第二十一話 邂逅
「ルル、どこだ!」
町の西方面、僕はだだっ広い麦畑を夕日に向けて疾走していた。
見渡す限り麦畑に次ぐ麦畑。道沿いを走る用水路を除けば、辺りはひたすら麦畑ばかりだ。
「なんだ、あれ」
遮蔽物もなく一面輝く黄金の中に黒い点はよく目立つ。
遠く前方、麦畑の中に漆黒の外套に身を包んだ人影を発見した。何人かが一か所に円を描くような配置で立っている。そして円の中心には――
「あれは、ルルか!」
黒い外套たちよりも一回り小柄な人影。間違いない、ルルとフロド王子だ。しかし――
「敵が多いな」
僕が見ている間にも、黒い外套の影はその包囲を狭めつつある。人数は明らかに向こうが多く、正面から突っ込むのは悪手に思えた。
そして気づく、僕の真横を道沿いに通る用水路。この用水路は敵の包囲網を貫通してルルたちのすぐ近くまで流れている。幸いなことにルルたちのいるほうが下流だ。加えて川幅も広く、申し分ない。
「よし……」
土壇場で思いついた奇策だが、他に案もない。
僕は剣を抜き、唱えた。
「ボアフォーム!」
*
かくして、ダイヤモンドボア変身状態のまま用水路潜水下りを無事に成功させた僕。
水面を突き破った先にいたのは、ルルとフロド王子、そしてそれを取り囲む黒外套の集団だった。突入ポイントは完璧だ。
眼下でフロド王子が泡を吹いている。驚かせてしまって申し訳ないが、やむを得ない。
敵の方が多い。ここからは速攻勝負だ。
僕は用水路から大蛇の半身を突き出したまま、すばやく首を巡らせる。まずは杖を構え始めた遠くのヤツからだ。
麦畑の中で杖を振りかぶる黒外套へ向けて、僕は雷撃を放った。
魔力が収束した左目の宝石から、轟音と共に稲妻が迸る。狙い通り、敵の腹に吸い込まれるように直撃した。大電流を浴びた敵は杖をとり落とし、そのまま麦穂の群れに埋もれるようにして倒れた。
僕の頭部めがけて飛んできた炎の魔法を、首を振って回避。そのまま勢いを乗せた頭突きを手近な敵にお見舞いする。こいつも衝撃に杖をとり落とし、吹き飛んでいった。
いける! こいつらそんなに強くないぞ。
遠くの敵は雷撃、近くの敵は頭突きを食らわすか、胴で薙ぎ払った。たまに僕に命中する魔法もあったが、戦闘の続行に支障はなかった。敵の魔法がそんなに強くないのもあるだろうが、ルルの作った魔籠はやはり一級品だ。そこらの平凡な魔籠では比べるまでもない。
次、次と、敵の数は順調に減っていき、残りは一人。
そいつは未だ一度も攻撃を仕掛けてこない。棒立ちのままこちらを見ている。不気味ではあるが、それならこちらから仕掛けるまでのこと。
鎌首をもたげ、雷撃の準備に入った。その時――
「見つけた」
ぞくりと、何かが背筋を走った。
そして、まったく身動きが取れなくなった。まるで体の動かし方を忘れてしまったかのように。何らかの魔法かとも思ったが、どうやら違う。
恐怖だ。敵の視線に身がすくんでしまったのだと自覚し、その事実に愕然とする。敵を見下ろし、圧倒しているのは僕のはずなのに、目の前の存在があまりにも強大であると本能が告げている。
勝てない。何故かは説明できないが、今挑んでもこいつには勝てない。
今、目の前の敵がフードに手をかけて、ゆっくりと顔を見せた。
解き放たれたクリーム色の長髪が麦穂と共に風に流れる。夕日に照らされたその顔には見覚えがある。
フラウ・フェアトラ。
密かに続くフェアトラの末裔を自称しているという、謎の人物。
フラウは不敵な笑みを浮かべながら口を開いた。
「この出会いは思わぬ収穫だけれど、今日の目当ては貴方じゃないの。ごめんなさいね」
そして、ルルとフロド王子の方へ歩き始めた。まずい。
僕は長い呪縛から解き放たれたかのように、再び動き出す。敵が何者だろうが、迷っている時間はない。
左目から渾身の雷撃を放つ。空気を引き裂く雷鳴と共にフラウへ向けて稲妻が走った。しかし、その攻撃は届かなかった。何らかの魔法によって阻まれたか、フラウには傷一つない。
フラウは腰を抜かしたままのフロド王子に近づくと、その懐に手を突っ込んで小箱のようなものを取り上げた。
「ふふ、面白いドラマを見せてもらったわ。ルルちゃん。それから、王子様も」
ルルもフロド王子も、ただ小箱が持ち去られていくのを目で追うばかりだ。その場にいる何者も、フラウを阻むことはできない。
一人悠々と目的を完遂したフラウは、最後に僕のほうを見て言った。
「また会いましょう。名も知らぬ悪魔のお方」
そして、フラウの体を淡い光が包み込んだかと思うと、その姿は虚空へと消えた。
文字通り消えた。透明化? ワープ? 分からないが、もはやその姿は見てとれない。
後に残ったのは静けさ。風が麦穂を撫でる音だけが穏やかに流れていた。
*
一体何だったのか。フラウ・フェアトラとは何者なのか。持ち去られた小箱は何なのか。どうして姿を消した。疑問はあぶくのように際限なく浮かび続けた。
しかし、今この状況で出来ることはない。戻ってからララに相談しよう。
僕は臨戦態勢を解き、大蛇の巨体を引きずって用水路へ戻ろうと考える。まさかフロド王子の前で変身を解除するわけにもいかない。
しかし、僕が動き始めるより前に、思わぬところから声が上がった。
「ぼっ、僕が相手だ! ルルさんは、僕が守るっ!」
ふと見ると、フロド王子が腰を抜かしたまま杖を構え、僕の方へと突き出していた。
声は上ずっているし、杖を持つ手も震えている。しかし、その眼差しは揺らぐことなく僕へと向けられていた。
「あ、あのですね、フロドさん。あのダイヤモンドボアは……」
「大丈夫! ルルさんは下がっていてください! か、必ず僕が守りますから!」
なるほど。この王子、やっぱり良いやつじゃないか。
僕はゆっくりと体をくねらせながら、なるべく凶暴そうに見えるような動きを心がけてフロド王子へと迫った。そして大口を開けて威嚇してみる。
「ひっ! ひぃぃっ!」
フロド王子は未だ腰を抜かしたまま悲鳴を上げて後ずさる。しかし杖はしっかりと僕へ向けられている。大丈夫だ。
「このっ、これでも食らえええっ!」
杖の先から小さな光弾が飛び出した。
それはまっすぐ飛んでくると、僕の鼻先で小さく破裂した。ちょっと強めの爆竹を思わせる程度の威力だった。正直言って、痛くも痒くもない。だが――
僕は首を大きく振り回し、苦しそうに口をパクパクとしながら、激しくのたうち回った! もう死ぬんじゃないかと思えるように、そう見えるように。砂埃が舞い上がり、千切れた麦穂や草が巻き上がった。
僕は這う這うの体で体を引きずり、用水路へと逃走する……かのように移動した。
水へと飛び込む直前、目を丸くして僕を見るルルとフロド王子が見えた。
願わくば、この心優しく強い王子がルルとうまくいってくれますように。
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