第八話 ミルト

 屋敷の一室にて。

 ルルは用意された着替えを前に首を傾げた。

「この服は?」

 並べられていたのは白のブラウスと黒のスカートであったが、いずれもルルには見覚えの無い品だった。今日のために買っておいたのだろうかとルルが予想するも、答えは違っていた。

「これはララお嬢様のお洋服です。新しいものを用意できずにすみません。何分、急でしたから」

 なるほどとルルは納得した。別に新しいものにこだわることもない。サイズも合いそうであるし、何ら問題はなかった。


「さあ、お手伝いしますので、着替えをしましょう」

「じ、自分でできるからいいよ」

 ルルは身を縮めてラミカが伸ばした手を避けた。

「ふふっ、やっぱり大きくなられましたね」

「もう……。出ていく前だって着替えくらい一人でできたのに」

「あら? そうでしたか。すみません。どうにもララお嬢様は一人で何でもやってしまってお世話のし甲斐が無かったものですから、久しぶりにルルお嬢様を前にすると、つい」

 そう言って、ラミカは着替えるルルをニコニコと眺めている。

 自分のほうが姉なのにと、ルルは頬を膨らませて少しむくれた。


 着替えを終えた。

 ララの服は今のルルにもぴったりサイズが合った。離れて暮らしていてもララと体の成長具合がほとんど同じで良かったとルルは思う。

「とてもお似合いですよ」

「ありがとう。……なんだかこんな服を着るのは久しぶりで、ちょっと変な感じ」

 師匠の家では質素倹約が基本であった。いくらかあった自由に使えるお金は自分で作る魔籠の材料に消えたので、お上品な服を買う余裕などなかった。

「それでは準備も済みましたし、夕食に参りましょう」

 そう言ってラミカが部屋の扉に手をかけたとき、それに先んじて何者かが外から勢い良く扉を開け放った。


「ルルちゃん! 帰ってきたってホントっ?」


 突然現れたその女性は、ラミカと同じメイド服に身を包んでいた。ラミカよりも一回り小柄で、美麗な銀の髪を二束の三つ編みにまとめている。

「ミルトさん。ただいま」

 ルルが応えると、ミルトと呼ばれたそのメイドは、一瞬だけ珍しい動物でも見つけたかのような不思議な硬直をした後、呟くように言った。

「ホントにルルちゃんだ……」

「うん」

 ミルトはよろよろとルルに歩み寄ると、その両肩に手を置いて膝をついた。そして目を潤ませながら涙声で話し始めた。

「ごめんね。王都で会った時、ごめんね」

「いいよ」

「ルルちゃん。わたしのこと嫌いになってない?」

「なってないよ」

 ミルトもラミカと同じく、王都へ戻ったときにルルと会っている。ルルの母親の命で信弘共々追い出されたわけだが、彼女にしてもラミカ同様、望んでの行為ではなかったということ。当然ルルは承知の上だ。

「ルルちゃんが居なくなってから、ずっと空気が重苦しくってさ。ホント辛かったんだよ」

「うん。ごめんね……」

「ララちゃんも出ていっちゃうしさ。しかもお屋敷吹き飛ばしてくしさ、追っかけようとしたらわたしもラミカも両脚折られるしさ」

「ええっ! ララってば、そんなことしてったの……?」

 ラミカによれば手加減をしていったとのことであったが。

 ルルが驚いてラミカに目を向けると、困ったように笑いかけられた。どうやら事実のようだ。ルルは頭を抱えた。

「怪我人は出してないって言ってたのに、大嘘じゃない……」

「でも、ルルちゃん帰ってきてくれたんだ。あんな酷いことされたのに……帰ってきてくれたんだね」

「ミルトさんも待っててくれたんだね。ありがとう」

「ルルちゃん、良い子過ぎるよぉ……」

 ずびずびと鼻をすすりながら泣き始めたミルトを見て、ルルはまだまだ自分は人に恵まれているのだと感じた。


 ひとしきりミルトが涙を流して落ち着いた後、ルルは二人に尋ねてみることにした。

「ねえ、わたしが呼ばれた理由って二人とも知ってる?」

 ラミカと顔を合わせたときの返答から手紙が出されていたことは知っていたようであったし、両親から何かを聞かされているのではないかと思ったのだ。

 二人のメイドはルルの問いかけに、少し困ったように顔を見合わせてから答えた。

「申し訳ありません。実は私も詳細を聞かされておらず」

「わたしも知らないんだ。ごめんね」

「そっか……」

「旦那様からは、ルルお嬢様に宛てて帰ってくるようにとの手紙を出したとだけ聞かされました。正直なことを言いますと、何故今になってと驚きました。あれだけの、その……仕打ちをした後で呼び出す理由が分からず」

 ラミカが少し言い辛そうに話した。それはもっともな疑問である。うちの子供ではないとまで言い放った娘を突然手のひらを返して呼び出すほどの理由など容易には思いつかない。

「手紙には何か書かれてなかったの?」

「うん。ただ北星祭に合わせて帰ってくるようにってだけで……」

 ルルは少し考え、続けた。

「そういえば、今回のお祭りに王子様が来るのは知ってる?」

「王子?」

 そう言ってミルトが首を傾げた。次いでラミカに視線を投げるも反応は同じであった。

「うん。第三王子の、フロド・ポラニア殿下だそうなんだけど」

「いいえ。存じません。しかし、そのような話をどこで?」

「実は――」

 ルルは馬車の中で聞いた話、そしてそこからルルなりに考えた、自分が呼ばれた理由を説明した。つまり、王族の来訪時に娘が家出しているという、不格好極まりない状況を解消するためではないかという予想について。


「なるほど、理由としては通りますね」

「でしょ?」

「しかし、分からないことがありますね」

 ラミカが顎に手を添えて話始めた。

「北星祭で王族や聖都の高僧が訪れる場所は事前に布告されるはずです」

「あ、そっか……」

 北星祭は国を挙げての一大イベントである。特に王族や高僧が訪れる場所は大都市に次いで祭典の中心地となり、全国から数多の人々が押し寄せる。これによって周辺地域が与る恩恵もすさまじい。

 教会や王宮が地方領主に恩を売るためであったり、あるいは働きに報いるためであったり、訪問先の選定に関しては少なからず何らかの意図が込められているものだ。

「北星祭は、地方領主が王族や教会との強力な繋がりをアピールする大きな機会です。布告無しでは受け入れる側に利益が少なく、訪れる側も恩を売ることができません」

 純粋に楽しいお祭りごととしか考えていなかったルルにとっては思いもよらぬ答えであったが、言われてみればその通りだ。

「しかし、お忍びでの来訪が全く無いかというと、そうでもありません。過去に何度か例があります。今回もそのケースで、旦那様と奥様にだけその通知が来ているという可能性はあり得るでしょう」

「じゃあやっぱり」

「その場合、秘密であるはずの王族来訪を知っているその女性は一体何者ですか?」

 そう言いながら、ラミカの表情は真剣なものになっていた。

 何かを警戒する、鋭い眼。

「仮定の話だから……」

「そうですが、少し気になりますね」

 何とも言えない不穏な空気になり始めたとき、横で黙っていたミルトが口を開いた。

「よくわかんないけどさ、単に旦那様と奥様が本心からルルちゃんに帰ってきてほしくなっただけって可能性はないの? ほら、ララちゃんも出ていっちゃってさ、寂しくなって」

 まずありえないだろう。と、ルルは思った。そこまで楽観できるほどの余裕は散々裏切られてきた。複雑な表情のラミカも同じ考えのはずだ。しかし――

「……そうですね。そうだと、良いですね」

 少し表情を緩めて、ラミカはそう答えた。

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