第十一話 海竜伝説

 双子の実力に圧倒されていたマリンも、時間と共にようやく落ち着いたようだ。


「すみません。マリンさんが楽しそうだったので、少し乗っかってしまいました」


 ララが反省の弁を述べる。ルルに促されたからというのもあるが、本心である。ルルが指摘した通り、この頃は信弘相手に鍛錬するのに慣れてしまったせいで加減を誤るところがあったようだ。

 王立魔法学院を去って以降、ララの鍛錬の相手はほとんど信弘頼りである。こうして加減を誤ったということは、それだけ信弘が強くなっていることの証左であった。


「わたしも、驚かせてしまってごめんなさい」

「ううん。私が勝手に驚いただけだから。こっちこそ、なんかごめんね」


 学生一人の研究室に、二人も見学者を招けたことはマリンにとって素晴らしい出来事だったのだろう。先輩面は潰してしまったが、ララもルルも悪気があったわけではない。


「それにしても、ここは本当に素材も道具もたくさんそろってますよね。マリンさんはここで何の研究をしているんですか?」


 ルルが話題を変えて発言した。


「主に水魔法の研究かな」


 マリンが答えて、ペンダントを取り出す。フェアトラの遺産とされる曰くつきの魔籠だ。その裏側に施された、精緻な技巧によるかいりゅう座。天上の神秘がマリンの手の上で煌めいていた。


「昨日の話、覚えてる? 私がおばあちゃんと約束したっていう」

「ええ。それが理由でここを離れられないんでしたね」


 ララの言葉にマリンは一つ頷く。


「その約束っていうのはね。この魔籠を起動することなの」


 ララ達の注目が魔籠に向くのを見てから、マリンは話し始めた。


「まだフェイス・フェアトラが教会から排除される前のこと、各地で暴れていた魔物を退治して回った話は知ってる?」

「知ってます。本当かは分からないですが」


 フェイス・フェアトラが訪れて、その地に巣くっていた魔物を退治していったという逸話はポラニア王国の各地に多く残されている。土地に箔をつけるために創作された物も多いようなので、どれが本物かはよく分かっていない。

 フェアトラ家が異端として告発されてからは、そう言った話の広がりは緩慢となったようだ。教会の目を恐れてのことなので仕方がないが、これまで助けた者たちから一斉に見放されたフェイス・フェアトラはどのような心境だったのだろうか。


「この街にも伝説は残っててね。海都が今よりもずっと小さな港町だったころ、すっごく大きなイカの魔物が船を襲って、みんなが困ってたんだって。魔籠の無かった当時は戦える魔法使いは少なかったし、海の中から突然現れたり隠れたりする相手には中々手出しが出来なかったみたいだからね」

「大きなイカ……クラーケン。真なる魔物ですか」


 フェイス・フェアトラの現役時代。当然だが、まだ魔籠など無かったころの話だ。各地にいた魔物というのは現代よりも珍しい存在であった。

 魔籠をルーツとする新世代の魔物に対して、古くから存在する魔物のことを真なる魔物と呼称するようになったのは近年のことだ。

 かつての海の支配者、クラーケンもそんな真なる魔物の一種である。大型船を易々と絡めとるほどの強靭にして長大な触手を持ち、旺盛な食欲の赴くままに船舶を襲撃、多くの船乗りを震えあがらせたという。


「うん。そんなときにやってきたのがフェイス・フェアトラだった。フェアトラはお供の悪魔と一緒に小舟で海に出てクラーケンと戦ったんだけど、その時に海に大きな海竜が現れたんだって。無限にあるんじゃないかというくらいの長い体の海竜と比べたら、クラーケンですら本当にちっぽけなものだったとか。それで魔物はあっさりと倒されるんだけど、その時に現れたものこそ北星十三星座のひとつ、かいりゅう座の神に違いないって言われてるんだよ」


 そして、マリンは手元のペンダントに目を落とす。


「おばあちゃんは、このペンダントこそが海の神様を呼び出す鍵に違いないって言ってた。フェアトラからこれを託された者の子孫として、伝説の海竜をこの目で見てみたいって。それで、私が約束したの。私がこれを使って、おばあちゃんに海竜を見せてあげるよって。そしたらおばあちゃん喜んでくれてね。楽しみにしてるよって言ってくれた。……ちょっと間に合わなかったけど、私は今でも諦めてないから」


 マリンの目は魔籠のペンダントを通して、在りし日の思い出を見ているようだった。


「たぶんそれ、おばあさんは本気で言ってないですよ」

「もう! なんでそんな水を差すようなこと言うのっ」


 ララの何気ない呟きを、ルルが咎めた。


「ふふ、そうかもね。でも良いんだ。今はおばあちゃんだけの夢じゃないから」


 ペンダントを日の光にかざし、マリンは目を細めた。ララにはいまいち分からないが、魔籠の道を志す者なりのロマンがあるのだろう。


「マリンさんすごいです! わたし応援してます!」


「ありがとう。ルルちゃん。それでね、最初は何から取り掛かればいいか分からなかったけど、かいりゅう座の魔法なら、水魔法の基礎を知るところからかなって思ってこのテーマにしたの。ほら、星座の海竜っていっても、やっぱり水棲生物っぽいから」


 ララは少し考える。研究対象は禁断の北星魔法だ。本来であれば教会に手掛かりを求めるべきであろうが、さすがに部外者が易々と得られる知識ではない。取っ掛かりの無い状態からであれば、水棲の生物と水の魔法というささやかな繋がりからスタートしようという発想はあり得る。それは長い道のりになるであろうが、それでも目指そうとすることはマリンの夢に対する覚悟の表れだ。

 その遠大な目標に敬意を表し、ララは「そうですね」と微笑んで答えた。

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