第六話 麦畑の町
馬車を追って数日。僕らは今、薄暗い森の中を進んでいる。
ララによれば、すでにオークマレット領――即ち、目的の領地に入っているとのことだ。森を抜ければ町まではあと少しのはずである。
ここまでルルの乗った馬車に目立った動きはなかった。道中の宿や村で無事に降りてくる姿も確認しつつ進んできた。馬車の中の様子までは分からないが、何事もなく移動が遂げられそうで安心する。
「もうすぐ森を抜けますよ」
「ようやく町か」
「ええ、きちんとした宿に泊まりましょうか」
「助かる……」
生い茂った木々が途切れ、視界が一気に開ける。
「これは、すごいな」
波打つ黄金色が僕の目に飛び込んできた。
森を抜けた先、一面を埋め尽くすのは豊かな麦畑だった。風が畑の上を走るたびに、揺れる穂が夕日を受けて違った光を返してくる。そんな光と波の群れが見渡す限りはるか遠くまで続いている様は圧巻の一言だ。
思わず足を止めて見入る僕に、ララが隣から解説をしてくれた。
「ここら一帯は王国でも有数の穀倉地帯なんです。隣接する他の領内までたくさん広がっています。作物を買いに来る商人が大勢いるので、時期が来れば町もにぎわうんですよ。まあ、学都や水都と比べたら大した規模でもないですけどね」
その町はまだ見えない。麦畑は緩やかな起伏の上に作られており、町はこれを越えた先にあるようだ。
「さあ、行きましょう。町はすぐそこですよ」
ララに促され、絶景から目を離す。
僕らは麦畑を割るかのように走る街道を再び進み始めた。
*
町は広大な麦畑の中に突如現れた。
麦畑へとはみ出さないように寄り集まった家々。外周には背の高い建物はあまり見られなかったが、町の中心へ向かうにつれて三階建て四階建てと、少しずつ背の高い建物が見受けられる。
そのような町の中で特に目立っているのは教会の尖塔だった。町の東部に構えた白く厳かな建物が西からの夕日を受けて橙に染まっている。
ララが言うように、さすがに王国の六大都市とは比べるべくもないだろうが、これまでの道中で見てきた町や村の中ではかなり大きな部類だ。
「大きな町じゃないか」
「まあ、この辺りでは一番大きいですね。これでも領内の中心地ですから。北星祭のために領内のほかの村や町からもいくらか人が集まってきていると思うので、少し宿がとりにくいかもしれません」
街道はそのまま町の大通りに繋がっており、僕らは馬車に続いて町へと足を踏み入れた。
「屋敷は町の北端のはずれにあります。でも、まずは馬車を追いましょう」
馬車は町を南北に貫く大通りを北へと進んで中心広場へと向かっていた。
馬車は広場の端にある停留所まで辿りつくと、乗客を降ろし始めた。僕らは少し離れた位置から様子を窺う。
「降りてきたね」
「はい」
ルルが馬車から降りてくるのを確認した。変わった様子もないし、まずは一段落といったところか。
「あの隣の人、気になりますね」
ララのつぶやきに、僕もルルのほうを見直す。
ルルの隣にいたのは洒落た薄黄色のドレスを身に纏う貴人風の女性だ。ルルと女性は降車後も少し立ち話を続けていた。といっても、女性が一方的に話してルルは聞き役をしているといった感じにみえる。
「何が気になるの?」
「何とは言えないですけど、嫌な予感っていうか。というか、どこかで見たことあるような気がするんですよね。あの人」
ララは女性を見ながら考えこんでいたが、思い出すことはできなかったようだ。
しばらくして女性とルルは別れた。ルルは大通りを北へ向かって進みはじめる。ララが言う屋敷の方角だ。
「お姉ちゃんが家に着いたら、私たちも宿をとりましょうか。本当なら私も中まで入っていきたいところですが」
「入ればいいじゃん。ララの実家でしょ」
「そういうわけにはいかないでしょう。何言ってるんですか……」
ララが家に帰れないのは自業自得な面もあるが、王都で見てきた両親の態度を思い出すと、あまり責める気になれなかった。
町北端のはずれ、開けた場所に屋敷はあった。
王都にある別邸よりも、土地も建物も大きく立派だ。南に面した窓はさぞかし日当たりが良いことだろう。
「でかいなあ」
「無駄に大きいですよね。私もほとんどの部屋を見たことがありません」
「自分の家なのに? でかいとは言っても見て回れないほどじゃなさそうだけど」
「私たちは生まれも育ちも王都ですから。こっちで過ごした時間はホントに短いんですよ。あまり自分の家っていう感じがしません」
そういえばそんなことを言っていたな。ということは、ルルにとっても同じということか。実家のはずなのに慣れない土地とは、そのことがルルを心細くさせなければいいが。
その後、僕らが背後からひそかに見守る中、ルルは屋敷の門扉をくぐって敷地内へと入った。ここからはルルの戦いか。
玄関へと遠ざかる背を見送りながら、僕は隣のララに問いかける。
「僕らはいつまで滞在する?」
「もちろん、お姉ちゃんが帰るまでですよ」
「帰る、か。でも、ルルは今まさに帰ってきたんじゃないか?」
両親と一緒に暮らすことは僕と出会った頃のルルの目標だった。何か事情があるにせよ、両親の側から帰ってくるようにとアプローチがあったのは事実だ。
「あそこに私はいません。なので、お姉ちゃんが帰る場所はあそこではありません」
「……」
確かに、ララとの再会はルルにとって重要な目的の一つだった。
もし、ルルがララと両親どちらかの選択を迫られたなら、あの子はどちらを選ぶのだろう。
もし、ルルがこのまま僕らの下に戻ってこなかったら、僕はどうするのだろう。
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