第十二話 マリンの師

「マリンさんの目標は分かりました。でも、そのためにここを離れられない理由はよく分かりませんね。研究なら安全な別の学院でも問題ないのでは?」


 シーガル魔法学院のレベルの高さは知れたし、マリンの目的も分かった。研究テーマも理解はできる。しかし、ここでしかできないことかというと疑問であった。実際に危険な目に遭いながら、それでも剛堂の誘いを断ってまでこだわる理由は何であろうか。


「ああ、それはね――」


 マリンが話し始めたとき、研究室を訪れる者があった。

 三人が開かれた扉に注目する。

 そこに立っていたのは長身の男性。肩に少しかかるほどの髪は銀。白く長い外套は染み一つなく清潔そのもので、細い金縁の眼鏡は理性的な印象を与える。体格は細りとしており、港湾で見かけるような男たちとは対極にいる存在に見える。ララは男性の顔面に特別関心を抱いたことはないが、この男のそれは一般に美形とされる部類であろうことはすぐに分かった。


「先生!」


 先生と呼ばれた男性はララ達の方を一瞥すると、マリンに問うた。


「マリン。さっきこの辺りから物凄い光が見えたから来てみたんだが、何があったか知らないかい?」


 肩をびくりと震わせたマリンがゆっくりと男性へと顔を向ける。


「えっとですね、今ちょっとお客さんを招いてまして……」

「ん? ああ、見学者かな。それがどうかしたのかい?」


 他人事のように聞いていたララであったが、隣のルルから肘で小突かれてしまったので、仕方なく立ち上がる。マリンだけに釈明させるわけにもいかない。


          *


「ははは、なるほどね」


 一同はララが穿った大クレーターを確認したのち、再び研究室へと戻ってきた。師の隣で終始肩を縮こまらせているマリンを見ていると、さすがにララも申し訳ないという気分にはなった。


「今回のことは試験場で起きたことだ。後始末は僕がやっておこう。マリンは小さなお客様を、ちょっと見くびっていたようだね」

「はい。反省です……」

「しかし、無理もないだろう。こんな小さな子がハンターアデプトだなんて、想像もしないだろうからね」


 男性の言葉に、マリンは目を見開いた。


「ハンターアデプト……!」


 絶句するマリンの視線を受けながら、ララは男性に質問をする。


「失礼ですが、どこかでお会いしましたか?」

「いいや。僕が一方的に知っているだけだよ、君は一部じゃ有名人だから。……と、申し遅れてすまない。僕はここの教師で、カイン・コーラルという。君と同じくハンターアデプトを持っていて、強力な魔物の討伐にも何度か駆り出されている。現場を同じくしたこともあるから、君の姿を見るのは初めてではないんだ。君の方からしたら、僕は眼中になかったようだけどね」


 カイン・コーラル。ララは無言で記憶をたどるが、残念ながら名前に覚えは無かった。

 魔物の討伐で一緒の現場だったということは、各地の魔物討伐に飛び回っていた頃の話だろうか。ララにとってはルルの一件で内面的に荒れていた時のことになる。周囲に誰がいたかなど気にもせず、ひたすら目の前の魔物を屠っていたのだろう。記憶になくても不思議ではなかった。


「先生は水魔法のスペシャリストなの」


 マリンが補足する。


「なるほど。そういうことでしたか」


 ララはマリンがこの学院を離れられない訳を理解した。自身の目標にとって最も適した師が居るということだ。求める分野が合致する上にアデプトを保有するレベルの師となると、次の学院に行ってどうなるかは分からない。


「じゃあ、マリンさんの魔籠作りもカイン先生が教えているんですね」

「そうだ。中々いい出来だっただろう? マリンはとても筋がいいし、魅力的な素質を持っている。この研究室にマリンが来たことは、僕にとっても良い刺激になると思っているよ」


 ルルの言葉を肯定し、マリンを褒めちぎるカイン。見れば、マリンは照れくさそうに頭を掻いていた。本人の目の前でここまで絶賛するほどに、師弟関係は良好なようだ。尚更街を離れるのは惜しいだろう。


 そうしてしばらく談笑していると、カインがマリンへ向けて言った。


「そういえば、この前の件は考えてくれたかい?」

「ああ、えっと、その日はちょっと別の用事があって」

「用事とは?」

「学生寮へ入れることになったので、引っ越しに向けて部屋の片づけを始めようかと……」


 それまで和やかに話していたマリンの様子が変わったのが分かる。顔が若干こわばり、カインの様子を伺いながら言葉を選んでいるようだった。

 突如として場の空気が少しぎこちなくなったのをルルも感知したようで、ララに困惑した視線を送ってくる。しかしララにも理由が分からないので小さく首を傾げて応じるにとどめた。

 カインだけは笑顔を保ったまま、場の空気などお構いなしに話を続ける。


「そうか。それなら僕も手伝いに行こう。二人ならすぐに終わるだろう」

「いえ、手伝いは他の人にお願いしているので、大丈夫です」

「ほう、他の人とは?」


 カインが少し目を細めて食い下がる。声色に僅かな鋭さが宿り、場の緊張感が増した。その言外の圧に押されるかのように肩を縮こまらせたマリンが、小さな声で答えた。


「ハル君、です……」


 その瞬間、カインに明確な殺気が宿ったのがララには分かった。笑顔は消え去り、視線から重圧を放っている。ララが知り得る限り、魔法使いがそのような気配を放つのは特に凶暴な獲物を狩りにかかる時くらいだ。

 ハンターアデプトともなるとその強さは相当なもので、発散されるオーラに押されるまま、ララは危うく懐の魔籠に手を伸ばすところであった。ルルに至っては恐怖の表情を隠すことも出来ないようだ。


「例の彼か。マリン、それは感心しないね。彼は港湾ギルドの労働者だろう? あのような下賤の職に就いている者と付き合えば、君の品位に関わる」

「ハル君のことを悪く言わないでください」


 マリンは絞り出すかのような声で鐘鳴を擁護した。視線だけで相手を殺せそうな圧を受けながらであるから、それだけでも大したものである。


「ああいうところに集まる人間はね、総じて粗野で品が無いと決まっている。君に近づいているのも、大方下劣な目的があってのことだろう」

「ハル君はとても良い人ですよ」


 震えながらも真剣に相手の目を見て話すマリンに、カインはしばらく沈黙を保った後でようやく視線を外した。室内を圧迫していた気配も急速に収まり、ララも肩の力を抜いた。


「仕方ない。それでは、またの機会にするとしよう。失礼するよ」


 カインは立ち上がると、ララとルルには目もくれずに部屋を出て行った。



「び、びっくりしました……。なんだったんですか、今の」


 ルルが胸に手を当てて、冷や汗を垂らしながら言う。和やかな雰囲気からの豹変にはララも度肝を抜かれた。ルルほどではないが、手には薄く汗をかいていた。


「驚かせちゃってごめんね。先生にはちょっと偏見があって、たまにあんなことがあるんだ」

「よくあんな人の研究室にいられますね」


 ララは率直に意見を述べた。


「うん。でも腕は確かだから、私の目的には絶対に必要な人なの。先生はこの研究室には実力を認めた一人の学生しか所属させないって決めてるらしくて、私が選ばれたのは本当に奇跡みたいなものだから。どうしてもチャンスは逃せない」


 マリンの目は真剣だ。確かに実力はあるのだろうが、あの師が相手では我慢しなければならないことも多そうである。余程の割り切りが出来ていると見えた。


「マリンさんが誰を師に選ぶのも自由ですし、私たちに口出しはできませんが……。ちなみに、この前の件というのは何なんです?」

「先生のお宅に、夕食のお誘いを受けていたの」

「引っ越しの準備は誘いを断るための嘘ですか?」

「それは本当。でも、日程を被らせたのは、わざとかな……」


 あんな相手と一対一で食事など、気が滅入って仕方がないだろう。食事中に先ほどのようなことになれば何も喉を通らない。


「それにしても、担当の女子学生を一人自宅に誘うなんて、案外あの先生の方が下劣な目的とやらを持っているのではないですか?」

「それは分からないけど、私の前にこの研究室にいた人は、研究室を辞めた後で学院も辞めちゃってるんだ。噂だけど、その人は先生のところに出入りしてたみたいで、それで私もちょっと怖くなって……」


 決めつけるのは尚早ではあるが、既にララの中ではカインは信用できない人物として認識されていた。マリンの懸念は恐らく正しいだろう。


「正体不明の襲撃者に、偏見持ちの教師。あちらもこちらも要注意人物に囲まれて大変なことですね」


 どれもこれも水都に移り住めば解決するのにと、ララは心の底から思った。


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