第十五話 北星祭

 教会前の広場は大勢の見物人でごった返していた。

 広場の中心にはとびら座に向かうように祭壇が設置され、北星祭の始まりを前にした人々の高鳴る期待を含んだ話し声がざわざわとした波になって聞こえてくる。


 僕とララは教会広場に面した民家の二階テラスに居る。

 教会周囲の民家は会場を見下ろす特等席だ。この好立地を持つ家主の中には、金銭と引き換えにテラスを貸し出している者もいた。僕らはそのうちの一つを利用することにしたのだ。


「教会の中でやらないんだな」

「今日はとびら座が良く見えますからね。天気がいいときは外でやるものですよ。主役は星座なんですから」

「確かに、本物の星が良く見えるのに絵の星座を眺めるってのも変か」

 頭上には満天の星。

 麦畑の町は周辺一帯では規模の大きな町であるが、それも田舎の町の中ではという程度。おまけに町の周りは遠く先まで麦畑に次ぐ麦畑、星の瞬きを阻害する光害は存在しない。


 件のとびら座も、ララに教えてもらって見つけている。

 地方領主のお嬢様に教わりながら、テラスに二人並んで星空に思いを馳せる。こうして言葉にすると、なんともロマンチックなシチュエーションじゃないか。肝心のお嬢様がちょっと幼すぎる気もするが、それを抜きにしても感慨深い。日本にいた頃は星空を眺めるなんて何年もしていないし、こんなにはっきり星が見えるような土地ではなかったのだから。

 今はルルのことについて懸念も多いが、折角の祭りだ。ララとのんびり星空を眺めるくらいのことは許されるだろう。


「ホントに星が良く見えるな。ララ」

 空を見上げながらしみじみと言うが、返事はない。煌めくとびら座から目を離して隣を向いてみれば、ララは持参の望遠鏡で広場を見ていた。

「星を見に来たんじゃないんですよ。下を見てください、下を」

「……」

 ララは先ほどからフロド・ポラニア第三王子の捜索に夢中だ。ルルと一緒にいるんじゃないかと僕が言うと、それはないとのことだった。ルルは領主の娘として、両親と共に祭壇付近へ列席することになるはずであり、お忍びで来ているであろう王子がそこにつくことはないと。言われてみれば確かにそうだ。

 ちなみにルルの姿も未だ見えない。教会の中で儀式の開始を待っていると思われた。


「ノブヒロさん、あれを」

 ララが広場を指し示す。

 それは祭壇からはいくらか離れ、人混みもまばらになっている広場の外縁付近だった。

 ララから渡された望遠鏡を使い、指された場所を覗く。

「茶色の服を着ている男の子、見えますか?」

「見える」

 祭壇の方を向いて立つ、一人の少年。人混みには同い年くらいであろう少年たちが多くみられるが、件の彼は明らかに住む世界の異なる人間と察せられた。それは一見して質が高いと分かる服装や小奇麗に整えられた髪形などの外見的特徴もさることながら、佇まいやオーラとでも言えばいいのか、全身から放つ上流の雰囲気によるものだろう。

 僕は望遠鏡をララに返す。

「ものすっごい、良いところのお坊ちゃんって感じだ」

「事実です。見掛け倒しですが」

「ララも良いところのお嬢様だけどね」

「私は中身が伴っていますから」

 ララはそう言いながら、再び望遠鏡を覗く。今度は発見した王子周辺を探しているようであったが、しばらくすると呟いた。

「護衛もいました。二人……いえ、三人ですね。全然隠れられてない」

 なんて隙だらけな、と付け加えて嘆息する。

 僕には全く分からなかった。ハンターアデプトの眼力とは比べるべくもないだろうけど。

「ルルとはもう話を済ませたのかな」

「どうでしょう。まだ祭りは始まってもいませんからね。回答をお姉ちゃんに委ねているくらいですし、そんなに急ぐことも――」

 その時、大きな鐘の音がララの言葉を遮った。いよいよ祭りの始まりだった。


          *


 鐘の音が鳴り終わるころには、教会前広場全てが水を打ったようになっていた。

 遠く町の外から、麦穂の揺れる音まで届いてきそうな静寂の中、教会の扉が開く。

 金糸に飾られた法衣に身を包んだ聖職者らしき人物が歩み出る。長杖を手にした老年の男性だった。

 ララが小声で教えてくれる。

「北星教の大煌たいこうです」

「偉い人?」

「まあ、そんなところです」

 大煌なる人物に続き、その補佐と思われる聖職者が数人現れ、さらにその後ろには――

「ルルだ。両親も一緒だな」

 見慣れない白いドレスに身を包んだルルが、左右を両親に挟まれた並びで現れた。ここからでは細かい表情まで窺い知ることはできないが、僕にはいつもより緊張しているように見えた。

 一団は大煌に率いられて広場中央の祭壇へ至る。ルルと両親の三人は用意された椅子に付き、ほかの聖職者たちは祭壇に向けて儀式の手順を始めたようだ。

 大煌が祭壇の前で杖を掲げ、何かを述べている。ここまでは聞こえてこないが祈祷のようなものだろうか。よくみればルルたちを含め広場の人々は手を組んで首を垂れていた。厳かな雰囲気が周囲一帯を支配する。

 ふと隣を見ると、ララも目を閉じて同じように祈っている。その神妙な顔を見るのはなんだか新鮮だった。同時に、僕だけがこの集団から外れた異人であることを改めて意識させられ、少しだけ寂しくなる。


 やがて祈りに区切りがついたようで、皆が祭壇へと視線を戻す。

 それを待っていたかのように、大煌は高く杖を掲げると一際大きな声量で述べた。

「この地に輝ける星座の加護を注ぎ給え」

 この祈りは僕にもはっきりと聞こえた。


 眩い閃光が走る。


 大煌が掲げた杖の先から迸った青白い光の奔流が北の夜空へと延びた。光の柱が天の果てへと見えなくなったかと思われたとき、頭上に現れたのは空の星々すべてを結んだ恐ろしく巨大で複雑な星座のようなものだった。それはとびら座を中心に据え、一瞬にして天球全体へと広がった。

 広場に歓声が上がる。それはあまりに美しいものを前にして自然と漏れてしまった声の群れだ。

 僕も天を仰ぎ、思わず呟いていた。

「すごい……」

「天気が良くて幸いでした。屋内では見栄えがないですからね」

 天上の光はしばらく輝いたのち、徐々に収まって元の星空へと戻った。

「今のは何?」

「儀式魔法です。北星祭の時にだけ、しかも煌職こうしょく以上の職位を持つ教会関係者だけが使える特別な魔法のひとつで、広範囲の土地に強力な加護を与える……と言われています」

「言われている?」

「土壌や水源を維持したり疫病を抑えたり作物の実りを良くしたり……とにかく地域全体にいろいろな効果があると言われているんですが、北星祭でこの魔法を使わなかった年が無いので、加護の有無を比較検討できないんですよね」

「そういうことか」

 ララはひとつ頷いて続ける。

「星座を使った魔法のことを、教会は北星魔法と呼んでいます。北星魔法は強い実効が分かるものと、そうでないものがあるんです。これは後者ですが、実際に使わないでどうなるか試してみようなんて酔狂な意見は絶対に出ないですし、北星魔法の仕組みは教会関係者だけの秘中の秘ですから、私たちには知りようもないですね」

 確かに、実際にやらないで飢饉やら疫病やらが起こるか試すわけにもいかないだろうな。教会の人も実はよくわからず続けてたりしないだろうか。

「ま、秘密を暴きかけてる狂人もいますけどね」

「そうなの?」

「ノブヒロさんも見たじゃないですか。学都で」

 閉ざされた研究室で見た、室内の星座を思い出す。その星々を駆り、僕らに恐るべき力を見せつけた一人の少女も。

「……スターゲイザーか」

「当たりです。あれは本当にヤバいですよ。絶対に口外しないでくださいね。どうなるか分かりません」

 怖い怖い……。絶対言わないからいいけどさ。


 北星祭も一大イベントを乗り越えたか、聖職者の一団は祭壇の前でなんらかの細々とした手順を踏んだのち、教会へと戻っていった。ルルたちも一緒だ。

 広場の人々も散らばりはじめ、徐々に人影は少なくなっていった。

「これで終わり?」

「今日のところはそうですね。次は明日の晩、同じくらいの時間にもう一度儀式をやって終わりです。そっちは今みたいな派手なことは起きないので、そのつもりで」

「分かった。じゃあ、あとはルルが出てくるのを待つか」

 ララは再び王子の方へ望遠鏡を向けていた。

 王子から目を離さないまま応える。

「お姉ちゃんは教会の中でまだやることがあると思います。王子は……屋敷の方へ行くみたいですね」

「今日のところ動きが無いなら僕らも宿で休もうか。祭りが一番にぎわうのは明日の日中なんだろ? ルルと王子もその時に何か話すかもしれない」

「そうですね。悔しいですけど、屋敷の中までは覗けませんし」

 ララが恨めしそうに自分の屋敷を睨みつけていた。

 王子がミルトさんらしきメイドに招かれて屋敷の扉をくぐるところが遠目に見えた。

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