第七話 ラミカ

 ルルは門扉をくぐって進み、玄関扉の前に立った。

 金色のドアノッカーに手を伸ばしたとき、一瞬だけ王都での思い出がよみがえった。

 ――街の衛士を呼びますよ。

 ――お帰りいただきなさい。

 伸ばしかけた手が止まる。

 また拒絶されたらどうしよう。そんな思いがルルを急速に支配しにかかる。伸ばした指先から不安が登ってくるようだった。目の前の扉が壁のように思えてしまう。

 ルルは頭をぶんぶんと振って強引に不安を払った。ここまできて怖気づいていてはいけない。啖呵を切って初めて一人旅もこなしたのだから自信を持てと、自分に言い聞かせる。


 ルルは再び手を伸ばし、今度こそ扉を叩く。

 木を打つ低い音が響いた。一秒、二秒、焦りを押さえて待つ。

 五秒を過ぎたころか、女性の声と共に扉が開かれた。

「はい」

 出てきた女性はメイドであった。

 背はルルよりも頭二つほど高く、腰まで伸ばした見事な茶髪が玄関へ吹き込む風に揺れた。

 その落ち着いた佇まいも、教養高い所作も、ルルにとって見慣れたものだった。

「ラミカさん!」

 ルルは見知った顔に破顔した。そのメイドはルルの家に仕える使用人の中でも、ルルと仲の良い人物であった。どうやら両親と共にこちらへ来ていたようだ。

「ルルお嬢様……!」

 ラミカは口元を押さえて驚きをあらわにした。そして見る見るうちに顔をゆがませると、涙を流してその場に頽れてしまった。

「ちょ……ちょっと、どうしたの?」

「まさか、本当に帰ってきてくださるとは思わず……」

 肩を震わせて嗚咽混じりに話すラミカに、ルルは戸惑いつつも寄り添って笑顔を向けた。家にいるのは両親だけではない。本当に自分のことを待っていてくれた人がいたのだと、ルルはとても嬉しくなった。


「王都では申し訳ないことをしました。どうかお許しください」

「……いいの。気にしてないよ」

 忘れもしない、王都での両親との再会の日。信弘と共に王都の別邸を訪ねたルルは、母親ににべもなく突き放された。言葉すらかけられず、ただ追い返された。ラミカはその時一緒にいたメイドの一人だ。

 母親の命を受けたラミカたちにルルは追い返されたわけだが、それでラミカを責めるのは違うことくらいルルはよく分かっている。

「わたしのところに手紙が来たの。それで帰ってきたんだけど」

「はい。承知しています」

 ラミカは涙を拭うと立ち上がって笑顔に戻った。少し目元が腫れぼったくなってしまったが、見事な切り替えだ。

「旦那様のところへ参りましょう。どうぞ中へ」


          *


「ねえ、ミルトさんも来てるの?」

「はい。ミルトは今、夕食の支度をしております。あとで呼びましょう」

「うん!」

 ルルはラミカに連れられるまま屋敷の中を進んだ。今は父親のいる上階へと向かっているところだ。

「ララお嬢様はどうされていますか?」

「ララも元気だよ。……ごめんね。ララが突然家出してラミカさんたちも困ったでしょ」

 王都での戦いを終えた後、ララは突如家出を決行した。ララは詳細を話さなかったが、止めにかかる相手を強引に打ち破ってきたとの発言をしていた。

 ラミカはルルの言葉を聞いて、少し困ったようにくすくすと笑ってから言った。

「ええ。あの時は大変でした。今も王都のお屋敷は修理中なんですよ。建物が倒壊して、お庭もまるで星が落ちたかのようになってしまいましたから。旦那様も奥様も、ララお嬢様には大層ご立腹でして」

「ええ……」

 家出ついでに家自体を破壊していく豪胆さはララらしいといえばいいのだろうか。それまではおとなしく両親に従っていたはずなのに、吹っ切れたときの行動力には舌を巻くしかない。

 それにしても一体どんな暴れ方をしたのだろうか。両親が本邸に来ているのは北星祭だけが理由ではないかもしれないなと、ルルは思った。

「私もミルトも久しぶりに本気であたりましたけど、やはり私たちではララお嬢様のお相手は務まりませんね。あれでも随分手心を加えられたようでしたし」

 でも、と言ってラミカは続けた。

「あんなに晴れやかなお顔のララお嬢様は久しぶりに見ました。きっとルルお嬢様のお陰ですね」

「そうかな。ふふ」

 こうして第三者から言われて、自分のやってきたことはよかったのだとルルは再確認した。きっと今回のことも皆分かってくれるはずだ。

 

「おとうさん、会ってくれるよね……」

「大丈夫ですよ。呼びだしをしたのは旦那様なのですから」

「そうだよね。ありがとう」

 ラミカの背について歩きながら、ルルは緊張が高まってゆくのを感じた。今度こそ大丈夫だと心の中で自分に言い聞かせる。

 やがて通路の先に一つの扉が見えてきた。父親の書斎だ。ルルが心の準備をしようとしたとき、タイミングが良いのか悪いのか、扉が開いて中から父親が現れた。

「あっ……」

 不意打ちにも似た邂逅に、ルルは出そうとしていた言葉が喉の奥へと引っ込んだのを感じた。

 父親と対面するのは王立魔法学院演習場での一戦以来である。あの時は明確な敵同士としての立場であったが、今は違う。ただ挨拶すればいいだけのことなのに、立場が変わると、どうすればよいのかもわからなくなってしまう。

「えっと……」

 焦りが体に出て、ルルはあたふたと指を絡ませる。

 ルルの様子を見て、ラミカがさりげなく対応を始めた。

「旦那様、ルルお嬢様がお帰りになりました。先日出された手紙を読んだそうです」

「た、ただいま。おとうさん」

 ラミカから視線で促され、ルルもようやく挨拶をした。少したどたどしくなってしまったが大丈夫だろうかと心配になる。

 父親はルルのほうへと目を向けた。温かさの無い、品定めするような視線にルルは思わず身をすくませた。それでも俯かないように精一杯の努力をする。

 父親はしばらくルルを見ていたが、やがて視線を外すと、ラミカへと話しかけた。

「おい、このみすぼらしいなりを何とかしろ」

 言葉はそれっきりだった。挨拶に対する返答は無く、ラミカからの返答も待たず、ルルのほうへは目もくれずに横を通り過ぎると、階下へと歩き去っていった。

 ルルは馬車でやってきた旅装束のままだ。それも高価な品とは言い難い。体面を気にする両親の前では悪手だったかと少し悔やまれる。

 辛辣な対応も二度目のことなので、王都の時ほどのショックではない。ある程度予期していたことでもある。それでも新しい希望を持っての第一歩としては辛いものだった。

「大丈夫ですよ。気になさらないでください。それに、私がもっと気を配るべきことでした。申し訳ありません」

「ラミカさんのせいじゃないよ。わたしは大丈夫だから」

 ルルは笑みを努め、ラミカに応えた。まだ帰って来たばかりだ。きちんと話を聞くまで結果は分からない。

「さすが、ルルお嬢様はお強いですね。さて、着替えましょうか。もうすぐ夕食ですからね」

 

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