第二十二話 今は会いたくない人

 カイン先生。

 マリンさんは先ほど、カイン先生の研究室と言った。つまりはこの人がマリンさんが師事する先生ということだろう。

 そう思い至ると同時、件の先生についてララから聞かされていた情報も同時に思い出した。その人はハンターアデプトの称号を持つほどの魔法の実力者で、どういうわけか鐘鳴君を敵視しているとのことだったが、なるほど本人を目の前にすれば一目瞭然だった。この異様な圧は敵視と呼ぶのが適当だろう。


 カインはマリンさんと鐘鳴君を交互に見やり、こちらへと歩み寄ってきた。

 思わず後ずさりたくなるほどの気迫。ララは睨み殺せそうなと表現していたが、そこまで言わせるのも納得だ。


「やあ、マリン。こんなところで偶然だね」


 目の前の鐘鳴君を無視し、マリンさんへ話しかけるカイン。言葉はあくまでも柔らかく、声色も普通だ。しかし、全身から滲み出る攻撃性は隠そうともしない。


「あはは、偶然、ですね……」


 マリンさんの笑顔は引きつっていた。


「それから、君は久しぶりだね」

「お久しぶりです」


 鐘鳴君とカインの視線が交錯する。鐘鳴君は若干気圧された様子をみせながらも、よどみなく答えた。


「ええと、今は何をしているところかな?」

「……ルルちゃんたちに、街の名所を案内していました」


 鐘鳴君へ向けて放たれた言葉のように思えたが、先んじて答えたのはマリンさんだった。


「ああ、この前の子たちだね」


 そう言ってルルとララ、そして最後に僕へと視線を向けるカイン。だが、僕に対しては何も言わず、再び鐘鳴君へと顔を向けた。


「では倉庫街の案内は君かな? あの辺りには詳しそうだし」

「……観光客を連れて行くような場所ではないでしょう」

「へえ、自覚はあるんだね」


 鐘鳴君の顔が険しくなってゆく。カインは見下したように気味の悪い笑みを浮かべつつも、目だけは笑っていない。危険な空気が周囲を漂う中、マリンさんとルルは表情に困惑が滲み、ララはただ無表情で事の推移を見守っている。僕は……僕もどうすればいいかよく分からない。カインは難ありだとララから聞いていたが、これほどとは思わなかった。出会い頭に喧嘩を売ってくるなんて、第一印象は最悪だ。


「自覚があるのなら、マリンからは離れてほしい。君のような者に関わられると、マリンの資質にも学院の格にも傷がつく」

「お忘れのようなので言いますが、俺はマリンの家に住んでいるんです。マリンも倉庫街のある港区の人間なんですよ」


 カインの顔から笑みが消えた。

 無言の睨み合いの中、双方の気迫が周囲の空気をぐらぐらと煮るように高まるのを感じた。たまりかねたマリンさんが声を上げる。


「あ、あの、すみません。今は案内の途中なので」


 二人の間に割って入ったマリンさん。視線を集めながらも一触即発の空気を消し去ってくれた。カインが鐘鳴君から目を離し、マリンさんへ向けて作ったような笑みを向ける。


「ああ。申し訳ないことをしたね」


 言葉を受け、安堵の表情を浮かべるマリンさん。しかしそれもカインから次の言葉が飛び出すまでのことであった。


「お詫びに、僕にも一つ観光案内をさせてもらえないかな?」

「俺たちにそんな時間は――」

「お願いします」


 断ろうとした鐘鳴君を制し、マリンさんが即座に答えた。


「お願いだから、ここだけ。ね……?」


 おとなしく言うことを聞いておいた方が後々に良いという判断だろうか。この中で一番カインの扱いが分かっているのはマリンさんだろう。それに、マリンさんは今後もカインの元で勉強を続けなければならない。ここでさっさと別れてもかまわない僕らとは事情が違うのだ。しかし、嫌な予感は拭えない。

 結局、鐘鳴君も渋々といった表情で了解した。


          *

 

「さて、到着だ」


 カインが宣言する。

 導かれるままに僕らがたどり着いたのは、シーガル魔法学院だった。眼前にそびえ立つ白壁は、遠目に見たときよりも高く感じる。ルルとララは来たことがあるし、鐘鳴君はマリンさんの送り迎えで来たこともあるだろうから、初めて来たのは僕だけか。


「学院じゃないですか」

「そうだよ。君は中に入ったことは無いだろう? 今日は特別だ。僕のお客として招待しようじゃないか」


 鐘鳴君が不信を込めた目をカインへと向ける。好意的なご招待で無い以上、何らか企みがあるのは明白だ。マリンさんの手前おとなしく付いていくが、わざわざ相手の土俵に上がり込んでいく状況に居心地悪さを禁じ得ない。

 

 カインの顔で門をパスし、敷地内をずんずんと進んでゆく。

 様々な建屋を通り過ぎ、綺麗な噴水と整えられた植樹のある広場や、学内の売店などを黙々と素通りしてゆく。楽しげに談笑しながら歩む学生たちとすれ違う。僕らの一行とは真逆の空気が遠ざかっていった。

 僕らはどこへ連れて行かれているのだろう。観光案内といいながら、未だ学院のことを何一つ案内してもらっていなかった。


「ここだ」


 敷地の端の方だろうか。多くの建屋から離れ、周囲は開けていた。海がよく見える、広い芝生だ。ただし、単なる芝生広場ではない。地面に大きく描かれた長方形のライン。その横には庇の付いたベンチがいくつか設えられている。


「この学院で一番広くて景色の良い、演習場だよ」


 カインが両腕を広げ、立派な演習場をバックに言う。

 他に案内すべき全てを無視して、がらんどうの演習場をただ見せるために僕らを――いや、鐘鳴君を呼んだわけがない。どうやら嫌な予感は当たったようだ。

 僕の横でララが小さくため息をつき、マリンさんの顔は青ざめた。


「どうだい? せっかくここまで来たんだ。一戦交えてみないかな」


 鐘鳴君が息をのむのが分かる。それを余裕の表情で見据えるカイン。

 冷静に考えれば、こんな勝負を受けるのは馬鹿げている。片やハンターアデプト、片や一般人。勝つことに意味もなく、矜持の無い勝負。

 答えない鐘鳴君へ、カインは追い打ちをかけるように言葉を継ぎ足してゆく。


「戦闘用の魔籠使用許可は持っているんだろう? マリンからは練習相手をしてもらっていると聞いているからね。我が研究室の優等生の相手が中途半端な人間では困るんだよ」

「ハル君……」


 マリンさんが視線と声で訴えかける。この勝負受けてくれるなと。内心は分からないが、カインに付いていくよう促したことも後悔しているだろうか。


「いいですよ。やりましょう」

「ハル君!」


 マリンさんが小さく悲鳴のような声を上げた。鐘鳴君は挑発に乗りやすいタイプなのだろうか。こういう手合いに熱くなるとろくな事は無いが。

 カインが薄気味悪く口角を上げて演習場内へと進み始め、鐘鳴君が後に続いた。


「鐘鳴君、あんなの言わせとけばいいと思うよ」

「一回やれば気が済むでしょう。ああいうのって相手するまでしつこく付きまとってきそうなんで、今回だけと思ってテキトーにやられてきますよ」


 鐘鳴君は一度だけ僕の方を振り向いて、笑いながら言った。


「本人がそう言うならいいでしょう。あっちで観戦しますか」


 皆がハラハラと状況を見守る中、ララだけは終始落ち着いた様子でベンチの方へと歩いて行った。

 あくまで模擬戦だし、いくら鐘鳴君のことを敵視していると言っても、自分が所属している学院で無茶はしないだろう。余計な心配をしすぎているのかもしれない。


「とりあえず、僕らも見てようか」


 まだ不安そうな顔のマリンさんとルルと一緒に、僕もベンチへと向かった。

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