第二十三話 水の凶刃
明るく広い芝の演習場。暖かい潮風が吹き抜ける中で、鐘鳴君とカインが対峙している。誰も口を開かない沈黙の中で、遠く聞こえる波音と海鳥の声だけが静けさをより引き立てた。
カインは余裕の表情で、片手をポケットに突っ込んだままの棒立ち。鐘鳴君は足を肩幅に開いて、戦いの構えを見せていた。表情も幾分か強ばって見える。
「君のタイミングで始めてくれてかまわない。どこからでもかかってくるといい」
カインが相手を舐めたような体勢を変えないまま、言い放つ。
「わかりました。では」
スッと腰を落とす鐘鳴君。腕輪の魔籠が青い輝きを放つ。
空中に複数の水塊が出現。鐘鳴君が走り出すと同時、それらは瞬時に鋭い槍状に姿を変えてカインへと襲いかかった。
高速の多弾攻撃。しかし、迫りくる水の槍を前にしてもなお、カインは直立の姿勢を崩さない。薄ら気味悪い笑みを浮かべたまま無言で攻撃を迎えた。
直撃かと思われた攻撃だが、水の槍はカインへ届く少し手前で弾けると、そのまま飛沫となって芝へと落ちた。
「同じ水流操作の魔法で打ち消しましたね。まあ、あの人も水魔法が専門らしいですし、このくらいは朝飯前でしょう」
状況を観察していたララが落ち着いた声で言う。
「そんなの、打つ手ないじゃないか……」
鐘鳴君が使っている魔籠はマリンさん作製の物のようだ。当然だが、その師であるカインは同じ系統のより高度な魔籠を拵えていると思っていいだろう。魔籠の使い方だって熟練しているはずだ。水を自由自在に操る相手に、鐘鳴君の攻撃は通用するのだろうか。
鐘鳴君は演習場を駆けていた。強化されているだろう脚力でカインへと迫りながらも多彩な水の魔法を撃ち込み続けて隙を作らない。決して下手な戦い方ではないように思える。しかし、それも魔法が通用すればのこと。
魔法はことごとく打ち消され、一度も着弾することはなかった。しかし、その間に鐘鳴君は棒立ちのカインへ肉薄していた。
鐘鳴君の腕輪が輝くと、カインとの間に分厚い水の壁が作り出された。激しく泡立つ水壁に鐘鳴君の姿は覆い隠される。当然それも即座に打ち消されるが、消えた水の先に鐘鳴君の姿はなかった。
鐘鳴君はカインの背後に回り込んでいた。狙いを定めた鋭い視線。鐘鳴君は隙だらけの後頭部めがけて上段回し蹴りを繰り出した。
それも読んでいたのか、カインはようやく体を動かすと、小刻みなステップで蹴りを回避して鐘鳴君との距離をとった。
「そこそこうまいですね。魔法は完全に牽制に使って、肉弾戦に持ち込むわけですか」
ララが少し感心した様子で解説してくれた。魔法が通用しないと分かればそういう戦い方しかないのかもしれない。
「ただ、それでも足りなさそうですけど」
鐘鳴君の両手に水の剣が生み出される。連続で斬撃を繰り出し、敵が魔法に対処してきた隙を狙って生身での蹴りや突きを繰り出す。魔法と格闘を織り交ぜた素早い連続攻撃に、さすがのカインも棒立ちではいられない。体を動かしての回避が多くなってきた。
テキトーにやられてくるなんて言っていたが、鐘鳴君の気迫は本物だ。全力で戦いに行っているのが分かる。
「すごいぞ。いけるんじゃないか?」
「いえ、全然ダメですね。どうみても手加減されてるじゃないですか」
ララの評価は厳しい。確かに、鐘鳴君の動きだけを見ていれば素晴らしいが、結果を見れば未だに一度も攻撃を当てられていない上、カインは一度も攻め手を出していない。完全に舐められているのだ。
そして現実はすぐに見え始める。
鐘鳴君が牽制に放った水の槍、それがカインの手前でくるりと向きを変えると、鐘鳴君めがけて飛んできたのだ。
驚きの表情を見せながらも、鐘鳴君はそれを横跳びで回避。続く魔法攻撃を繰り出すも、またもやそれらは反転して鐘鳴君へと襲いかかってきた。完全に攻守の立場は逆転。鐘鳴君は攻め手を止めざるを得なくなり、カインから距離をとって再び睨み合いの体勢となった。
「水を操る魔法ですから、理屈の上では相手の水魔法を乗っ取ることもできますね。それでも制御中の魔法を奪うのはかなり難しいので、あの人、腕だけは良いんでしょう。性格は最悪ですが」
相手はこちらの魔法を奪えるが、逆はできない。鐘鳴君は事実上、攻撃の手段を失ったことになる。
「どうした? 勢いが止まっているぞ」
カインが完全に見下した目を向けて鐘鳴君へ語りかける。鐘鳴君は肩で息をするばかりで打つ手がない。
「こないなら、こちらの番だな」
カインの周囲に水塊が発生。鐘鳴君と同じような水の槍を形作ると、それらで攻撃を始めた。鐘鳴君はひたすら走り回り、避けに徹するしかない。
「こんなの勝負じゃない」
「分かってたことです」
カインの腕ならば初手の魔法で即座に決められた勝負だろう。しかし、まるで撃たれた魔法をそのまま返すかのように、カインは鐘鳴君が使うものと同じような攻撃をギリギリ避けられる速度で放ち、じわじわとしつこい攻撃を繰り出し続けた。
走り、跳び、ひたすら逃げ続ける鐘鳴君。それも追いつかずに、少しずつ生傷が増えていく。
弄ばれるような戦いは見るに堪えない。ずっと悲痛な面持ちで見守っていたマリンさんが立ち上がり、とうとう声を上げた。
「ハル君!」
沈みかけていた鐘鳴君の表情に再び闘志が宿ったように見えた。
カインが放った水球の魔法。鐘鳴君を痛めつけるため、わざと避けられるように制御された緩い攻撃だ。しかし、鐘鳴君はこれを避けなかった。肩で押しのけるような突撃。もろに魔法が命中した鐘鳴君は顔に苦痛を浮かべる。だが、それは敵の意表を突いた。
「うおおおおおおっ!」
魔法を受けながら直進でカインに迫る。そして渾身の拳を突き出す――だが、カインは冷静に上体をずらすと、これを難なく回避した。
やはり勝負は一方的。しかし、カインの表情からは余裕が消えていた。代わりに露わになったのは激烈な怒り、苛立ち。不快を全面から放射するように恐ろしげな顔だった。
「ガキが盛りやがって。ムカつくぜ」
呟くように冷たく言い放つカイン。これまで最悪の態度をとりながらも口調だけは丁寧だったカインから飛び出したとは信じられない言葉。
カインが右手を掲げると、そこに長大な水の剣が生み出された。
今度こそ動けずに辛うじて立つ鐘鳴君めがけて、それを振りかぶる。
そのとき、ぞくりと背筋に悪寒が走った。
これはいけない。この攻撃は本気だ。たくさんの魔物狩り、ララとの鍛錬、そして本気の死闘。決して少なくない戦いをくぐり抜けてきた今の僕には、自然と感じ取ることができた。説明できないが、確実に分かる。これは殺意だ。
カインの攻撃は命を取りに来ている。
まさかこんなところでとか、演習中にとか、そんな当たり前で理性的な疑いを超えて本能で読み取れる驚異。横でララも顔を強ばらせる。
迷っている時間はなかった。
「フィジカルライズ!」
僕は立ち上がり、呪文を唱えた。マリンさんとルルが驚いて僕を見上げる。説明している余裕はない。
カインが剣を振り下ろす。
僕は強化された脚で大きく跳び、二人の間に割り込んだ。間に合え!
「ファイヤーキック!」
水の剣が鐘鳴君の首へ届くすんでのところで、燃え盛る跳び蹴りが剣を直撃した。
火と水の魔法が相殺し、激しい蒸気が発生した。粉々に消し飛んだ水の剣から作られた多量の水飛沫が僕らに降り注ぐ。
「どういうつもりかな、君は」
カインは僕を睨んだ。
「あなたこそ、今のはどういうつもりですか」
「……」
カインはしばらく無言でこちらを睨みつけていたが、やがて僕らに背を向けると一人で歩き出し、そのまま演習場から出て行った。
「おじさま!」
ルルが駆け寄ってきた。心配をかけてしまったか。
「一体どうしたんですか?」
「いや、今のは……」
見れば鐘鳴君も驚いているようだった。何が起きたのか分かっていないのだろうか。
どう言ったものかと迷っていると、ララがストレートに言った。
「カネナリさん、あなた今、殺されるところでしたよ」
「えっ……!」
絶句する鐘鳴君。駆け寄ってきたマリンさんも目を丸くしていた。
「いや、いくら何でもそれは。寸止めじゃないかな」
「あれは本気ですね」
鐘鳴君の推測をバッサリ否定するララ。
「ただ、本人もうっかり出してしまったって感じの攻撃でした。かなり衝動的なものだったと思います」
「マジかよ」
「そんな、先生が……?」
マリンさんも鐘鳴君も言葉が続かないようだった。それも当然のことだろう。僕だって信じがたい。しかし本当に危なかった。ほんの一瞬でも気づくのが遅れていたら、そして乱入の決心が付かなかったらと思うとゾッとする。
「ノブヒロさんは良くできましたね。褒めてあげます」
「ララに鍛えられてるからね」
努めて軽く答えたが、まだ心臓がバクバクしている。
僕はカインが去った方へと目を向けた。すでに遠く歩き去った後で、姿は見えない。どうやら彼は単なる嫌な先生で済むような存在ではないらしい。
こうして、僕らの海都観光はなんとも後味の悪い形で中断されてしまった。
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