第十三話 北星祭前夜
窓から見る街並みはすっかり夜に沈んでいる。夕刻には煌々と揺れていた麦畑も、今はその役目を天に輝く星座に譲っていた。明日はこの星座が主役の北星祭だ。
窓に見えるのは外の闇夜だけではない。ランプの薄明かりに照らされたルル自身の姿も、そこに映りこんでいる。これもララの持ち物だという寝間着姿。師匠の家で普段使いしている安物と違い、いくらかフリルやリボンなどの装飾が施された上等な品だ。
明るく華やかな装いに反して、それに身を包むルルの顔は晴れない。
「眠れませんか?」
背後からの声。気づけば、窓ガラスには自分の背後にもう一つの人影が映っていた。
ルルは振り返って返事をする。
「ラミカさん」
「すみません。部屋から灯りが漏れていましたので。一応ノックはしたのですが」
「……うん。ちょっと考え事してて」
「そうですか」
何についての考え事か、あえて聞いてくることはない。今の状況で考え事など分かりきっている。私室の扉をノックされても気づかない程度には深刻に考えることだ。
ラミカは少しだけ寂しそうな顔をしてから言った。
「しかし、あまり夜更かしをすると明日に響きます」
「ごめんなさい。そうだよね。王子様の前で居眠りしちゃったら大変」
冗談と共にルルは努めて笑って見せたが、不安はぎこちなさとなって顔に張り付いていた。
「ルルお嬢様……申し訳ございません」
「え?」
「今度こそルルお嬢様のお力になりたかったのですが、何もできず」
ラミカは頭を垂れて絞り出すような声で言った。
「そんなの、ラミカさんのせいじゃないよ」
「しかし、ルルお嬢様が何もかも背負うことになって、私たちは何もお手伝いができないなんて」
王子の求婚を受けるか否か、この決定についてだけを言うのであれば、確かにラミカやミルトが出る幕はない。
断ればルルは今度こそ家を追われ、引き受ければ将来は王子のところへ嫁ぐことになる。どう回答しても、その後の人生に影響を受けるのはルルだ。
「ねえ、ラミカさん。この話、受けたほうがいいと思う?」
「それは……」
「そんなの、わかんないよね。変なこと聞いてごめんなさい」
ルルは再び窓の外へと視線を移し、続ける。
「わたし、王都でララに言われたの。お姉ちゃんは自分で何でも決められてすごいねって。でも、全然すごくないよ。だって決められないもん」
「そんなことはありません。これは存分に悩むべき問題だと思います」
「悩む時間があったらね……」
ラミカは返事をしなかった。何せ、王子が来るのは明日なのだ。
「少し前のわたしなら、絶対に受けてたと思う。でも、今は迷ってる」
「それは、何故でしょう」
「……そもそもわたしがなんで家に帰りたかったのか考えてみたの。家を追い出されたばかりのころ、わたしは一人で、新しい学院でも上手くいかなくて……とっても寂しかった」
冷静になってから思い出せば当時のルルの必死さは自分でも怖いくらいだった。魔籠の道を知ってからはどれだけの労力をそこに注ぎ込んだかわからないくらいであるし、身を危険にさらしたことも多い。自分で使えもしない魔籠を手に魔物の棲む森に突入するなどの無茶はその典型である。しかし、半ば自棄となっていたその行為が、皮肉にも道を拓いた。
「おじさまと出会ってからは、ずいぶん変わった。ララがわたしのところに来て、おじさまとララとお師匠さまと、それからわたしと。とっても賑やかで、今は寂しさなんてほとんど無いの。今、わたしが家に戻っても、そこにララはいない。もちろん、おじさまやお師匠さまも。じゃあ、家に戻る意味はなんだろうって」
「私共はいつでもお待ちしております。私共ではルルお嬢様にとって不足でしょうか」
「えっ、あっ、もちろんラミカさんたちとも一緒にいられたらなって思うよ。そうじゃなくって、えっと」
ルルはラミカに向けてぶんぶんと手を振って否定する。ラミカはその様子に少し笑いを吹き出した。
「もちろん。承知しております」
「もう、いじわるなんだから」
からかわれて怒るも、不安が少しだけ和らいだ感じがあった。
「とにかく、今のわたしにとって今回の問題は、家に帰りたいかどうかじゃなくなってる気がするの。そしたら、わたしは一体何をどうしたいのかわかんなくなっちゃって」
「とても難しい問題ですので私から助言をすることはできませんが、ルルお嬢様がどのような決定をされても、私共はそれを尊重いたします」
「うん。ありがとう。ごめんね、長々と聞いてもらっちゃって。でも話したらちょっとだけ落ち着いたかも」
「それはそれは。このようなことであれば、このラミカ、いつでもお使いください」
「ふふ、またお願いするかも」
ルルの言葉に、ラミカは笑みを返した。
「それでは、おやすみなさいませ」
ラミカが、挨拶と共に一礼して退室する。
再び静かになった部屋。
いい加減に寝ようと、ルルは灯りを消した。
部屋の光がなくなってみると、月と星の明るさに気が付く。寝る前にもう一度星を見ようと、窓の形に差し込んでくる淡い光の群れに向かう。
窓の外へ、その頭上の星座に顔を向けた。屋敷は街の北端に建てられており、この窓は南に面しているため、とびら座を見ることはできない。しかし、雲一つない快晴の空だ。きっととびら座と、そこに鎮座する北極星は強く輝いていることだろう。
「明日も晴れそう」
ルルには、まるで星座が王子の来訪を歓迎しているかのように思えた。
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