第十三話 鐘鳴の誓い

「来てみたのはいいですけど、鐘鳴君って今日も仕事ですよね」

「おそらくね。少し強引ではあるが、そこは僕に任せてくれ」


 僕と剛堂さんは港湾ギルドへと到着した。

 先日同様、港湾地区は働く男たちで活気に満ちている。僕らは行き交う大男たちの邪魔にならないよう、通路の端に寄って港湾ギルドの事務所を見上げた。


「どうします? また事務所から呼び出してもらいますか?」

「いや、さすがに一ギルドの長が何度も一般の作業者を呼び出していては、相手方にも妙な印象を与えかねない。直接現場へ行こう」

「昨日は門前払いでしたけど」


 僕が指摘すると、剛堂さんはこちらを振り向いてにやりと笑った。


「何のために僕がいると思っているんだい?」


          *


「またあんたらか。仕事の邪魔だから帰ってくれねえかな」


 先日と同じく鐘鳴君の上司である班長に当たるも、対応は変わらなかった。どうするのかと思っていると、剛堂さんは班長にそっと近づいて耳元で何かを囁きながら、その手にキラリと光る物を握らせた。

 班長はしばらく手元を見て考えこんだあと「待ってろ」と一言だけ残してどこかへ行ってしまった。


「最初からこうしておけばよかったよ」


 そう言ってウインクする剛堂さん。慣れた様子だったし、こういうことは日常茶飯事なのかもしれない。


「なんていうか……あまりルルには見せたくないので、最初からこうしてなくてよかったです」


 説明するのが難しそうだからね。ララは分かった上で何も言わなそうだけど。


 その後、班長に連れられてきた鐘鳴君と無事に会うことができた。


「気にかけてもらえるのは嬉しいですけど、マリンが動かない限り、俺もついて行くことはできませんよ」

「分かっているよ。今日は単に話をしに来ただけさ。数少ない同じ国の仲間なんだ。そのくらい構わないだろう?」

「そういうことなら……」


 作業現場は人が多かったので、僕らは船の停泊していない場所へと移動した。怒号が遠くなり、波の打ち寄せる音がよく聞こえるようになった。


「何から話しましょう」


 鐘鳴君に問われ、僕は考える。聞きたいことはたくさんあるが、どうしたものか。初めて剛堂さんに会った時もこんな感じだったなと思い出す。

 少し迷った末、僕は言った。


「昨日はほとんどマリンさんの話で終わっちゃったから、鐘鳴君の話をなんでもいいから教えて欲しいかな」

「俺のことですか。そうですね……じゃあ、こっちに飛ばされてきたときのことから一通り話しましょうか」


 遠く外洋へと繰り出す船を眺めながら、鐘鳴君は話を始めた。


「こっちに来る直前、俺は学校の図書室にいました。帰りに一緒に買い物へ行く約束をしてた友達が生徒会の用事に呼ばれてしまって、その間の暇つぶしでした。それで、何となく本棚を眺めてたら、変な本があったんです。

 図書室の本って全部こう、なんていうか、学校の備品ですって感じのラベルが貼ってあるもんなんですけど、それだけ何も貼ってなくて――」

「それって……」


 僕は思わず話を遮って、ポケットから一冊の本を取り出す。もちろん曰くの文庫本『ポラニア旅行記』だ。


「あっ、そう! それです。ってことは、今川さんも同じなんですね。そっか、やっぱりこれが原因だったのか……」

「ごめん。遮っちゃって。続けて」

「はい。それで、気になって読み始めたんです。友達が用事に思いのほか手こずってたみたいで、そのまま最後まで読み終わりました。気づいたらすっかり日が落ちてて、スマホを見たら友達から、まだ時間がかかりそうだから先に帰ってろって連絡が来てました。それで本を返そうと椅子から立ち上がったんですけど……その瞬間には、もう全然違う場所に立ってました。

 ホント唖然としたっていうか、意味が分かりませんでしたよ。さっきまで夜だったのに、カンカン照りの快晴。どこだか分からない外国の街みたいで、大勢の人でごった返してて、その真ん中に突っ立ってたんです。場所は……あの辺り、海都の中央通りです」


 鐘鳴君は陸側を向いて、街を貫く大通りを指し示した。

 坂状の海都を陸から港まで繋ぐ、まさしく街の大動脈だ。今も多くの人々が往来し、途切れることの無い人の流れを生み出していた。


「そのまま茫然としてたら、ガラの悪そうな集団にぶつかってしまって、物凄く詰め寄られました。外国みたいなのに相手の言葉が分かることにも気づきましたけど、正直それどころじゃなかったです。なんですか、ここどこですかって喚いてたら殴られて、鞄を盗られそうになって……その時助けてくれたのが、マリンです。

 マリンに手を引かれるまま入り組んだ路地を抜けて、追手は撒けたみたいです。でも、俺にとっては何も解決してませんでした。助けてくれた人になら頼れるかもって、とにかく質問しました。ここはどこか、今はいつだって。そうやって話をするうちに、ポラニア王国だとか海都だとか魔法学院だとか……もう、頭がついていかなかったですよ。夢かと思いましたし」


 しかし、それは間違いなく夢ではなかった。僕も同じ経過をたどったから分かるが、頭が他の答えを知らないのだから、夢かと思うのは仕方がない。


「ただ、どうしても現実だと認めるしかなくなったと同時に思ったんです。助けてくれたこの人から離れたらダメだって。俺はとにかくマリンにすがりました。マリンはかなり迷ったみたいですけど、俺を家まで連れてってくれました。ここから先は、だいぶ情けない話になるんですけど、マリンの家に引きこもって、何日もめそめそ泣いてました。たまに癇癪起こしたみたいに喚いて、家に返せよとか怒鳴って当たり散らしたと思ったら、また部屋の隅で泣き出したり……多分マリンもすごく困ってたでしょうね。食事も出してくれたんですけど、机ごとひっくりかえして怒鳴り散らしたりしましたよ。本当、あの時のことは思い出すだけで情けない。何様のつもりだよ俺」


 鐘鳴君は額を押さえて、自虐的な笑みを浮かべた。多分、相当追い込まれたんだろう。僕よりも圧倒的に充実した人生を歩んでいただろう彼の無念は、僕には想像もつかない。


「それでもマリンは俺を追い出さなかった。むしろ、俺が弱って暴れるほど、それまでよりも親身に接しようとしてきました。それである日、ついに空腹に耐えかねて、出されたご飯を食べたんです。そしたら、マリンは笑って、やっと食べてくれたーとか言うんですよ。信じられますか?

 自分でも不思議なんですけど、その顔を見た瞬間に、今まで悩んでた事が全部どうでもよくなって、なんでもいいからとにかく立ち直らないといけないって自然と思えたんですよね。

 まず今までのことを全部謝りました。それからいろいろ話して、マリンの家が遺産でギリギリもってて経済的に危ないこと、学費がもう払えなくなることを知りました。俺はマリンからこの街で仕事を斡旋してくれるところを教えてもらって、とにかく金払いが良くてすぐに始められる仕事ってことで、港湾ギルドに入りました。そこからはもうずっと必死で働いてます。幸いマリンは成績優秀者だとかで学費が一部免除されてるので、俺一人の稼ぎでも生活費と学費の両方賄えてます。だから、俺がマリンから離れるわけにはいかないんです」


 鐘鳴君は手を握りしめると、僕の方へ向き直った。その眼差しには強い意志の力が感じられる。


「この世界で、俺の全てはマリンの物です」


 彼には彼の、ここで戦う理由がある。

 鐘鳴君の決意がこもった姿勢に既視感のようなものを覚えたのは、僕がルルについて師匠の前で誓った日のことを思い出したからかもしれない。


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