第二十話 涙と夕日と絶体絶命の求婚

 ルルはフロドの手に引かれるまま、麦畑に挟まれた用水路沿いの道をひたすら走っていた。

「どこまで追ってくるんだよっ……!」

 フロドは背後を振り返り、悪態をついた。合わせてルルも振り返ってみる。

 路地裏から飛び出して走り続け、麦畑の町からはかなり離れてしまった。前も横も、用水路を除けば一面の黄金色だ。遥か背後、緩やかな斜面の向こうに背の高い建物だけが微かな町の名残として見えるばかりだ。


 眩いほどの夕日と麦畑。一面輝く黄金色の中、漆黒の外套をまとった人物たちが明かりを食らう影のように点在している。彼らは、余裕を見せつけるかのようにじわじわと包囲を狭めながら追ってきていた。

 逃走を続けながら、ルルは思う。

――狙いはやっぱり、あの魔籠かな。

 王宮秘蔵だと言って見せてもらった、北星魔法が込められた魔籠。ルルが読み取った限り、その内容は正気の沙汰とは思えない代物だった。しかし、その効能を知っていれば喉から手が出るほど欲しいという人間はこの世にごまんといるはずだ。


「あっ!」

 フロドが声を上げて、立ち止まった。

 ルルもあわせて立ち止まり、何事かと前を見る。

 前方、夕日を背にした黒い影。広範囲に散らばって五人は確認できる。振り返ればそこにも五人、同じ外套。まだかなり距離はあるが、ほとんど円形に包囲された形である。しかもそれぞれが魔籠の杖らしきものを取り出しているのも見えた。

 周囲を見渡すも、助けになりそうな人も物も無かった。

「く、くそっ」

 フロドが懐から取り出したのは短い木製の杖。魔籠である。

「戦うんですか?」

 フロドによれば、その魔法の実力はララと並ぶほどだという。周りに建物の無いこの場所ならば全力で戦いができるのかと、ルルはそう思ったが、フロドの答えは違ったものだった。

「ごめん。ルルさん。本当は僕、魔法は全然ダメなんだ……」

「え?」

 いつの間にか涙を流し始めていたフロドは、声を震わせながら訴える。

「僕、ダメなんだ。魔法。ララさんと戦えるなんて、全然そんなことないんだ。王家の中でも歴代初のありえないくらいダメダメだって、散々言われてるんだ。ほんとにダメなんだよう。嘘ついてごめんなさいぃ……」

「ええっと、はい……」

 涙どころか鼻水まで垂らしながら、威厳も王子の風格もすっかり消え失せて謝罪するフロド。ついに杖をとり落とし、弱弱しく膝をついてしまった。

 絶句して見守るルルのスカートにすがりつき、しゃくりあげながら必死で続けた。

「ぼ、僕、僕、王都でルルさんを見たとき、すごいと思ったんだ! だって、魔法使えないのに、僕よりも、もっと、魔力ないのにっ! 全然諦めてなくって、妹のララさんが、あんなに強いのに、でもルルさんは全然卑屈にならなくって、ちゃんと、自分ができる方法を見つけて、戦ったんだ! すごいと思って、ほんとに、ほんとにすごいと思って――」

 そして衝撃的な一言が発せられた。


「だからっ、僕と結婚してくだざいっ……!」


「ええええ……?」

 思わぬところで本命の話題が出たが、今はそれどころではない。

 辛うじて魔法が使えるであろうフロドは完全に戦意喪失状態。泣きじゃくったままルルの足に抱きつき、涙と鼻水でスカートを濡らしている有様だ。

 武器はフロドの杖があるが、当然、ルルには使えない。逃げようにもフロドは走れそうにないし、そもそも全方位を囲まれている。魔法も使えない子どもの足で突破できる状況ではなく、隠れる場所も、助けを呼べる人もいない。まさしく絶体絶命だ。


 ルルはフロドの肩を掴んで必死に説得を試みる。

「フロドさん、諦めないでください! いま頼れるのはフロドさんだけなんです!」

 フロドは未だ泣き止まないまま、ぐしゃぐしゃに濡れた顔を上げた。

 ルルは杖を拾い上げ、フロドの目の前に突き出した。

「持って、守ってください!」

「僕が……? ルルさんを……?」

「そうです! わたしを!」

 ルルは嘘をついた。

――違う。守らなきゃいけないのは、あの魔籠だ。

 少々の後ろめたさを感じたが、仕方がない。

 今はフロドの懐に収まっている、禁忌の魔籠。得体の知れない連中に渡してはならない。


 ルルは腰を落として、未だに膝をついたままのフロドと目線を合わせた。そして、顔に笑みを湛えて言った。

「わたしも、諦めたことあるんですよ。知ってますよね?」

「……」

「でも、とっても大切な人が励ましてくれて、まだがんばれるかもって思ったんです」

「それって、あのおじさん」

 ルルは頷き、続ける。

「フロドさん、わたしのこと大切ですか?」

「うん……」

「わたし応援してます。がんばってくれますか?」

 フロドはしばし逡巡していたが、意を決したかのように袖で顔を拭うと、その顔つきを変えた。相変わらずのぐしょ濡れではあったが、王子としての風格が少しは戻ったようだ。

「はい!」

 フロドはルルから杖を受け取り、立ち上がった。そして高らかに宣言する。

「ルルさんは、僕がまも――」


 その時、すぐ横を流れていた用水路の水面が割れた。


 迸る水柱。舞い散る水飛沫。

 突如その姿を現した闖入者の正体は――

「だっ、だっ、ダイヤモンドボア!」

「おじさま……?」

 フロドはとうとう腰を抜かして、尻もちをついた。

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