第二十八話 受け渡し

 研究室の扉が開かれる。

 やってきた人物を見て、マリンは自分の体が緊張したのを感じた。先ほどまで談笑していたルルも、一瞬だけ表情が強ばったように見えた。マリンは努めて気持ちを切り替える。ここからが肝心なのだ。


「おや、またお客さんが来ているね。今日は一人かな」

「はい。お邪魔してます」


 ルルが笑顔で挨拶する。一見すると平静だが、少し前と比べて声に乗っている気分が変わったのが伝わってきた。不自然な空気になる前に、早く話を始めなければならない。


「あの、先生。ちょっと相談があるんですけど」

「何かな?」


 マリンはかいりゅう座の魔籠を取り出し、続ける。


「以前から研究を手伝ってもらっているコレなんですけど、実はハル君に預けようかと思っていまして」


 鐘鳴の名前が出ると、カインの表情は露骨に変わった。沈黙と共に空気まで重くなり、息が詰まりそうになる。それでも続きの言葉を絞り出す。


「やっぱり、ハル君が持ってる方が安全かなって」

「ふうん。いいんじゃないか」


 冷めた声ではあったが、否定はされなかった。これで魔籠の所持者が変わることは認知されたはずだ。同時に、カインが黒幕だという疑いが一層強くなった。マリンの貴重品をカインが嫌う人物に委ねるなど、はっきりと否定されてもおかしくなかった。


「今日はそろそろ帰ろうと思います」

「そうか。気をつけてね」


 マリンの言葉を受けたルルがお辞儀をして、マリンの横に並んだ。後は迎えに来ている鐘鳴に魔籠を渡すだけだ。

 滲みこんでくるような視線を背に受けながら、二人揃って研究室を後にした。


          *


 夕刻。

 学生たちの流れとともに、マリンとルルは門へと歩く。

 周囲では一日を終えた学生たちが談笑している。皆が夕空と同じ暖かな空気を纏う中、二人だけが緊張感に包まれていた。


 門の外には鐘鳴が待っていた。マリンの姿を見て手を振っている。

 マリンはなんとなく後ろを振り返る。当然ながら、そこにカインの姿はない。しかし、どこか影から見ている可能性は否定できない。むしろ、それを狙っているから学院の門で魔籠の受け渡しをしようというのだ。鐘鳴とは何も打ち合わせていないが大丈夫だろうかと少し不安を覚える。


「おつかれ」

「うん。迎えありがとう」

「ルルちゃんも一緒なんだ。ってことは今川さんとララちゃんも?」

「あ、二人とも帰っちゃったかな。聞いておけば良かった」


 マリンは今更気づく。ルルが急に残りたいと言ったから、後のことまで考えていなかった。まだ学院に残っているだろうか。


「それじゃ寄り道してルルちゃんも送っていこう。魔籠技研の支部だったね。あっちはなかなか行く機会が無いし、たまには散歩も悪くない」

「はい! あっ、その前に」


 ルルがマリンに目配せした。


「ハル君、実はちょっとお願いがあってね、これを持っていて欲しいの」


 マリンがフェアトラの遺産である魔籠を取り出す。


「このところ、いろいろ危ないことにあってきたから、ハル君が持ってる方が安全かなって。でもハル君を危ない目に巻き込んじゃうことになるかもだから、ちょっと迷ったんだけど」


 魔籠を出された時は少し目を瞠ったが、説明を聞いて腑に落ちたようだった。鐘鳴は丁寧にそれを受け取ると、ペンダントとなっている魔籠をきちんと首にかけて服で隠した。


「わかった。そういうことなら、マリンが狙われるより俺が持ってる方が良いと思う。絶対なくさないようにするから」


 肩の荷が下りたようで、マリンはほっと息をつく。しかし、これはまだ始まりに過ぎない。本当に危険なのはここからだし、家に戻ってから細かい事情をきちんと伝えなければいけないだろう。


 重要な話が終わって一段落したところで、重々しい空気の名残を吹き飛ばすようにルルが声を上げた。


「そうだっ! カネナリさん、ちょっとこれ使ってみてくれませんか?」


 そう言ってルルが取り出したのは、先ほど研究室で作っていた指輪の魔籠だった。例の食材から作られたものだ。


「できたてなんですけど、おじさま以外の人にも試して欲しくって。いいですか?」

「いいよ」


 鐘鳴が指輪を身につける。


「いいですか? 呪文は、スタインフルーフ! です」

「そういえば呪文がいるんだっけ、なんかちょっと恥ずかしいな……っていうか、ここで使って大丈夫なの?」

「はい。実はあんまり出来は良くなくて、大した効果じゃないんです」


 マリンは思い出す。確か、少し動きを止める程度と言っていたはずだ。

 ルルが期待に満ちた目を鐘鳴に向けて、今か今かと待ち構えている。ついさっきまでの緊張が嘘のようだ。本当に魔籠が好きなのだと態度から良く伝わってきた。


「じゃあ、使うよ。スタインフルーフ」


 鐘鳴が少し恥ずかしそうに手を胸の辺りに構え、少々控えめな声で呪文を唱えた。

 マリンは指輪に付けられたコカトリスの目が一瞬だけ光を放つのを見た。そして、自分の体が動かないことに気づく。首は回せず、指先すら動かない。唯一、視線だけは動かすことが出来た。

 目だけで辺りを見ると、歩行中の半端な姿勢のまま固まっている人がいた。しかし全員ではないようだ。魔法がかかっていない人は、突然動かなくなった友人に驚いたり困惑したりしている。そして、どうやらルルも硬直しているように見えた。

 魔法は五秒ほどで解けた。動きを取り戻した体の柔らかさは、今まで石化を食らっていたのだと言われても納得できそうなほどだ。劣化したとはいえ、これほどの魔籠を食材から作ってしまったのだから恐れ入る。


「よかったあ、ちゃんと動きました!」

「おいおい、周り巻き込んじゃったみたいだぞ……」

「ごめんなさい、思ったよりも効きましたね」


 ルルが申し訳なさそうに頭をかいた。


「ただ、効かなかった人もいるみたいだ」

「光が目に入らないと効かないと思います。ホントはもっと強くしたかったんですけど、そのくらいが限界でした」


 残念そうなルルだが、素材の質を考えれば今の魔法でも十分な強さだ。


「本当は石化魔法にしたかったんだって」

「ルルちゃんって結構ヤバい子なのか……?」


 マリンは心の中で鐘鳴に同意した。本当に末恐ろしい姉妹である。

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