ききれなかった。いくつもの槍が命中し、カインは憎しみのこもったうめき声と共にのたうち回った。
続けてララが作り出したのは巨大な水の剣。やはりカインと同じ魔法で返す。宣言通り、本当に水魔法縛りで叩くつもりのようだ。カインも対処する動きは見せたが、水魔法の達人ですら太刀打ちできない。鐘鳴の魔法がカインに通じなかったのと同じだ。それがこの二人の間で起こっているのだ。
横薙ぎにされた水の剣が直撃。カインは血飛沫をまき散らしながら吹き飛んで広場のベンチに激突。それを粉々に破壊してようやく止まった。
「ぐっ、クッソが……!」
全身擦り傷だらけ、顔は鼻血に濡れてひどい有様だ。ズタボロの姿は怨念のこもった表情と相まって、一層悲惨に見える。
「さて、どこに突き出しましょう。いろいろと顔が利きそうなので、下手なところに出すのは危険でしょうか……」
ララが杖を向けたまま、カインへと歩み寄る。勝負ありだ。鐘鳴の出番はなかったし、信弘の到着を待つまでもなかった。ララの実力には驚かされっぱなしだったが、鐘鳴としては囮の役目を全うできたことを喜んでおくべきだろう。
騒動の終わりも見え、ようやく心が落ち着くかと思われた時、広場に新しい声が響いた。
「ハル君! 大丈夫?」
「マリン? どうしてここに」
広場の入り口に立っていたのはマリン。そしてルルも一緒だった。
「市場で騒ぎがあったって聞いて、もしかしたらハル君が危ないのかと思って……」
「それでマリンが来たら本末転倒だろ!」
鐘鳴はマリンから危険を遠ざけたくて囮の役を受けたのだから。
「お姉ちゃん? 今は手が離せないから、マリンさんとどこかで待って――」
そう言って、ララが一瞬だけルルの方へと顔を向けた時だ。
倒れ伏したままのカインが笑みを浮かべるのを、鐘鳴は見た。
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