第二十二話 ようやく一堂に会す

「勝った……? 勝った。勝った! 勝ったよ! ルルさん! うああああああん!」

「えっと、はい」

 ダイヤモンドボアが突然のた打ち回って退散した後、フロドはその喜びを全身で表現していた。相変わらず腰を抜かしたまま、ルルに抱きついて大声で泣きはじめる。

「死ぬかと思った! なんでこんなとこにダイヤモンドボアがいるんだよ! でも、でも、勝った、勝った!」

 ダイヤモンドボアの正体が信弘であることは、当然ルルにはお見通しだ。あの変身魔法を組み上げたのはルルなのだから。なぜこんなところにいたのかという謎は残るが、ルルたちの危機を知って助太刀に来たのであろうことは分かった。

「おじさま……」

 信弘は潜水したまま撤退したようだ。麦畑の町へ向かったのだろうか。


 フロドはひとしきり喚いて落ち着きを取り戻すと、顔を真っ赤にしてルルから離れた。極度の興奮状態が収まったことで、自分が何をしていたのか客観視できたらしい。

「こ、これは、大変お見苦しいところを。それに、その……服を、ごめんなさい」

 ルルは自分の服を見る。フロドが抱きついて泣きじゃくったせいで、涙やら鼻水やら何やらでベタベタになっていた。

「いいですよ。だって命がけで守ってくれたんですよね。本当にありがとうございました」

「はい!」

 フロドは誇らしく胸を張って笑う。

 さっきの戦いは信弘なりの不器用なサービスだったのだろうが、それはフロドの覚悟を損ねるものではない。この王子は本心から命を懸けてルルを守ろうとしたのであり、それが分からないルルではなかった。


「それよりも、魔籠をとられてしまいました……」

「ルルさんが気にすることはないよ。あれは勝手に持ち出した僕の責任だ。僕が叱られたら済む話さ」

 叱られて済む話ではない。魔籠の内容を読み取ったルルには確信があった。あれは単なる高価な品物という枠に収まりはしない。おそらく狙ってきたフラウもあの魔籠が何をするものか分かっていたのだろうという予感があった。

 明らかに自分の手に余る事態であるが、誰に相談したものかルルは迷う。やはりララか信弘か、しかし王宮秘蔵だという魔籠について話してしまっても大丈夫だろうか。

 ルルが考えこみ始めたとき、それを遮るかのようにフロドから声がかかった。


「そんなことよりも、あの……さっきのことなんだけど」

「はい?」

 フロドは先ほどまでの勢いを急に衰えさせると、腹の前でもじもじと指を組みながら話し始めた。

「さっきの、さっきの」

「あ、もしかして、結婚してっていう……?」

「そ、そう。それ!」

 なかなか衝撃的な場面で飛び出してきたために流れてしまっていたが、実は今回の旅はそれこそが本命である。ルルもそのために長いこと思い悩んでいたのに、驚愕に次ぐ驚愕に押しのけられて、すっかり忘れ去っていた。

「ああ、思い出すのも恥ずかしい。僕はなんてことを……」

「確かに、ちょっと相応しい場面じゃなかった気がしますね」

 ルルが正直に意見を述べると、フロドは肩を落として俯いた。しかし、その後は本当に頑張ったのだから少しくらいの恥は帳消しにしてもお釣りが来るだろう。

 真剣に戦った人には、真剣に対応しなければならない。ルルは心を決めると、フロドを見据えて言った。

「……フロドさん」

「はい」

 二人の頭上では、空が橙から紺への見事なグラデーションに染まっていた。去る太陽へ手を振るように、麦穂がなびく。日没は近い。


          *


 無駄に目撃されないように充分遠回りして町の広場へ戻った僕の前に、ララが立ちはだかる。

「ノブヒロさん」

「ララ。ルルは無事だ。なんとかなったよ」

「何ですか、あの茶番は」

「……見てたのか。茶番はないだろ茶番は。一世一代の大芝居だと言ってくれ。きっと凶悪な魔物に立ち向かう王子の後ろ姿に、ルルはメロメロになってるはずだ」

 我ながら名演技だったと思う。ボアフォームの扱いについては、ララとの鍛錬に付き合わされまくって熟達したからな。文字通り血の滲むような努力と言っていい。

「お姉ちゃんにはバレバレなのに?」

「やっぱバレてるかな……?」

「あたりまえですよ」

 ララは溜息をついて見せ、呆れ果てた感情を隠そうともせずに言った。

「しかも、お姉ちゃんの意志が最優先とか言いながら、思いっきり誘導しようとしてるじゃないですか。何が王子にメロメロですか」

「すまん。でも、あの王子良いやつだと思ったんだ」

 ララは考え込むように少し黙った。否定しないってことは、ララもその辺りは分かってくれたのかな。

「はぁ。まあ言いたいことは分かりますが、こっちが血眼になって捜索をしてる最中に、あんな下手な芝居見せられたら文句も言いたくなりますよ。結果無事だったので、良いですけど」

「それは、ごめん」


 するとララは僕の背後へと視線を向ける。

「ほら、噂をすれば、王子様のお出ましですよ」

 僕は振り返る。

 町の西大通り、歩いてきたのはフロド王子だ。隣にはルルもいる。何故かルルの服があちこち染みだらけで濡れているが、それ以外に異常は見られず、ケガなどもないようだ。フロド王子は僕のせいで腰を抜かしてしまったようだったが、回復してくれたようで一安心だ。


「あっ、おじさま! それにララも!」

 僕に気づいたルルが、手を振りながら走り寄ってきた。

「やっぱり、来てくれてたんですね! さっきはホントにびっくりしましたよ。いつ頃来たんですか?」

「最初からかな……」

「えー、それなら一緒に来てくれたらよかったのに」

「僕はそのつもりだったんだけど、ララがね」

 隣を見れば、ぶすっとした態度でそっぽを向くララがいた。思わぬアクシデントに見舞われるわ、王子とルルは仲良くなるわで、ララとしては面白くないだろうな。

 それでもルルの危機にいち早く気づき、行動に移したララは今回の功労者だ。

「ふふっ、ララってば恥ずかしがり屋さんなんだから」

「もうっ、そんなんじゃないのに。ノブヒロさんも何か言ってやってくださいよ」

「そうだな。ルルが無事でよかったよ」

「そうじゃなくって!」


 そうして笑いあっていると、ルルに遅れてフロド王子も僕らの前にやってきた。

 フロド王子が僕を見る。すると眉が動いて目が見開かれた。少々面食らったようだが、無理もない。どうしてあいつがここに、と思っていることだろう。

 朝からずっと尾行していたせいで、フロド王子のことはすっかり見慣れてしまっている。向こうも僕とララの試合を観戦していたというから僕の顔は分かるのだろうが、こうして面と向かうのは初めてのことだ。

 王族相手の挨拶ってどうしたらいいんだろう。いや、でも相手はお忍びでの訪問ということになっている。知らない体のほうがいいのだろうか。

 僕がどうすべきか困っているうちに相手の方から話しかけてきた。

「初めまして、イマガワノブヒロさんですね? 僕はフロド・ポラニア。ポラニア王国の第三王子です。――と、言っても信じていただけるか分かりませんが」

「あ、ご丁寧にどうも、今川信弘です」

 突然のことに、僕は何とも品の無い挨拶をしてしまった。フロド王子の方は最初の動揺も失せている。さすがは王族といったところだろうか。

 それにしても、フロド王子は身分を全く隠さなかった。どういうつもりなのか。

「おじさま。フロドさんはララとおじさまの試合を見ていたんですよ」

 ルルによる紹介と共にフロド王子が右手を差し出したので、僕は握手に応じる。

「よろしく」

 不意に、右手が強く握られる。痛いほどではないが、明らかに単なる握手と言った感じではない。フロド王子は僕の方へ体を寄せ、言った。

「ええ。どうぞよろしく」

 え、何、今の……。


 フロド王子は僕から手を離すと、何事も無かったかのようにララへと顔を向ける。

「そして、ララさんも一緒なんだね。今日はどうしてここへ?」

「はい? 私が地元の祭りに参加することに、何か問題でも?」

 睨みつけるような視線と共に、刺々しい言葉を吐くララ。

「いや、そんなこと誰も言ってないけど……何を怒っているんだい?」

 いきなり威圧的な視線を向けられてタジタジのフロド王子。会ったそばからこんな態度をとられたら、そりゃ混乱するだろうな。まさかルルの前で嘘を吐いていたところから見られていたとは思うまい。

「ララ、フロドさんはわたしを守ってくれたの。そういう失礼な態度とっちゃだめだよ」

 ルルにかばわれると強い。ララはぐっと黙って引き下がった。

「ああ。本当に危ないところだったよ。信じられないかもしれないが、とてつもなく巨大なダイヤモンドボアが現れてね、ルルさんに襲いかかったんだ。だが、敵も運が悪かったね。何せ、この僕がルルさんについていたのだから。僕の華麗なる光の魔法がダイヤモンドボアを屠る様、見せてあげられなくて残念だよ」

 カッコよく前髪をかき上げるフロド王子。ルルは隣で苦笑いしていた。

 ここにいる全員が実際の様子を見ていたわけだが、それは言わぬが花だろう。

「丸呑みにしてやればよかったのに」

 ボソッとララが呟いたのは無視しておこう。


「さあ、ルルさん。そろそろ支度をしないと、儀式に間に合わなくなってしまうよ」

「あっ、そうでした。おじさま、ララ、また後で!」

 ルルはフロド王子と共に屋敷の方へと走っていった。立ち話をしているうちに日は沈んでいる。あとは最後の儀式を待って北星祭は終わりだ。



 二人の背中が小さくなるのを待って、僕は言う。

「ララ」

「なんですか?」

「今回の襲撃者は、フラウ・フェアトラだった」

 ララの周囲で空気が変わるのが分かった。

「……確かですか?」

「間違いない。顔を見た。ただ、逃げられた。いや、あれは……」

 あれは見逃された。と言ったほうが正確かもしれない。威圧感に何もできず固まるだけだった僕。あの時、僕は完全に獲物の側に立っていた。今、僕がこうして息をしているのは、捕食者からお目こぼしをもらったからにすぎない。

 ララは少しだけ考え込むような沈黙を挟み続ける。

「ノブヒロさんが倒した賊を、町の衛士が捕縛したのを見ました。その中にフェアトラ復権会メンバーがいたのは確認しました。名簿が無いので正確なことは言えませんが、他の人物もメンバーかもしれません」

「ララ、フェアトラ復権会ってのは無害な集団じゃなかったのか?」

 大昔の偉人を尊敬しているだけの団体だと、現代では教会からも特に非難されていない平和的な団体だと、ララはそう教えてくれた。

「どうやら認識を改める必要があるようですね」

 僕はなんとなくポケットから文庫本『ポラニア旅行記』を取り出して見る。

「フェイス・フェアトラ」

 名家の生まれにして、歴代最高と謳われる天才魔法使い、フェイス・フェアトラ。そして、その末裔を名乗るフラウ・フェアトラ。

 また会いましょう。と、あいつはそう言った。

 いよいよ天に輝き始めたとびら座を前に、僕は言い知れぬ不安を覚えた。

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