第十八話 自分の立ち位置

「ノブヒロさんがそんなことしてても絵になりませんね」


 夜、魔籠技研支部の宿舎テラスで夜風に当たっていると、背後からララが声をかけてきた。


「私がいれば少しはマシになるかも」

「起きてたのか」


 謎の自信に満ちた冗談とともに、寝間着姿のララが静かにテラスへと出てきて僕の隣に立つ。


 電灯が乏しい海都では、部屋の明かりを落とせば一番明るいのは空の月だ。暗い街では人もほとんど出歩かない。昼間の喧騒と夜の静けさの対比、太陽と月がぞれぞれ照らす海都は、まるで違う街のようにも見えて風情がある。それを眺めているのが冴えない僕一人というのは減点要因だったが、なるほどララがいるだけでだいぶ違って見えるものだ。月明かりに向かうララの髪が潮風に小さく揺られてきらめいた。


「ルルは?」

「もう寝てます」


 後ろを見れば、月明かりの差し込む部屋の中で行儀よくベッドに収まったルルがいた。


「今日言われたこと気にしてるんじゃないかって心配してましたよ」

「少しね……」


 フェアトラ復権会集会所の地下で、剛堂さんから少々厳しい言葉をもらった。口調がいつものように丁寧で優しかったからだろうか、心に大きな感触があった。ちょっと一言忠告を受けただけなのに、不思議なものだ。滅多に怒らない人が怒ると割り増して怖く感じる現象に似ているかもしれない。

 思えば剛堂さんが僕へ向けた忠告は今回が初めてではない。どれもが異世界という環境で生きていくための秘訣であり、実績の伴う血の通った言葉だった。それらを何となく曖昧な言葉で流してきたことが、今になって恥ずかしく思えてくる。


「私は気にすることはないと思いますけどね。何かを守りたいけど非情にはなれないなんて普通のことですよ。そもそも、私たちは旅行中に誘われて突然巻き込まれただけなんですから。元から強い目的があって来たゴウドウさんとは違います」

「そういうもんかな」

「そういうものです。お姉ちゃんの前であまり物騒なことされても困るので、ノブヒロさんには感謝してますよ。あの人の言うことも分かるんですけど、ちょっと前のめりすぎるっていうか、見ていて怖かったですね」

「確かに、僕もちょっと怖かったかも」


 この街に来てから剛堂さんが戦うのをはじめて見たけど、敵に向かう姿には驚かされた。

 初対面の頃から、単に故郷が同じというだけで信じられないくらい便宜を図ってくれた剛堂さんだけど、ここまで強硬姿勢だとは思わなかったから。僕らを害するものが相手なら本気で殺すことも厭わないような危うさのようなものに怖気づいたのかもしれない。


「でも、僕がこっちの世界に来てから剛堂さんに助けられたのは確かなんだ。今日みたいに直接的な手段じゃなかったけど、剛堂さんがいなかったら今の僕は絶対にいない。今までの僕に見えていなかっただけで、剛堂さんの僕らを守ろうって姿勢は変わってないんじゃないかと思ったら、僕自身もそのことを考えないといけないのかなって」

「そんなに考え込まなくったって、本当に必要に迫られたなら自ずと答えは出るでしょう。前もって悩むだけ無駄というものですよ」

「そんな場面が来ないことを願うよ」


 ララは僕の方へ顔を向けると、少し微笑みながら言った。


「そんな場面は、もうありました。私はよく覚えていますし、ノブヒロさんはちゃんと出来ていましたよ。だから心配いりません」


 言われて思い当たるのは、あの日の死闘。思い出してみれば確かに、あの時は容赦とか手加減とか考えもしなかったな。途中で立ちはだかる障害には何もかも敵対する勢いで挑んでいたし、今日の僕とはまるで違った僕だったようにすら思える。

 僕は後ろの部屋で眠るルルを見やる。自分にとって本当に必要な場面となれば、迷うことすらないというわけか。

 それは、剛堂さんにとっての僕や鐘鳴君がそういう存在だということを意味している。守ってもらった立場として、そのことだけは覚えておこう。


「……そっか、じゃあララの言うことを信じるよ」 

「それでいいです。……さて、憂いが晴れたところで本題なんですが、明日の午後はみんなで街に出ませんか?」

「何かまた調査?」


 僕が聞くと、ララは少し苦笑いしながら言った。


「違いますよ。単なる観光です。遥々海都まで来たのに騒ぎに巻き込まれただけなんてつまらないじゃないですか。確かに気になることは残っていますけど、一応は騒動もひと段落したことですし、そのくらい良いでしょう。中断されてた旅行の続きと思ってください」


 確かに、せっかく海の見える街まで来たのに襲撃された思い出しかないのはつまらないな。大通りなら危険もほとんどないと聞かされているし、見て回りたい気持ちもある。

 それにしても、ララのほうから観光の提案なんて意外だ。本人がどういうつもりかはわからないが、慰めに声をかけてくれたことも含めて、ララの存在が『頼れる強者』から『対等な仲間』へと変わってきたようで、僕はなんとなく嬉しく思う。

「僕は良いけど、剛堂さんはまだ警戒した方がいいって言ってなかった?」


「ええ。なのでマリンさんとカネナリさんも誘いましょう。一緒にいれば何かあっても対処できますし、観光地なら襲撃もし辛いでしょう。カネナリさんのほうは仕事がどうかわかりませんが、明日は学院が午前中だけみたいなので、マリンさんは来てくれると思います」

「わかった。行こうか」

「決まりですね。そうと決まれば早く寝ましょう。なんだか疲れました」

「うん。おやすみ」


 ララは小さなあくびを手で隠しながら、ルルの隣へと戻っていった。

 このまま襲撃騒動も落ち着いてくれたらいいんだけどと、そう思いながら僕も寝床へと向かった。

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